第二話 今度はフェニックス! 

宿命の戦い

 遙かなる、いと高き塔。

 その最上階。鳥すら訪れることのないその空間において、燃えさかる炎のなかよりひとつの生命が現れ出でた。

 フェニックス。

 太陽の化身たる不死の鳥。

 フェニックスは燃え盛る翼を広げ、くちばしを開いた。

 「……わらわは再び生まれたのじゃ。ならば、あやつ、フェンリルめも目覚めておるはすじゃ。前回の戦いではわらわが敗れたのじゃ。じゃが! 此度こたびは負けぬ。わらわとあやつとが本気で戦えばその余波よはを受けて世界は滅びるのじゃ。しかし、多少の犠牲はやむを得んのじゃ。あやつに太陽を呑ませぬため……わらわの全力をもってほふってやるのじゃ」

 その言葉と共に――。

 燃え盛る日の鳥はいと高き塔を飛び立った。


 そして、その頃。

 フェニックスの宿命の敵たる太陽を呑む魔狼フェンリルは――。

 「うむ。うまい」

 すっかり、単なるチーズ好きの『デッカい犬』と化してぽかぽか陽気の午後の一時を楽しんでいた。

 「これが、山羊やぎ乳のチーズか。魔獣神獣の乳ならずとも、チーズというものは実にうまいものだな」

 「もちろんです!」

 フェンリルの言葉を受けて――。

 『ふんぬ!』とばかりに鼻息荒くふんぞり返って見せたのは、カッテージ・カマンベール。その名も高き――と、本人は思っている――チーズ令嬢カティである。

 「チーズは母の愛。子を育てるために、おのれの生命を削って生み出したおっぱいから作られるチーズがまずいなんてそんなこと、あるはずがありません」

 というか、あってはいけない!

 両拳を握りしめ、そう力説するカティである。

 「うむうむ。この芳醇ほうじゅんにしてコク深き味わいを知れば、その言葉も納得いくというもの」

 「はい! 山羊やぎのおっぱいから作るチーズは独特の匂いと酸味があって苦手な人は苦手なんですけど、食べ慣れるとみつきになるんですよ、これが」

 「うむうむ。この味わいがわからぬとはもったいない。実にもったいない。どれ。次はどのようなチーズがおすすめかな?」

 「これで行きましょう。水牛のチーズです」

 「ほほう、水牛とな。それはおもしろい」

 「薄くスライスしたバゲットににハムをのせて、アスパラを並べて、その上にチーズをかけて、オープンサンドにして……さあ、召しあがれ」

 「ほほう。これは豪勢な。では、いただくとしよう」

 フェンリルは太陽すら呑み込むその口で、チーズのたっぷりのったオープンサンドを一呑みにした。たちまちいかつく精悍な狼の顔が、すっかりゆるみきった飼い犬のそれになる。

 「うむ。うまい。この上品な乳の風味と濃厚な甘味。バゲットのシンプルな風味に実によく合わさって……水牛のチーズがこれほどに美味なるものとは」

 「ワインもありますよ。このオープンサンドにはワインがよく合うんです。お日さまの日差しをたっぷり浴びて育ったブドウから作られた素敵な一品。これも、開けましょうね」

 「おお、それは素晴らしい。日差しをたっぷり浴びて育ったブドウから作られたワインか。太陽のもとには美味なるものが多々あるのだな。いや、まったく、われはなにゆえ太陽を呑み、世に闇をもたらしていたのやら……」

 ぽかぽかと暖かく、お日さまが輝き、そよ風が吹く草原。そこにシートを広げ、ランチを広げる若い娘。どこからどう見ても平和でのどかなピクニック風景。相手を務めるのが象ほどもある、人語を解する巨大狼でなければ、の話だが。

 ともかく、少々の違和感はあるにしても平和でのどかなピクニック風景にはちがいない。

 その風景が一変するときがきた。

 急に日が陰った。

 そよ風が突風にかわり、荒れ狂った。

 大気を裂く叫びが響き渡った。

 「フェンリール!」

 怒りに満ちたその叫びと共に――。

 巨大な羽音が響き渡り、辺り一面を、大地を焼き尽くす酷暑が支配した。

 「な、なんです、いきなり……!」

 カティは突風に吹き飛ばされまいとフェンリルにしがみついた。

 空を見た。

 そこに、それはいた。

 太陽を隠し、空一面を覆い隠す巨大な鳥。羽ばたくたびに火の粉をまき散らし、長く伸びた尾羽からはキラキラと輝く金粉のように、光をこぼす美しい鳥。

 フェニックス。

 太陽を呑む魔狼フェンリルと対をなす存在。

 神話の時代から戦うことを宿命づけられてきた太陽の化身。

 そのフェニックスがいま、宿敵たるフェンリルを見つけ、戦いを挑んできたのだ。

 「な、なんですか、あの鳥さんは…… あたしに恨みでもあるんですか!」

 カティはフェンリルにしがみついたまま叫んだ。事情を知るものが聞けば『なんと呑気な叫びを』と思ったにちがいない。

 「あれは、太陽の化身フェニックス。恨みがあるのはそなたにではなく、われに対してだ」

 「フェンリルさんに恨みが? どういうことです⁉」

 「あやつとは、世界の命運を懸けて神話の時代から戦いつづけてきた仲でな。前回はわれが勝った。その恨みを晴らすべく、襲ってきたというわけだ」

 「そんな……! いきなり、ひどいです!」

 カティが叫んだそのときだ。

 フェニックスは両の翼を大きく広げた。全身が真っ赤に輝き、巨大な翼から無数の、そう、無数と言っていい数の光の羽が放たれた。

 光の羽は大地に刺さり、その圧倒的な熱量で周囲にあるものすべてを蒸発させる。

 「きゃあっ!」

 カティが悲鳴をあげた。

 フェンリルは自らのまわりを絶対零度の闇で包み、フェニックスの光の羽に対抗する。

 光と闇。

 ふたつの力がぶつかり、互いに食らいあって消滅していく。

 「なんとかしてください、フェンリルさん! 熱いです、苦しいです、このままだとチーズが作れなくなっちゃいます!」

 「……気にするのはそこなのか? 生命の心配をする気はないのか?」

 「チーズが作れるなら死んだってかまいません!」

 「ここで、その言葉を使うのは用法をまちがっている気がするが……まあ、よい。われもそなたの作ったチーズを食せなくなるのは困る。なんとかしたいところだが、しかし……」

 「なんです⁉」

 「われとあやつが本気で戦えば世界は滅ぶ。前回の戦いでもそうだった。われとあやつの戦いの余波よはによって、生きとし生けるものすべてが死に絶えた。生き残ったのは新たな世界の始祖となったふたりの人間だけ。その事態が再現されてもよいか?」

 「ダメです、困ります、いけません! チーズが作れなくなっちゃいます、あたしの作ったチーズを食べて幸せになってくれる人がいなくなっちゃいます! そうだ、フェンリルさん、これを!」

 「む? おお、そうか。その手があったか」

 フェンリルはカティの差し出した『それ』を前足で受け取った。

 そのとき、フェニックスは大地もろともフェンリルを焼き尽くすべく、攻撃の準備に入っていた。巨大なくちばしを大きく開け、いままさに必殺の一撃を放とうとしている。大きく開かれたくちばしの奥。そこに、地獄の業火ごうかを思わせる渦巻く炎の固まりがあった。

 その炎が放たれるまさに寸前――。

 「フェニックス! これを食らえいっ!」

 フェンリルがカティから渡された『それ』を前足で投げ付けた。狙いはあやまたず、『それ』は大きく開かれたフェニックスのくちばしの奥深くに飛び込んだ。

 「ぬおっ……!」

 思わぬ反撃に、さしものフェニックスも動転した。声をあげ、姿勢を崩した。浮力を維持できず、その巨体がきりもみ状に落下した。激突した。地面に。その衝撃で地面に巨大な自身が走った。

 「う、ううううう……」

 フェニックスはあまりの衝撃に地面でのたうち回りながら叫んだ。

 「うまい……!」

 『ふん!』と、カティは両手を腰に当ててふんぞり返った。

 「そうです、おいしいでしょう。それが、フェンリルさんのおっぱいから作ったチーズです!」

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