(短編版)スミレ荘の恋物語 

陽咲乃

第1話 貴志くんを応援したい(前編)

 わたしと母が住んでいるスミレ荘は、2階建ての古い木造アパートだ。

 駅から少し遠いけど、家賃が安いし、周りの環境も悪くない。この春から通い始めた中学も、歩いて5分のところにある。


 わたしたちの部屋は1階の101号室。隣の102号室には美作貴志みまさかたかしくんという小説家志望の青年が住んでいる。


 貴志くんはわたしより9歳年上だけど、童顔なので高校生くらいに見える。いつも似たような黒のジャージ姿で、かみも伸ばしっぱなしだ。


 そんな貴志くんを見かねた母が、

「もう我慢がまんできない。せっかくの可愛い顔が台無しじゃない! お願いだからカットさせて」

 と叫ぶように言うと、床屋代が浮くと貴志くんは喜んだ。


 ***


 スミレ荘は大家さんの家に隣接していて、ぐるりと塀に囲まれている。


 母は、庭にある木のベンチに貴志くんを座らせ、わたしが子どもの頃に使っていた散髪ケープを彼の首に巻いた。

 ちょっとおかしな光景だが、貴志くんはおとなしくしている。


「どんな髪型にしようかなぁ」

 母はハサミをチョキチョキしながら、貴志くんの後ろに立つ。


「お母さん、なんでそんなに張り切ってるの?」

「だって、あおいは切らせてくれなくなったから、久しぶりなんだもん」

「いくら器用でも、美容師さんの方がうまいからね」

「それはそうだけどさあ」


 口をとがらせている母に、わたしはそっと耳打ちした。


「前髪は短くしてね」

「貴志くんの目、きれいだもんね」

 母もヒソヒソ声で話す。

「でも、ほんとにいいの?」

「何が?」

「顔をさらけ出すとモテちゃうかもよ」

「え…………やっぱり、ちょっと長めで」


 わたしは何か言いたげな母を制して言った。

「アレだから! 貴志くんは大人女子が苦手だから、あんまり目立たない方がいいでしょ」  

「はいはい。素直じゃないわねえ」


 そう言いながらも、前髪は長めにカットしてくれた。

 

 ***


 中学には広い図書室があるので、貴志くんの好きな太宰治や夏目漱石の小説を少しずつ読んでいる。

 難しそうな話ばかりかと思ったけど、夏目漱石の「坊ちゃん」は意外と読みやすくて面白かった。

 

 ある日、学校から帰ると、庭のベンチに貴志くんが座っていた。


「おかえり」

「ただいま」


 わたしは制服のまま貴志くんの隣に座った。花だんには、色とりどりのチューリップと紫色のスミレが咲いている。


「きれいだね」

「うん」


 貴志くんはチラリとわたしを見て言った。

「制服、初めて見た」

「あ、そうだよね! どう? 似合う?」


 わたしは立ち上がってくるりと回ってみせた。ブルーのチェックのスカートがひらりと揺れる。


「うん。似合ってる。ブレザーだと大人っぽく見えるね」

 

「えー、そうかなあ。えへへ、ありがとう」 


 ベンチに座りながら、「図書委員になったよ」と報告した。


「へえ、いいなあ。僕、いつもジャンケンで負けて、一度もできなかったんだ」


「図書委員って意外と人気だもんね。せっかくだから、いっぱい本を読んでみようと思って」


「いいねえ」

 貴志くんはうれしそうにうなずく。


「貴志くんは? 新作書いてる?」


「……書いてるよ」


 目が泳いでる。


「嘘つき」


「だって、小説家志望でバイトしかしてないのに、書けないなんて恥ずかしいじゃない」


「たまには若者受けしそうな話でも書いてみたら? ほら、ネットで流行ってるじゃない。異世界に転移して魔王を倒したり、悪役令嬢に生まれ変わって復讐したりする話」


 貴志くんはジトっとした目でわたしを見る。


「僕は、そういう流行りに乗っかるような小説、書きたくないんだ。最近のネット小説ってどうかと思うよ。みんな似たような内容で、チートだの、ざまあだのってさあ」


 あ、意外と読んでるんだ。


「そんなこと言ってると、一生コンビニのバイトから抜け出せないかもよ」

「ぐはっ」


 プライドの高い文学青年の心をチクリと刺してやった。


「……昔の文豪たちは貧しい生活のなかで素晴らしい作品を生み出したんだ。坂口安吾とか石川啄木とか」


 ブツブツとつぶやく貴志くん。

 その人たちって、結構、問題ありの人たちじゃなかったっけ。


「とにかく、早く新作書いてよ。もう2か月くらい何も書いてないでしょ」


「そんなポンポン書けないよ」


「じゃあ、また締め切り決めようよ。そうだなあ、土曜日までにあらすじだけでも考えておいて」


「ええっ! 1週間もないじゃない」


「今回のお題は『学校で起きたミステリー』にしよう。うん、面白そう。楽しみだなあ!」


 もうっ、ミステリーなんて書いたことないのにと言いながら、貴志くんはあわてて部屋に戻っていった。

 




 

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