第2話 フグ吉君さらに頑張る(1/2)
俺は桜のフグ吉。
変な名前だって?
そりゃ俺も承知の上だ。だけど親木から貰った名前に子木が文句を言う筋合いはない。自分を恥じるよりもこの名を笑った相手をぶん殴る方がずっと筋が通っている。
俺には一つ、でっかい悩みがある。
それは死体だ。
その昔、人間の偉い文豪が言ったそうだ。
『桜の木の下には死体が埋まっている』と。
その人間がどうやって俺たち桜の最大の秘密を知ったのかは知らない。だがそれは真実だ。
一人前と言われる桜の木はどれも立派な死体がその下に埋まっている。例外はない。だから死体が埋まっていない桜の木はただの半ちく者として扱われる。
それが俺の悩みの種だ。
俺はこんなに立派な枝ぶりに大きな体躯で、春にはそれはそれは見事な花を咲かせる。それでも死体が埋まっていないために、俺は他の桜の木から馬鹿にされ続けている。
ひどい話だ。
だが己の身の不運を嘆くよりはまず一歩でも前進することだ。そう、俺はポジティブなのだ。
俺は自分の木の下に埋めるべき死体を探し出すことにした。
今の日本は死体は出来た端から焼いて灰にしてしまう。だから死体そのものを手に入れるのは難しい。そこで発想を転換してまずは死体を作ることにした。幸いこの国には一億人近い人口がある。少しぐらいくすねたって問題はない。
だがこの試みは失敗した。与しやすそうに見えた相手が驚くべき反撃をしてきたのだ。俺とその人間は力の限り戦い合い、そうこうしている内に桜の季節は終わり、俺は再戦を約束してその場を去った。
俺はなんて馬鹿なことをしたんだと後で悔やんだ。
結局のところ問題は何も解決していないのだ。そう、俺は次の一年が待てなかった。
思い余って遠い親戚である泰巌じいさんに相談した。
泰巌じいさんは五百歳を越える桜の木の大長老だ。その身分にも関わらず俺の相談を笑わずに辛抱強く最後まで聞いてくれた。
「フグ吉よ」じいさんは言った。
「お前の真の望みは何だ? 他の桜の木に尊敬されるのが夢であろう? ならば普通の死体で良いわけがない」
「どういうことです?」
「儂の死体を見ろ」
そう言うと泰巌じいさんは自分の手持ちの死体を取り出してみせた。それは古い古い死体で元は綺麗な衣装だったと思われる古衣に包まれた干からびたミイラであった。その死体は元は武将のものらしく髷を結っている。
「これはな右大将織田上総介信長殿の遺骸じゃ」
「!」
「本能寺から逃げようとしている所を儂が襲って自分の死体としたのじゃ。よいか、フグ吉。ただの死体では駄目なのじゃ。他と異なる偉大な者の死体を埋めて初めて桜の木としての格がつくというもの」
俺は泰巌じいさんの言葉に感銘を受けた。そして自分が何と低い所を目標としていたのかを理解した。
誰もが羨むような死体を手に入れること。
それが俺の新たなる目標となった。
*
やはり有名な人の死体でなくては駄目だ。
そこで俺はこの国で一番有名な人を狙うことにした。日本人なら誰でも知っている人、すなわち天皇陛下だ。
夜の闇に紛れて皇居に近づく。人が通りかかったときは街路樹のフリをしてやり過ごした。俺ぐらいの歳の桜の木はどれも歩くことができるし喋ることもできるが、人間が二人以上いる場所でそれをやるのはタブーとなっている。一人なら夢を見たで済まされるが、複数だとゴマカシが効かないからだ。もちろんスマホで撮影されるのなんかは最悪だ。
少しづつ少しづつ皇居に近づく。さすがに皇居の門にはいつも人間の警官の目が光っているので通り抜けるのは無理だ。
そこで俺は掘に飛び込んだ。派手に水しぶきがあがる。それでも俺は木だから水には浮く。水音を聞いて警備がやってきたが、堀に浮いている俺を見て舌打ちし、明日は引き上げの連絡をしなくちゃなどとブツブツ言いながら引き上げていった。
人気が無くなると俺は両枝を振り回して水を掻き前へ進んだ。そのついでに葉っぱについていた桜毛虫が軒並み洗い流される。結構いい気分だ。今度から水泳を趣味にするかな。
その先は大変だった。自分でも驚くべき苦労をして堀の石垣を登る。
さて、天皇陛下はどこにおわします。皇居の中を適当に当たりをつけて歩き回る。
ここでも人に出会うと街路樹の振りだ。意外と誰も俺のことを疑う人間はいない。桜の木は歩き回らないという人間の常識が俺を透明にしている。
どうしても見つからないので、元からここに植わっていた桜たちに道を尋ねてみることにした。
「あのう。すみません」
「なんだ。あんた見ない顔だな」
実はこういう木でして。天皇陛下を死体にして俺の木の根元に埋めようかと・・。
そこまで説明した段階で相手が激怒しているのに気がついた。
「こんカバチが。言うに事欠いて陛下を弑し奉るだと! おい、みんな、集まれ。この不敬者をタコ殴りにしろ!」
タコ殴りにされた。
俺は這う這うの体でまた堀に飛び込むと全力で泳いで逃げた。
桜の木たちは水の中にまでは追って来なかった。
つまりはそこまでして俺を片付けるつもりはなかったということだ。自分たちは畏敬している振りをしているが、所詮はそこまでということ。
ひどい失敗であったが、俺はそう考えて素早く精神的に勝利した。何より大事なのは自分のプライドを守ること。
どうせあのブドウは酸っぱいさと呟いてから皇居を後にした。
*
泰巌じいさんは俺の話を聞いて笑い転げた。笑うにつれて古びた樹皮がじいさんの体から剥がれ落ちる。じいさんはもう五百年の間、風呂に入っていない。
「フグ吉よ。オヌシ、知らなんだか?」
「何をです?」
どこかにぶつけて痛む枝をさすりながら俺は訊いた。
「気づかなんだか? 皇居に居る桜たちは、実はみなお前と同じく天皇陛下を狙っておるのじゃよ。それも果たせず長い間順番待ちをしているところに新参者が来て横から掻っ攫おうと言うのだから怒ったわけだ」
何だ、みな同じ穴のムジナ、いや桜か。しかしあの有様では順番待ちなんかしていたら死体が手に入るのは千年も先の話になってしまう。俺はこの計画を諦めた。
*
さて困った。俺は無い知恵を絞って考えた。
そうだ。有名な政治家はどうだろう。国会議事堂へ行けばきっとよい死体が手に入るだろう。なにせあそこは魑魅魍魎の巣なのだから、死体ぐらいは皆で看々踊を躍らせるぐらいたくさんあるだろう。もっともいくら豊富に自殺死体が手に入るとは言え、政治家秘書の死体なんかでは桜の木としての箔がつくとは思えない。
国会議事堂に忍び込むのに三日かかった。なにぶん人が多くて、大部分の時間を街路樹に化けていたからだ。
議場の周りの小部屋の窓の外にたたずみ、チャンスを待ってそこで過ごした。狙いはやはり総理大臣だ。ポコンと頭を殴り、首を絞めてから素早く地面に埋める。それだけで俺は有名人の死体持ちの桜に昇格できる。簡単だ。
もし、総理大臣が一人になってくれるなら、それも可能だっただろう。結局その機会は一度も訪れなかった。
それならばと他の大臣も狙ってみたが、そのどれも機会がない。どのお偉いさんもいつも大勢の人間に囲まれてただヘラヘラと笑っているだけであった。
その内に、俺は彼らに興味を失ってしまった。
桜の木しかいないと知って彼らがした会話の内容は、賄賂に談合にエロ話にゴルフの話だけだったのだ。これが国を動かしている者たちの本性なのかと俺はひどく幻滅した。
こんなクズどもを自分の木の下に埋めたりしようものなら、俺の木まで腐り果ててしまう。
そう見切ると、早々に俺は引き上げた。
*
泰巌じいさんは俺の話を聞いて笑い転げた。あまりにも笑い過ぎたので、じいさんの体の洞から虫が一匹逃げ出したぐらいだ。
木食い虫だ。じいさんももう長くはないらしい。
「フグ吉よ。こうなれば方向性を変えてみないか」
「と言いますと?」
「つまりだな、偉人ではなく有名人で良いのではないかと言うことだ。例えば儂は昔イギリス留学から帰って来た桜に遭ったことがあってな。そいつの持っておった死体はロンドンの夜を恐怖に陥れた殺人鬼の切り裂きジャックだった」
俺は絶句した。そうか、その方向があったか。犯罪者の死体がこれほどの衝撃を与えるとは。確かに盲点だった。
さっそく俺は捜査を始めることにした。
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