黒い粉

 少し固めのベッドで眠っていた、フワフワとした意識から醒めるために、薄く目を開ける。


 何かよく分からない夢を見ていた気がするが、目を開いてしまえば、意識の奥底に沈んでいく。


 仰向けに寝ていた体を、ゆっくりと横向けにする。

 途端に走る、首から後頭部にかけての鈍痛。


 ズキズキとした不協和音が頭を駆け巡り、広がっていく。


「いた…ああもう…」


 肩こりのせいだろうと首筋を揉みながら、枕元に常備している頭痛薬に手を伸ばす。


 自分に合った頭痛薬は、今のところ見つかっていない。近くのドラッグストアで売っている大容量の安い薬を、気休め程度に飲んでいる。


 いつでも飲めるようにと、ペットボトルに入れて置いた水を、2錠の薬と一緒に一気にあおった。


 食事の後に飲まなければいけない事は分かっているが、起き抜けの空きっ腹に飲んだ方が効きが良いと思い込むほどに、長年悩まされ続けていた。


「どうしたら治るのよ…本当にもう…」


 今日の頭痛は特に酷い。鈍痛が喉まで来るような錯覚を覚え、吐き気をもよおすくらいだ。


 ぐしゃぐしゃと寝癖のついたロングの髪をかき上げながら、ベッドの上で、上半身を壁に寄りかからせる。


 激しい頭痛が起きている時は、横になっているよりも、寄りかかって首筋を伸ばすように下を向いている方が、少しは楽になる。


「枕を変えても駄目、湿布を貼っても駄目、ストレッチも効かない。一体、どうしたら良いって言うのよ…」


 一人暮らしで誰もいない部屋、よく寝つけず、常に睡眠不足の顔で、毎朝の独り言をいていく。


 ボソボソと愚痴を吐きながら、閉じていた目をゆっくりと開けると、ボヤけた視界にさっきまで寝ていた枕が入ってくる。


 それに、黒いシミが付いているのが見えた。


「なに、これ?」


 気怠げに指先で擦ると、それはシミではなかった。

 ザラザラとした黒い粉が固まって、枕の端にへばりついている。


ほこり?」


 人差し指と親指でこすり合わせると、黒い粉は煙のように立ち上って消えていく。


 その様はまるで、昔に駄菓子屋で売っていた、妖怪煙ようかいけむりだ。


「え…? 気持ちわる…」


 そうつぶやいて、ある事に気がついた。

 激しい頭痛が、少しやわらいでいる。


「あ、動けそう…」


 壁に寄りかけていた上半身を、怖々と起こす。

 割れるような痛みは薄らいで、なんとか動ける程度には回復していた。


「さ、仕事の準備しなきゃ。はぁ、疲れた」


 激しい頭痛が再発しないよう、ゆっくりとベッドから降り、キッチンへ行く。


 まずは頭をスッキリとさせなければならない。

 流しに置いてあるマグカップに、いつもより気持ち多めに、インスタントコーヒーの粉を入れる。


 ポットからお湯を注ぎ込み、適当にあったスプーンでかき混ぜ、1口すする。


 その途端、鈍痛どころではなく、激しく頭痛が走る。


「痛っ!」


 ガチャンと音をたてて、マグカップをシンクに落とし、思わず額に手を当てる。


「なに、これ、いたい、なんで…」


 首筋を揉もうが、目元を温めようが、なんの効果も無い。


 目を閉じて、手で顔を覆いながら、キッチンの前でうずくまってしまった。


「やばい…やばいやばい…なにこれ」


 小さく呟きながら、ベッドに戻ろうと目を開けると、フローリングにコーヒー粉が散らばっているのが見える。


「ああ、こんな時に…」


 近くに放り投げてある雑巾ぞうきんを手に取り、拭こうとする。


 その時、それはコーヒー粉ではなく、先程の黒い粉である事に気付いた。


「え…あ…?」


 拭き取ろうとすると、また、煙になって消えていく。


「さっきから、なんなの…? 気持ち悪い…」


 眉間みけんに皺を寄せながら呟く。

 そして、また気が付いた。


「あれ…? 頭痛、無くなってる…?」


 明らかに先程より、頭どころか体もだいぶ楽になっている。


「まあ、良くなったからなんでもいいや」


 楽になったと思うと、お腹が小さく鳴った。現金な自分の体に、フッと笑ってしまう。


「あ、やば! 時間ない!」


 急いで、マーガリンを塗っただけのトーストを焼き、コーヒーをれ直す。冷蔵庫にあった余り物のサラダを適当に出すと、それらをかっこんだ。


 もぐもぐと口を動かしながら、ハンガーに吊るしておいた事務服を取り、急いで着替える。


 忙しなく歯を磨きながら、皿やカップを流しに起き、洗顔料も使わずに顔を洗う。


「あーもう、メイクは職場の駐車場に着いてからでいいや」


 玄関の鍵と車のキーをとり、仕事用のトートバッグを引っ掴んで、バタバタと玄関を後にする。車に乗りこみ、今日のやるべき業務を思い描き、うんざりしながら、車を発進させた。

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