仕事

 朝、スマホでかけていたアラームで、目が覚める。いつもは頭痛がしないように少しずつ目を開けるが、今はしない。


 眠気ねむけを振り払うように起き、少しの頭痛を感じると、周りを見渡して黒い粉を見つける。それをパンパンと払うと、立ち上る煙と共に、頭痛がスっと無くなる。


 変な夢を見た気がする。そうだ、最初に黒い粉が現れたあの日にも、同じような夢を見た。


「もしかして、神様の啓示ってやつ? ってなんか宗教っぽい。あはは」


 一人暮らし特有の独り言を漏らし、笑いながらベッドから立ち上がる。背伸びをして洗面台に行き、朝の支度を済ませる。いつもの事務服を着てバッグを持ち、玄関を出た。


 黒い粉が出るようになってから、1週間が経つ。


 激しい頭痛が起きる度に、少しずつ出現しては、煙となって消えていき、それと一緒に、頭痛も消えていく。


「本当に、神様がくれた、味方なのかもね」


 そう前向きに呟いては、少しずつ黒い粉が現れることに、すがるようになっていた。



 初めて黒い粉が出たあの日は、なんとか提出書類を完成させ、上司へと渡すことができた。無茶ぶりしたくせに、当然のように受け取る上司に少しの苛立いらだちを覚える。


 しかし、日常茶飯事である事をいちいち気にはしていられないし、仕事は次々に舞い込んでくる。


 それぞれの請求書の期日に間に合うように急ぐが、到底、二人でこなせる量ではない。それでも間に合わせるように残業申請をするが、取り合ってはくれない。


《残業しないとこなせないの? 何がそんなに難しいの? そんな無能を雇った覚えはないんだけど。無駄金は払いたくないんだが? ただの事務員が残業するとか、労基に突っ込まれるようなこと、しないでくれる?》


 仕事は増えるのに、時間は増えない。


 結局、定時でタイムカードを押し、上層部に気づかれないようサービス残業をするほかなかった。


 家庭があるサキは、どうしても時間に制限がある。ギリギリ夕方、といえる時間に帰ってもらった。


 後ろ髪を引かれながらも帰宅準備をするサキに、なんでもないように笑顔を振りまき、手を振った。


「さて、あともう少し」


 暗くなった事務室に、自分のところだけ照明をつけ、隠れるように仕事を続けた。



 1週間も経てば、月初げっしょにやるべき仕事はあらかた片付く。次に襲ってくるのは、次々に作成した書類の整理。デスクの1番下、大きい引き出しにとりあえず放り込んでおいた書類を分別し、ファイリングするのだ。


 その様子を見て、上司は横から、嫌味のように言葉を浴びせてくる。


《そんなの、あとでもいいだろ? サボってないで、こっちの書類を手伝え》


 指示するだけで、整理し、記録することの大事さを知らない上層部は、これをサボりと見なす。


 そして《手伝う》という名目で雑務を押し付け、パソコンに向かうフリをして、明らかに仕事とは関係の無い類のインターネットを見始める。


 いつもの事、そう、いつもの事。


 いちいち怒って反論していては、こちらの身がもたない。喉元のどもとで文句をめる度に、軽い頭痛が起きる。


 そして気づくと、視界のどこかに、薄く黒い粉が現れているのだ。


 誰にも気付かれないように、それを指先に付け、ポケットの中でそれをこすり合わせる。


 今まで頭痛対策に試したどの方法よりも、一番効果があった。


(まあ、こんなこと、誰にも信じて貰えないだろうけど)


 特にわざわいもなく、むしろ楽になるこの怪現象。もしかしたら、自分の幻覚なのではないかと疑った事もある。


 だからって、それを解明する気にはなれなかった。


 もし、物理的なものではなく、自分の幻覚だけなのだとしたら?


 自覚してしまうことで、ようやく現れた頭痛から逃れる方法が、なくなってしまう。


(気持ち悪かろうが、解らないことだろうが、今のままがいい。もう、痛い思いはしたくないよ)


 自分の中だけで結論をつけると、押し付けられた書類を持って、自分のデスクへと戻る。


 取引先からの安全確認事項のチェック。そして防止策や対応策の提案文章を書き出すそれは、事務的な文章を書くことに慣れていない人には、面倒な作業だ。


「さっさと終わらそう…」


 過去の同じような書類のコピーがつづられているファイルを取り出して来て、内容を読み込む。趣旨しゅしは変わらないように言葉に変化をつけて、文章を頭の中で作り上げる。


 シャープペンシルを持ち、カリカリとペン先を走らせた。

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