君と手を重ねて鐘を鳴らす
翌朝、雲一つない快晴の中、名も知らない小鳥の声で目が覚めた。
「楓、おはようございます」
隣で眠っていたカナタも同じタイミングで目を覚まし起き上がる。
ヘアゴムを口にくわえて髪をまとめて結び始めた。その仕草がまぶしくて思わず目をそらした。カナタが髪を結ぶところなんて何度も見ているはずなのに、昨日の赤い世界のカナタを思い出してしまう。
こっそりスキャンしたところ、脈拍が普段より高い。しかし、病気の兆候であればアラートが鳴るはずなので、これといって問題があるわけではないようだ。
実際、具合が悪いわけではない。むしろ、世界は今までよりも心なしか色調が明るくすら見える。ただ、時々胸の鼓動がおかしくなったり、足元がふわふわしたりする。熱があるわけでもないのに。
ぼんやりと島を二人で散歩する。カナタは昨日までと変わらないカナタのままだ。カナタとおしゃべりをするが、会話の内容がいまいち頭に入ってこない。
「丘まで競走ですよー」
いきなり言われて、反応が遅れた。
「行きますよー、よーい、ドン」
カナタが勝手に走り出した。
「あっ、ずるい。待って」
我ながら負けず嫌いだと思う。つられて走り出した。秋の涼しい風を全身に感じながら走る。空気の澄んだ道をどこまでも、どこまでも走る時間がただただ心地よかった。カナタに追いついて並走を始めると、カナタはこちらを向いて息を切らせながらニコニコと笑う。
「このまま、一緒に、ゴールするのも、いいですね」
「賛成」
スピードを落とした瞬間、カナタが足を踏み切った。スパートをいきなりかける。
「あはは、引っかかった」
「こらっ、騙したな!」
慌てて追いかける。
「だって、楓が、上の空でしたから。ちょっと、からかってみたくて」
走りながら大きな声でカナタが笑う。
「そんなに、上の空だった?」
こちらも負けじと声を張る。
「ええ、とっても。ちょっと、寂しかったですよ」
「それは、悪かったね」
走りながら叫ぶと、思いのほか体力を消耗する。それでも、カナタは軽やかに走っている。結局、丘につくまでカナタを追い抜けなかった。
「ねえ、楓」
ゴールに設定していた丘の階段の前でカナタが立ち止まって振り返る。その間に、カナタに近づいた。
「ぐーりーこっ」
カナタが呪文を唱えて、目の前に掌を突き出した。キョトンとしていると、「グリコ」という古代遊戯のルールを説明された。「じゃんけん」をして勝った方が既定の文字数進む遊びらしい。
「さっきは騙すような真似してごめんなさい。せっかく一緒にいるのに、カナタが考え事していて寂しかったのでちょっと意地悪しちゃいました。今度はズルしませんから」
カナタが顔の前で手を合わせて舌を出した。もともと怒っていないけれども、こんな対応をされたら絶対許してしまうに決まっている。
「ぐーりーこっ」
「ち・よ・こ・れ・い・と」
じゃんけんに勝つたび、嬉しそうに飛び跳ねるように階段をリズミカルに上るカナタを見ていると、負けるのも悪くないなと思った。
「ぱ・い・な・つ・ぷ・る。やった、ゴール。自分の勝ちですね。対戦ありがとうございました」
「はいはい、参りましたよっと」
嬉しそうに振り返るカナタが、こんな取るに足らないゲームでもきちっと挨拶をする。
汗をかいたので、カバンからスポーツドリンクを取り出して飲んだ。パイナップルフレーバーがやたらタイムリーだと思った。カナタは、はちみつレモンのフレーバーのスポーツドリンクを飲んでいた。
「それ、美味しそうですね」
「一口飲む?」
「いいんですか?いただきます。よかったら、はちみつレモン味もどうぞ」
カナタからもらったはちみつレモンフレーバーは想像の3倍甘ったるかったけれども、嫌いな味ではなかった。パイナップルフレーバーを飲むカナタの喉が動くのを凝視した。
「あんまりじっと見られると、ちょっと恥ずかしいです」
視線に気づいたカナタが顔を赤らめた。
「ごめん、カナタって妖精みたいだなって思って」
「妖精、ですか?」
不思議そうに首をかしげて復唱された。
「昨日はインセクト・テイマーみたいだなって思ったけど、今日は妖精みたいだなって。うーん、トータルで魔法使いが一番しっくりくるのかな」
「魔法使い、ですか。なるほど」
鐘のモニュメントの隣で青い海を見下ろしながら、とりとめもない会話をする。海には小さな島がぷかりと浮かんでいる。カナタがちらりと右腕の時計に視線を落とした。
「今から見せてあげましょうか、魔法」
カナタが、モニュメントを指さした。
「この鐘を一緒に鳴らしてくれますか?」
「うん」
「いきますよ、せーのっ」
二人で手を重ねて鐘を鳴らす。鐘の音が遠く響き渡る。すると、海岸から道のようなものが出現した。波が引くたびに、少しずつ道は長くはっきりと浮かび上がっていく。太陽が照らす道の先には小さな島があった。そして、ついに道はつながる。その神秘的な光景に目を奪われた。
「すごい……カナタは本当に魔法使いだったんだ」
「そういうことにしておきますね」
カナタが耳元でささやいた。耳が熱を持った。
階段を下りて、小島への道を渡る。砂の一粒一粒が、太陽の光を浴びて煌めいていた。
「映像じゃなくて本当に道ができてる。どうやったの、この魔法」
自分の手の甲に触れる。同じ時期に生まれたカナタの体内に埋め込まれたチップとそう性能に大きな差があるとは思えない。ナノチップにはそんな機能も搭載されているのだろうか。
「トリックを聞くのは野暮ですよ」
「だって、気になるじゃん」
「あんまり無粋だと、天使様に怒られちゃいますよ」
唇にカナタの人差し指が触れた。
「天使様?」
「この道は、天使の散歩道なんです」
ミステリアスなほほえみを浮かべてカナタが答えた。
「この道を渡ったら、天使様のご加護を受けられるって信じています」
「へえ、ここも何かの聖地なんだ」
「そうですよ。先ほど鳴らした鐘も、鳴らすと幸せになれると言われています」
宗教のことはよく分からないし、神の実在を信じているわけではないが、実際に今とても楽しいのであながち伝説も嘘ではないのだと思う。もう小さな子供ではないので、道の出現が魔法ではなく、科学的な何かに基づいた現象だということも頭では分かっている。それでも、心の中ではあれはカナタの魔法だということにしておきたい。
「聖地か。えーっと、狩りの神様のアルテミス様だっけ?の加護がある島なの?ここって」
うろ覚えながら遺跡でカナタが言っていたことを確認してみる。
「いいえ。違いますよ。楓にとっては前時代の概念かもしれませんが」
一呼吸間をおいてカナタが告げる。
「ここは、恋人の聖地です」
鐘の音が脳の奥でリフレインした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます