休憩

「キョウコ、休憩時間だよ。コーヒー飲も?」


 書いている手を止めて顔を上げると、サキが私の分のマグカップを差し出している。私がブラックコーヒーを好きな事を分かっているサキは、わざわざ砂糖やミルクが要るかなどは、聞いてこない。


「うっそ、気づかなかった。ありがと」


 マグカップを受け取ると、そのまま1口啜り込む。深呼吸にも似たそれは、少しの間、ホッとやすらぐ事を許してくれる。


 ふうっとひと息ついていると、サキが言い出しにくそうに、困りながら声をかけてくる。


「あの、言いにくいんだけど、言っていい?」


「ん?なに?」


「キョウコ…髪、どうしたの?」


「は?」


「前も思ったけど… ここ最近、どんどん短くなってる。あたしの見間違いじゃない。絶対に短くなってる」


「え…なにも、してないよ?」


「自分で切るなら、やめた方がいいよ?」


「何もしてないってば」


 そう言いながらも毛先をいじろうと、横から手をやる。だが、いつも毛先があるはずの胸元より、少し上に毛先があった。


「あれ? なんで? あれ?」


「ねぇ…気づいて、ないの?」


「だって、何もしてないし? 髪洗ってても、別に変わったことないし…」


 モゴモゴと、しなくても良い言い訳をしていると、サキは更に会話を続ける。


「それにね、あんた、少しやつれたよ」


「え?そう?ゴハンはちゃんと食べてるけどなぁ。あっは、少しは痩せて良いかも?」


 いつもの様に笑い飛ばそうと冗談を言うが、サキは真剣な顔で、私に訴えかける。


「そういう事じゃないと思うの。ねぇ、病院に行こう。頭痛が酷いなら、相談しよう? 別の原因なら、ちゃんと行こう?」


「大丈夫だよ、だってさ…」


 そこまで言って、言葉を飲んだ。

「黒い粉があるから大丈夫」なんて、サキにも言えない。


「なに? なんで大丈夫なの?」


「え? ほら、ゴハン食べて、ちゃんと寝れば大丈夫だよってこと」


 手をヒラヒラさせて適当な事を言い、笑い飛ばす。

 しかしサキは更に真剣な顔で、私の顔を覗き込んで、まっすぐに目を合わせてくる。


「どうして、何も言わないの?」


「なにが?」


「さっきさ、あたしがトイレ行ってる間、部長と何か話してたでしょ? 今やってる書類、押し付けられたんでしょ?」


「え、まあ、そうだけど。仕事だし」


「その書類、本当は責任者がやらないといけないやつでしょ?」


「そうなんだけど…私がやった方が早いしさ。いちいち過去書類の場所聞かれるの、面倒だし」


「そうやって、なんでもかんでも、引き受けるの?」


「だって、仕事…」


「あたしの肩代わりも、してるよね?」


「私は一人暮らしだし、帰ったところで別に何も無いし。やれる方がやればいいってだけでしょ?」


「ねえ、あたしが、言えないことだよ、それでも」


「なに?」


 サキが、悲しそうな顔をして、私に言う。


「どうして、自分を追い込むの? どうして助けを求めないの? 私に言ってくれないの? 私だって、キョウコになにかしたいよ。どうして断わるの?」


 今の私は、よく分からないという顔をしてるのだろう。素っ頓狂な声を出してしまう。


「お、追い込んで無いよ? 断ってもないよ? どういうこと?」


 顔を横に振りながら、サキは更に続ける。


「頭痛の原因が仕事だって、自分でも分かってるでしょ?」


「それは…まあ…」


「落ち着いてきたし、有給取って。その間、あたしが仕事するから」


「それはダメだよ、サキは家庭もあるんだから。仕事と家事なんて、ダブルワークと同じじゃない? サキだってキツイでしょ?」


 サキが更に悲しそうな顔をして、下を向く。


「…友達に、なにかしたいって思うだけなのよ」


「…そっか、ありがとうね」


 サキは、私が書いていた書類をゆびさした。


「その仕事、もう清書せいしょするだけなんでしょ? あとは私がやるから。今日は少し余裕あるし、半休して」


「んー…」


 そう言いながら、また一口コーヒーを啜る。その瞬間、また激しい頭痛が走った。


「い…た…!」


 首筋から後頭部、目元にかけて、頭だけではなく顔全体にも広がる痛み。


 マグカップを乱暴におき、顔を覆いながら机にうずくまる。


「キョウコ!?」


 サキが叫ぶのが聞こえる。


 それに、笑顔で答えられないくらい、痛い。あまりにも痛い。


 覆う手の指の間から、思わず黒い粉を探してしまった。散らばっている消しゴムのカスと一緒にそれらしきものが見えたが、それに伸ばしかける手を止めた。


(ダメだ…!サキの前で、黒い粉をこする所は見せられない!)


 怪現象に頼っている自分を、心配してくれているサキに見せたくはなかった。


「まってて!部長にキョウコを休ませるように言ってくるから!」


 サキが部長のいる部屋へ走り去るとともに、黒い粉を指先につけ、こすり合わせた。


 いつもはそれですっきりと頭痛が無くなるのに、今は少しだけ軽くなった程度。


(おかしい…なんで、完全に無くならないの?)


 バサリと机に髪が広がると、その毛先が、パラパラと散り、黒い粉になるのが見えた。


(え…? 黒い粉って、私の髪…?)


 そう考えるより先に、出来たばかりの黒い粉を指先でこする。また少しだけ、頭痛が軽くなる。


 机にうすくまって耐えていると、サキが部長を連れて、こちらへと帰ってきた。


「部長、キョウコに今から!有給!くださいよ!休ませてください!」


 サキが必死に部長に食らいついてくれているのがわかる。

 部長は頭をかきながら、面倒くさそうに言い放つ。


《頭痛だろ? 体調管理ができてないんだろうが。なんで会社が金をくれて、休ませなきゃいけないんだ。帰ってもいいけど、有給は無しな。仕事を周りに押し付けて迷惑かけてるんだから、その位、わきまえろ。社会人だろ?》


 冷たく放たれる言葉に、心が凍っていく。


(ああ、そうよ。なにも期待してない。あなた達には。だから、何も言わないのよ。疲れるだけだから。あんた達なんか、人間じゃない。人間じゃないやつと、話す義理もない。勝手にほざいていろ)


 そう思っても、口に出す気力はない。


「な…!正当な権利じゃないですか!キョウコ、いつも誰よりも仕事してるでしょう!?」


 サキは怒り狂って食い下がるが、その様子を侮蔑ぶべつするような視線を送り、部長はさっさと立ち去った。


 悔しさに涙をにじませ、サキは私の方を振り向く。


「キョウコ…あたし、なんとかするから。大丈夫、帰ろ? 病院に行こ?」


 私の背中をさすりながら、サキは諭してくれる。サキの優しさに答えねばと、私はのろのろと顔を上げて、無理やりに笑顔を作り、サキの方を向いた。


「ありがと。流石に帰るね。あと任せた、ごめん。有給の事はどうでもいい。部長になに言ったってダメだからさ、サキは無理しないで」


「キョウコ…」


「ごめ、さきに、かえるね」


「ね、送っていくよ!」


「あ…車、置いていくと不便だから、なんとか帰るから、大丈夫…」


 ノロノロと椅子から立ち上がり、ロッカーからバッグを取り出すと、力なくサキに手を振った。


「申し訳ありません。お先に失礼します」


 礼儀的に声をかけて、事務所の出入り口を出た。


 やっとの事で自車に乗り込むと、ハンドルにもたれかかる。


(黒い粉は…)


 顔を上げて車内を探すと、ハンドルの右側部に、黒い粉が固まってへばりついているのが見えた。


 それを払うと、煙となって立ち上る。それと同時に、頭痛が一気に楽になった。


「よし…大丈夫、帰れる」


 車のキーを回して、エンジンをかけて、自分の部屋へと車を走らせた。


 自分の住むアパートへと着き、駐車スペースへ車を置くと、ノロノロと車を降りる。やっとのことで部屋にたどり着き、鍵を掛けるのも忘れて、着替えもせずにベッドへとうつぶせに倒れ込んだ。


 頭痛は薄れたものの、異常なほど体が重い。

 掛布団の柔らかさを感じながら、時計をみる。


「まだ、お昼か」


 お昼ご飯を食べようかなと思うが、食欲など一向いっこうに湧いてこない。


「少し寝よ…」


 そう呟いて目を閉じると、引き込まれるように、意識が遠のいていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る