20. 《剣姫》vs《死神》




 「クッ……!!」


 一目散に逃げだそうとする、黒衣に身を包んだ《死神》を、ボクことエレノア・フォンティールは【跳躍】の魔法を発動させて回り込み退路を塞いだ。仮にも《風の剣姫》なんて大層な異名を付けられているだけあって、この魔法の扱いは慣れたものだ。

 「もし仮に賊の狙いがシェリーだった場合、ボクが“入れ替わって”おけば裏を掻ける」───そんなボクの提案が受け入れられて、ボクはシェリーになりすましてあの子の部屋にいた。騎士団や家の皆の注意をシェリーから逸らすための方便だったけど、敵を欺くためにも有効な手だったことも事実。それでも、こんなに上手く引っかかってくれるなんてね。

 ボクはふわふわした寝間着を脱ぎ捨て、下に着ていた軽装の騎士装束姿になる。鎧は着ていないけれど、速さが命のフォンティールの剣技には最も向いた姿だ。


 「逃げ足はそこそこ速いようだけど、ボクらフォンティールから逃げおおせられるほどじゃないね。《月夜の死神》の名も大したものじゃなさそうだ」

 「小娘がッ……我が異名を愚弄するかッ!」

 「異名なんて、大抵の場合名前負けも良いとこだよ。ボクだって《風の剣姫》なんて名前、恥ずかしくてとても自分から名乗れたものじゃないし」


 剣の腕にしろ風の魔法にしろ、今のボクでは伯爵夫人や長女のリアナ様をお守りしている母上や叔母上には到底敵わない。本来ならば、オースティン伯爵家を直接守る親衛騎士隊の副隊長なんて役職も荷が勝ちすぎているのだ。そんなボクが、いざとなれば親衛騎士隊を動かせる副隊長の地位に就けられているのも、必要な時に彼らを率いてシェリーを守れるようにするため。ボク一人ではあの子を守り切れないからと、謂わば保険を掛けられているだけに過ぎない。

 そんなボクとはいえ、陰ではかりごとをするだけの暗殺者なんかに後れを取ることはない!



 逃げ切れないと判断したのか、《死神》が細剣を引き抜いてボクに斬りかかってきた。


 「この程度……子供の稽古みたいなものだよッ!」


 その剣を軽くあしらい、【暴風】を発生させて奴の身動きを封じる。圧倒的な風圧によって相手を封じ込める“風の檻”。母上の十八番おはことも言える制御の難しいわざだけれど、不完全ながらも使いこなすのは娘としての義務でもある。

 奴を捕らえられれば、背後を洗ってシェリーを狙う不埒者たちを追い詰められる。胡乱うろんな企みからあの子を守れるし、奴らからシェリーを保護するための策だったと今回のボクらの計画にもある程度の“言い訳”ができる。

 ここが屋敷の奥ということもあって、ここまできたら取り逃がすことはそうそう無いだろう。現に、騒ぎを聞きつけた者たちがこの伯爵家のプライベート区画に集まりつつある。既に勝敗は決した。




 『───奴を決して侮るなよ。どうもあいつは相当プライドが高いようだからな。ああいう手合いは本当に追い詰められたら、形振なりふり構わずどんな手段でも取ってくる。だから絶対に、最後まで気を抜くな』




 ふと、あいつミティオの言葉が脳裏によぎる。


 「エレっ……!!」

 「えっ、シェリー……っ!?」


 唐突に聞こえたあの子シェリーの声。


 「ふっ、油断したな、《風の剣姫》……!!」

 「───あ───」


 我に返ると、《死神》がシェリーを羽交い絞めにして首元に細剣を突き付けているのが見えた。この一瞬で、いつの間にっ!? それに、シェリーはここにはいないはずなのに……───


 「ごめん……なさっ……わたし、やっぱりエレが心配でっ……」

 「そんなっ、シェリー……ッ……!!」


 ボクが心配になって、様子を見に……? ボクがあいつの作戦を説明した時、『エレなら大丈夫』って言って、信じてくれたのに……っ……!


 「ハハハッ、形勢逆転だな! おっと、指一本たりとも動くなよ? 大事な大事なこの娘の喉を掻き切られたくなければな」


 シェリーの首元に、つうっと赤い血がしたたるのが見えた。


 「ひっ……ああ……っ……!」

 「き、貴様ぁぁあッ!!」


 ボクは剣を握る手を痛いくらい握りしめながら叫んだ。

 奴は本気だ。あいつの言った通り、追い詰められた奴は形振り構わず手段を選ばなくなった。逃げ果せるためには、誘拐するはずだったシェリーの命すら奪うくらいには。

 この部屋に踏み込んできた騎士たちも、捕まったシェリーを見て足を止めざるを得なかった。


 「剣を置き、離れて額を床に付けたまえ。全員がそうすれば、娘は放してやろう」

 「くっ、そんな言葉信用できるかっ……!」

 「ローラン、ダメだ!」


 奴のあの目つき……あれはまずい。今の奴なら本当にやりかねない。ボクは副隊長として部下の親衛騎士を制止する。


 「そう、良い子だ……さあ、剣を捨てたまえ」


 奴の言葉に、騎士たちが歯噛みをしながら次々と剣を床に置いていく。

 こんな……奴を捕らえるどころか、守るべきシェリーを人質に取られるなんて……ッ……!! そんなにもボクは頼りにならないの!? 心配になって、様子を見に来てしまうくらいに……。ボクはシェリーのまもり、シェリーのための騎士なのにっ……!

 やがてボクも膝をつき、剣を置こうとしたその時───




 「───やれやれ……奴が何者か、それを忘れてやしないか?」




 の声が、耳元でそう囁いた気がした。

 奴が何者か……───【幻影】を操る《月夜の死神》───まさか!?



 次の瞬間、目の前の光景が一瞬かと思うと、《死神》の姿もシェリーも、跡形もなく消え去っていた。


 「なっ……!?」


 一瞬にして消えたシェリーたちの姿に、みんなが動揺する。

 やられた───全ては、【幻影】!!


 「みんな、あのシェリーはだ! 奴を追うぞっ、一刻も早くっ!!」

 「は……はっ!!!」


 号令を掛けるが早いが、ボクは奴に破られていたと思われる窓から飛び出し、【跳躍】を全力で使って中庭へ飛び出した。

 奴の【幻影】に騙されて、凄腕の暗殺者を逃がすには充分すぎる決定的な隙を与えてしまった。今から追っても間に合うかどうか……ううん、今はとにかく追うんだ!



 みんなを置いて全速力で先行して、正門の前まで来たボクが見たものは───


 「クッ……小僧がァァ!」

 「───ようエレノア。油断したか? 貸し一つだな」


 《死神》と同じ黒衣を纏い、ついでに妙な半仮面まで身に着けて、《死神》に細剣を突き付けるミティオの姿だった。


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