隣の部屋の桜さん

華月ぱんだ。

第1話

僕の隣の部屋に住むのは、化け物だ。


そう言うと、彼女はきっと不満げに頬を膨らませて怒るのだろう。か弱い乙女になんてことを言うのだと。

確かに、彼女は僕と同じ年の可愛い女の子だ。

だけど、化け物なのだ。きっと。


僕の部屋は、特に特筆すべきところもない一人暮らし用の築15年のアパートだ。

近所を親戚に固められた窮屈な田舎から18で飛び出してから、早3年。上京する為に受けた大学の単位も残り少なく、ほぼ惰性で通っていたとある日。

彼女は隣に引っ越してきた。


佐倉 桜さん。


クリーム色の長い髪を高い位置でまとめあげて薄化粧をした彼女は、花を重ねた名前を持っていた。

彼女も、大学生で通学のために越してきたらしい。

とても綺麗な人だった。

これからよろしくと渡された菓子折は、大型のスーパーならどこにでもあるような在り来りなクッキーだった。

何も無ければ僕と彼女の関係もクッキーと同じように、在り来りな隣人のままだっただろう。


在り来りじゃなくなったのは、つい最近。


きっかけはある夜だった。

その日は、恋人に振られた友達に付き合って珍しく酒を飲んで帰ってきていた。

泥酔ほどでは無いけれど、ほろ酔い気分でふわふわと歩いて部屋の扉を開けようとすると、隣の扉から変な音が聞こえた。

今まで生きてきた中で1度も聞いたことがない、兎に角変としか形容し難い音だった。

不審に思った僕は、お酒の力もあってインターホンを鳴らした。

バタバタとなにかを動かす音がして、直ぐに扉が空く。

慌てたように飛び出した彼女は、その日は黒縁のメガネをかけていた。

何か変な音が聞こえたから大丈夫かと心配したと言うと、彼女は引き攣った愛想笑いを浮かべて大丈夫だと食い気味に答えた。そしてそのまま僕を部屋から押し出す。

大丈夫だとまた言って、彼女はおやすみなさいと扉を閉めた。

僕は暫くぼおっとして、大丈夫というのならとその日は部屋に帰った。

彼女の部屋からは、少し生臭い匂いがした。


翌朝には酔いが覚めた僕は、暫くその事を忘れていた。

テストが近くその勉強と、課題のレポートに追われていた僕には、他のことを気にする余裕がなかったのだ。

次にあの夜のことを思い出したのは、テストが終わってしばらくたった昼下がりだった。

その日はなんだか熱っぽくて、バイト先を早めにあがらせてもらって帰っていた。

隣の部屋の窓は少し空いていて、そこから隣の音が漏れていた。

呻き声と悲鳴が聞こえた。

何事かと飛び上がり、インターホンを鳴らす。

大丈夫かと声をかけると、扉が空いて彼女が少し顔を出した。

今度は髪を下ろしていて、その顔に少し血がついていた。

大丈夫です、ご心配をおかけしました、と頭を下げて彼女はまた扉を占める。

それ以上踏み込むことは出来ず、寒気を感じた僕はそのまま部屋に帰って寝込んでいた。


次に違和感と遭遇したのは、ある雨の日だった。

僕は雨が降ると大抵頭痛に襲われ、一日中体調が良くない。

がしかし、その日は昼過ぎから雨が降りだしたので朝早く干した洗濯物があった。それを取り込もうとバルコニーへ出る。

少し湿ったそれらを回収していると、ふと隣の洗濯物が視界に入った。

それは血のついたシャツだった。


ここまで色々と重なると、人間色々と邪推をし出すものだ。

もしかして彼女は、なにか法に触れる様なことをしているのではと僕は少し怯えていた。考えすぎかもしれない。だけど、彼女の部屋からは定期的に何かが焦げたような匂いや、何かが腐ったような匂いがするのだ。それから、彼女の部屋から出るゴミは異様に多い。

観察しているように思えるかもしれないが、同じ大学生のせいか家を出るタイミングが揃いやすく、ゴミ出しのタイミングもほぼ同じなのだ。誤解はしないで欲しい。


彼女は、普段は身綺麗にしていて出かける時は必ず化粧を施しているまめな人だ。

反面、朝早くや夜遅くゴミ捨てだけの時などは、色を抜いて傷んだ髪を適当にまとめ黒縁のメガネをかけて、酷い時は上下スウェットで出歩いている。

半年経つ頃には、疑惑はありつつもある程度仲良くなって、朝会うとへらっと力の抜けた笑みを浮かべてくれるようになった。


だが依然として、彼女は怪しいままだった。

むしろどんどん怪しくなった。


ある時は、パンパンに膨らんだ巨大なカバンを抱えていそいそと部屋に帰っていたり、またある時は、手に大量の絆創膏をつけげっそりとした様子でいたりしていた。


さすがに僕も耐えきれずに、僕の友人に相談した。

そいつは全く興味なさげに、くわえた煙草の煙を揺らし適当な返事をよこしてきた。

興味無いだろうと言うと、悪びれもせずに頷く。

相変わらず想像力が逞しいようで、とそいつは肩を竦めてまた煙草を吸った。


僕は、彼女を、化け物だと思った。


血なまぐさい時や血液が服に飛んでいたりするのは、きっと、人間を殺して食べているからに違いない。

変な音が聞こえたり、変な匂いがするのは、きっと食べたり調理したりしているからだ。

あんなに綺麗な容姿をしているのは、そうやって人間を騙そうとしているからだ。


そう怯えると、そいつは呆れたようにため息をついた。

そのネタで小説でも書けば?

そう言ってそいつは、新しく煙草に火をつけた。


美しくて綺麗な隣の部屋の化け物に思える彼女は、とある日うちの前に落ちていた。

家に帰る前に力尽きたのかもしれない。

怖いには怖いが放っておけず、慌てて部屋の中に引き入れる。

意識を失った彼女は僕の腕では支えきれず、何とか部屋に招き入れる頃にはヘトヘトになっていた。


化け物のはずの彼女は、よく見ると顔色が凄く悪かった。

くまが隠しきれていないし、腕も少し細い。

まずは寝かせた方が良いのか、もしくは食事か、とまで考えて襲われるのではと怖くなった。

それでも、彼女は僕のベットの上ですうすうと寝息を立てていた。

起こすべきじゃないなと判断して、僕はその日の夕飯作りに取り掛かった。


夕飯のメニューは、今日は簡単だ。

この前買っておいたグラタンのキットを使って、クリームグラタンを作る。野菜は切って凍らしてあるので、それをそのまま使う。

化け物なら要らないかもしれないが、折角なので彼女の分も作ることにした。

チキンは既に切られたものを使い、洗い物は極力減らす。

付け合せをと思ったが、包丁を出すのが面倒だったのでレタスをちぎってトマトを洗ってサラダにした。

あとはなにかスープかと思って、インスタントのスープの元を出す。平日の夕食なんてこんなものでいいのだ。

お湯をケトルで沸かしていると、オーブンからグラタンの焼き上がる良い匂いがする。

それに釣られたのか、彼女が目を覚ました。

しばらくぼうっとしていたが、僕が夕食いるかと聞くとぱちりと瞬いて、慌てたように起き上がった。


ご迷惑おかけしてすみませんと勢い良く頭を下げたので、それにやられたのかくらりとベットに座り込む。

別にいいしせっかくだから食べてってよとグラタンを机の上に置くと、さすがに申し訳ないと固辞していた彼女の腹から音が鳴った。

頬を赤く染めて、彼女はすみません、いただきますと頷いた。


彼女は、食べっぷりが良かった。

焼きあがったグラタンも、適当に作ったサラダも、スープも彼女の胃に消えていく。

僕がやっと半分食べる頃には、彼女は全てぺろりと平らげていた。物足りなそうだったし、僕を食べられてはたまらないので、ヨーグルトを勧めると、彼女は恥ずかしそうに謝った。

聞けば、最近まともに食べられていなかったらしい。

本当にすみませんと縮こまるので、別に構わないと首を横に振った。


隣だけど送っていくよと言って、彼女を送る。

扉の前で、彼女はもう一度頭を下げてお礼を言った。

本当に構わないともう一度言って、空腹のあまり僕が食べられても困るしとぼそりと零れると、彼女は驚いたように顔を上げた。

しまったと思った。

もしほんとに彼女が化け物なら、怒って食べられるかもしれないし、そうでなかったなら僕はただの失礼な人だ。

慌てて誤魔化そうとするも、焦った頭ではろくな言い訳が浮かばない。

言い募れば言い募るほどボロが出て、気づく僕は全部彼女に暴露していた。


すると、彼女は、


彼女は大きく笑い声をあげた。


怒るでも僕を責めるでもなく、大きな笑い声をあげた。

そしてしばらく笑ったあと、目尻の涙を拭いつつ彼女は言った。

化け物って、そんな訳ないじゃないですかと。

そして、汚いですけどと僕を部屋に通してくれた。

どうして部屋に通すのかと不思議に思っていたが、部屋に入れば僕の疑問は全て解消した。

なるほど、彼女は。


彼女は、


生活力が少し足りていないのだ。


僕と同じはずの部屋は、足の踏み場もないほど色々なものが転がっていた。

汚部屋という程では無いものの、お世辞にも綺麗とは言えない。

その上、キッチンはここで何か爆発させたのかと思うほど汚れていた。

家事がどうにも苦手でと彼女は恥ずかしげに笑って言った。

初めて一人暮らしをしたものの、生活力がまるでなく掃除も忙しさのあまりたまにしか出来ず、おまけに料理は壊滅的らしい。

本人曰く、包丁を握ると必ずどこかケガをするのだと。

この前なんて指をざっくりいっちゃって大変だったと笑う。

料理が苦手で避けてると冷蔵庫の中のものが腐ってるし、練習しようと思っても、下準備の時点でそれどころじゃなくなると。

普段は出前やら外食やらで誤魔化していたが、今月は色々と限界でお金に余裕がなかったとのことだ。


正直な感想を言おう。


よくここまで生きてきたなと思った。


なるほど、料理が苦手なら血もつくか、という話ではない。

そもそも料理で怪我すると言っても、服に着くほどの怪我に発展することが珍しい。

もう才能だろう。


素直に言うと彼女は、えへへと笑った。

別に褒めてはいない。


そうして僕は彼女に食事を作ってやるようになった。

食材は交互に買ってきて、僕の家で作り2人で分け合う。

面倒な皿洗いは彼女にやって貰った。

皿洗いは苦手じゃないらしい。

僕は別に料理上手という訳ではないけれど、美味しい美味しいと満足気に食べてもらう分には悪い気はしない。

綺麗な顔を緩めて、分かりやすく美味しそうに食べるので、僕も嬉しくなった。

僕の家で2人分の食事を作るようになってから、彼女の家から異変を感じ取ることは少なくなった。

未だに部屋は片付かないので、異音や異臭はたまにするが。


結論を言うと、彼女は化け物ではなかった。


人間を食べたりなんかしないし、彼女は唐揚げが好物な普通の女の子だった。

だけど、やっぱり化け物だ。


大学終わりの昼下がり、僕の部屋のキッチンで洗い物をする後ろ姿を頬杖をついて見つめる。

彼女は振り向いて笑った。


「なに?どうしたの三葉ちゃん?」


僕がなんでもないと答えると、ほんとかなぁと言いながら彼女はまた視線を手元に戻した。

その後ろ姿をみて、僕はまた思う。

こんなに綺麗な人間なんているはずないから。

僕が僕としてあっても、眉ひとつ動かさない人間なんていないはずだから。


やっぱり彼女は

可愛くて

優しくて

笑顔の綺麗な

化け物だ。




僕、三葉みつばの隣の部屋に住む桜さんは、それは素敵な化け物好きな人だ。





—————————

キャラ設定

三葉みつば:ボーイッシュな女の子。ベリーショートで刈り上げて、イヤリングカラーはグリーン。田舎が嫌で飛び出してきたしっかり者。少々想像力が豊か。


佐倉桜:ふわふわ可愛い女の子。余裕がある間は、身なりを整え気を使っている女子力高め。ただし、生活力はほぼ無い。多分一人暮らしは向いていない。顔立ちは整っていて可愛らしい。


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