天女と鞠

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話

「あんなちんまいのを見せられて、嫁にどうかと言われてもなあ」

 客間に、二人。

 隣の橋本はしもとは、姿勢を崩し、大げさに嘆いている。

 まあ、無理もない。苦笑を返す。

「あの子は、まだ神の子だからね。一人前ではない」

 橋本は、天井を見上げる。

「ああ」視線を寄越す。「それなら、姉は」

 一呼吸吐く。

「天女だよ」


 彼岸に片脚を突っ込んだ娘。実母の談である。

 彼女、岡香里おかかおりは、大抵、布に触れている。指編みだの、刺し子だの、裂き織りだの。

 定めし盗まれた羽衣を新たに作ろうとしているのに、相違ない。

 天女は、いつも羽衣作りに夢中である。自身の婿候補の来訪にも動じない。明るい縁側で作業中、視界の端に学生服の金ボタンが光るのを確認して初めて顔を上げた。

「だれ」

 一瞥すると、作業を再開する。隣に腰掛ける。

「君のお婿さんになるかもしれない男だよ」

「へえ、そうなんだ」

 まるで他人事である。さすがにむっとする。

「あるいは、君の妹と」

 香里の動きが止まる。驚き、そして、笑っている。顔を覗き込む。

「あの、大丈夫」

「悲劇ね」

 それは、妹にとってなのか。それとも、こちらにとってなのか。

「だって、あんなのと結婚しろですって。確かに、学費の援助は魅力的かもしれない。それでも、結婚生活のほうがよほど長い時を過ごすのよ。私なら」

 目が合う。

「ああ、知られてしまった」

 香里は、口元に手を遣る。

「妹を好いていないのだね」

「どちらかと言えば、あなたのほうがまだ好ましい」

 澄ました娘だ。呆れ顔に、香里はふんと鼻を鳴らす。

「喜びなさいよ。私のほうが、美人だわ」

「違いない。でも、愛嬌では、妹御の圧勝だ」

 手を組み、視線を落とす。あれ、唇の端が上がっている。

「それは、そうよ。あれは、鞠だもの。弾みもしない鞠なんて、役立たず」

 唇を重ねる。さすがに、殴られても仕方あるまい。どうやら、その覚悟は無用の長物だったらしい。香里は、存外、落ち着いていた。半開きの唇を指先でなぞっている。それから、小首を傾げる。さらりと揺れる髪の毛。

「約束だよ。君は、私と結婚する」

「風が冷たい」

 そう感じたのは、涙のせいだろう。

 次の瞬間には、わっと泣き出していた。地面に投げ出していた脚を引き寄せ、ぎゅっと小さくなる。力の入る手には、精魂込めて刺した木綿。肩が震えている。

 そうか。目の前のこの娘は、口づけが恐ろしかったのではない。その先の未来を想像して、絶望した。

「君は、女だからね」

 応えない。

「予定通り、学校を終わって、結婚して。当然、君は身ごもる。赤ん坊なんて、鞠みたいな妹の比ではないだろうよ。それでも、君は母親だからね。育てるんだよ。人間の人間らしいところなんて、何ひとつ理解できない君が育てるのだ。だから、もう諦めて、自分の羽衣なぞ作るのは止めることだ」

 肩を撫でていると、こちらを睨みつける。

「あなた、嫌いだわ」

「残念だね。私は、君のことが大層気に入ったよ」

 すると、廊下の奥から足音が近づいてくる。香里の妹だ。なるほど、確かに鞠の弾むのによく似ている。

「ねえさま、あめよ」

 舌足らずの言葉。言われて、気付く。天気雨だ。

「さあ、中に入ろう」

 香里の腕を掴み上げる。私の手は、振り払われる。香里は、うずくまったままである。妹が心配して、縁側にひざをつく。

「ねえさま」

 仕方ない。香里の意識がありありと伝わる。ゆっくりと身体を起こす。私を睨みつけ、妹と共に香里は去っていった。

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