第二部 序



 この世界で、魔女という言葉は廃れて久しい。

 教会が使う魔術師や魔法使いという言葉は、性別に関わらず広く使われている。

 極めて自然なことなので、それがことさら話題になることはない。

 宇宙レストラン船オンタリオの船内でも、コックやエンジニアという単語に性別はない。


 ウェイターとウェイトレスという古い言い方は男女で使い分けるが、今では一括りに給仕人サーバーとか単にアテンダントと呼ばれることが多い。

 そんな具合でオンタリオのクルーとしては、男子が気になる女子三人組以外は、性別に対する関心が比較的に薄かった。



 そんな油断を突いて、エレーナの一言が船内を凍り付かせた。

「さっき聞いたばかりなのだが、実はジュリオが元々女性だったとは知らなかったのだ!」

 何気なく言い放った時には全員がエレーナを振り返り、その顔が少しも笑っていないのを確認して、そのまま一斉にジュリオへ向き直った。


「なんだ、今更。そんなこたぁ、みんな知ってただろ?」

 四十代半ばでやや太り気味、薄くなりかけた天然パーマの髪を気にしている立派なおっさんであるジュリオが、手にしたドローンを両手で胸に抱えて、乙女のように頬を赤く染めた。



「「「「嘘!?」」」」


「えっ、俺は言ってなかったか?」


「どうして出撃前のこの大事な時間に、急にそんなことを言い出すんだ!!」


 それはレストラン船オンタリオが砂漠の惑星エランドの過去へ戻り、滅亡を待つエギム救出作戦へ出発しようという、緊迫した朝の出来事だった。


「いや別に、些細なことだしよ………」

 ジュリオにそれ以上の動揺はない。



「あれ、知らないのは、私だけじゃなかったのだ?」

 エレーナの言葉にも、もう返す者はいない。


「…………」

 残る四人は衝撃を受け、無言でジュリオを見ている。


「ハロルドは、知っていたぞ」

 ジュリオは、視線を足元に逸らした。


「……」



 この時代、性転換自体は、それ程珍しいことではない。

 だからこそ、その事実を隠す者も少なく、一般的な話題として、日常の会話に普通に上っていた。


 わざわざ隠すようなナイーブな一面がジュリオにあるとも思えず、今までオープンにできない、何か込み入った事情があるのかと思うと、一同は困惑を隠せない。


「実は、古代地球では、今日は特別な日なんだ。だから、今これを話していることには、重大な意味がある」


「なによ、それ」

 シルビアの言葉には、なぜか怒りが滲んでいる。



「古代地球において、今日、四月一日というのは、年に一度、他愛のない嘘をついても笑って許される、特別な日だったらしい。もっとも、そうそう騙されるような間抜けは少なく、みんなでジョークを笑って楽しんでいたらしいがな」


「…………」

 五人は黙り込んだ。


「ほら、肩の力が抜けて、緊張がいい具合に解けただろ。さ、そろそろ行くか?」


「いやジュリオ、見てわからないの、これ」

 コリンが言うように、肩の力が抜けるどころか、余計に力が入って、怒りに震えている者が複数いる。


「……くそっ、こんな大事な時に下らないことを。全部終わったら、覚えてろよ!」

「余計なことをする間抜けは、ただでは済まさないのだ!」

「覚悟しなさいよ。これで生きて帰る確率が、かなり下がったかもね!」

「実はわたしは、元ネコだったのだ!」

「……いや、それは嘘じゃないし、みんな知ってるけど……」



 他愛のない嘘がタイミング次第で喜怒哀楽を誘い、時には人の一生を左右したり、歴史を変えたりもする。


 エギムの救出は無事に成功し、それに続く諸々の後始末を終えて元の時間へ戻ってきたレストラン船オンタリオの一行は、緑の魔境、惑星ヴィクトリアへと向かった。

 エレーナはそこで、期せずして姉のメアリーと再会することができた。

 しかし、他のクルーたちはどうだろう?


 ML1521年4月1日、コリンがエギムの町民一万人を転移させた先は、二年近く経過した、ML1523年1月12日だった。

 全てのミッションを終え惑星ヴィクトリアにレストラン船オンタリオが戻ったのは、それから42日後の、ML1523年2月23日。


 エランドの住民は、ハロルド、いや「天の枷」の首領エリックにより転移直後に発見され、地元の保安部隊と協力して救助に当たった。

 今では住民たちは各地へ分散して、それぞれの新たな暮らしを始めている。

 その中には、コリン、ケン、シルビアの家族や、ジュリオとも関係の深い友人知人が含まれている。


 コリンたちは、次々と降りかかる諸問題を解決する中で、自身の消息を家族に伝えることもできていなかった。



 シェルターからの救出者リストにコリンたちの名前がないことで、家族や知人にどれだけ心配をかけ、悲しませているだろうか。


 本来、先に町を脱出した四人は、『事情があって惑星を出て、宇宙で仕事をしている』。

 そう伝言を残すつもりだった。



 五人でなく四人なのは、行方不明者リストには、当時飼い猫だったニアの名前が記載されていなかったからだ。

 後々のことを考えれば、ネコのニアはあの日に行方不明になったままの方が、都合がよかろう。


 エレーナの力を借りれば、教会を通じて家族へ無事を知らせるくらいは、できそうだ。

 だが既に救出から42日という時間が経過してしまっている現在、彼らはどうするべきなのか、悩んでいるのだった。


 本来、家族や知人とは二度と会えなくなる覚悟で着手した、エギム救出作戦だった。

 家族や友人に会いたくないのか、再び一緒に暮らしたくはないのか。そう問われれば、会いたいに決まっている。


 ガーディアンという特殊な立場を人には言えず、そもそも自分たちも完全に理解してはいない。だが最低限、因果律の安定を第一に考えるのならば、安易な行動は控えねばならない。

 そうは思っていても、せめて家族には一刻も早く、自らの無事くらいは伝えておきたいものだ。


 コリンの時間転移を使えば過去に戻ってメッセージを残すことは可能だが、これ以上過去に干渉することは許されないだろう。



 六人が話し合った結論は、こうだ。

 コリンの強引な時間転移により、救出された一万人は二年弱先の未来へ突然放り出されたことになる。その人々の年齢は世界の時間戦から外れ、その分だけ若い。


 その非常識な混乱と、町を失い今後の暮らしの基盤をどこにどう求めるのかという問題に、全員が直面しているだろう。

 その解決には、まだまだ多くの時間を要するに違いない。


 その一方、コリンたちの時間では、エギム脱出から約二年近くの間に、あまりに多くのことがあり過ぎた。


 コリンたちクルーは救出者名簿に名前がなく、町の崩壊時に独自のルートで脱出した後に惑星を離れた、という記録が近いうちに発見されるだろう。


 彼らがエランドの軌道ステーションから転移した後、銀河ネットワークのどこでどうしているのかは不明である。

 それが教会を通してエギムの救出者たちに伝わるのは、もう少し後のことになる。



「さて、次はどこへ行くんだ?」

 惑星ヴィクトリアのある星域から離れるにあたり、まだ次の行き先も決めていない。


「さすがに、エランドへ戻るのは止めた方がいいよな」

 ケンはシルビアを見ながら呟く。

 シルビアとしては、今すぐにでも家族に会いに行きたい、と言いたいところだった。

「仕方がないわね」


「じゃ、どこかで営業するか」

 ジュリオの意見に、反論はない。

「忙しいのは嫌よ」

「できればもっと休みたいのだ」

「わたしは珍しい場所へ行ってみたい!」

 ニアの言葉に、ジュリオが首をひねる。


「賑やかな大都市のある惑星で、ひっそりと営業してみるか?」

「大都市?」

「オレたち田舎者には、ちょっと荷が重い……」

「もっと栄えた星も、一度見ておくべきだと思うぞ」



 母なる地球をオールドアースと呼ぶが、それならばニューアースもあるのか?

 答えは、ある。

 それも片手では足りないほどに。


 ニューアースにネオアース、ネクストアース。スーパーアース、ウルトラアース、アルティメットアース、セカンドアースとサードアース。ホットアースにクールアース。スマートアースにサスティナブルアース。トゥルーアースにアナザーアース……

 我こそはと思う開拓惑星が、勝手に名乗っているだけなのだが。


「まさか、ニューアースに行くとか?」

「ああ、それもいいな」

「本当に、大丈夫なの?」

「別に、取って食われるわけじゃないだろ?」

「そんな場所で、本当に営業できるのかってこと。観光に行くんじゃないのよ!」

「え、観光に行くんじゃないの?」

 ニアが相当がっかりした声を上げた。



「ま、ちょっと調べてみようぜ」

「じゃ、シル、お願いね」

「わからないことは、みんなシルビアにまかせるのか?」

「そうなのだ」

「違うでしょ、こんなの誰でもちょっとネットから情報を引き出すだけじゃない」

「いや、オレたちじゃよくわからんし」

「そうだね、頼むよ」


 というわけで一行は、オールドアースに似た、銀河ネットワークの中心地と呼ばれる惑星を目指すことになった。



  

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