37、泣いているだけでは現実は変わらないの
皇帝により夜会は強制的に終了となり、全員が会場から追い出されるようにして帰路に着くことになった。
しかし、当然第一皇子派は黙ってはいなかった。
ランヴェール公爵はゼクセン公爵と共に兵を動かし、城のまわりに旗を掲げて圧をかけた。
「我らの支持する第一皇子殿下を解放するように」
ランヴェール公爵は家臣に命じて、皇都の各所で叫ばせる。家臣は手慣れていた。紙に文字を書いて貼って回るより、叫ぶだけのほうが楽じゃないかと喜ぶ者もいた。
「皇帝陛下が乱心なさったぞ!」
「大変だ! 寝ている場合ではない。国が滅ぶ危機にあるぞ!」
「戦いになってしまうかもしれない! みんなの家が燃えてしまうぞ」
夜中に何を騒いでいるのか、と好奇心半分、迷惑半分に家々から民が顔を出して「どういうことなのか」と問いかける声に、扇動者が応える。
「陛下は敵国と通じていたのだ!」
「皇帝は敵国の黒太子を次の皇帝にすると言ったのだ!」
「第一皇子殿下を幽閉なさったのだ!」
「英雄レイクランド卿が暗殺されかかったのだ……!」
――叫ばれる内容は、確かに国家の危機としか思えないではないか!
「なんだって、陛下が敵国と手を結んでいるだって」
「皇帝の正体が敵国の黒太子だっただって」
「第一皇子殿下の身長が伸びたらしいぞ」
「皇帝が英雄レイクランド卿を暗殺しようとしたらしい……」
「皇帝の甥がウサチャンに怯えたらしい」
「もうわけがわからん」
さまざまな情報が伝言ゲームのように真偽不確かになりながら皇都中を駆け巡り、「これは寝ている場合ではないかもしれない」という気配がどんどん広まっていく。
とあるご家庭では乳児をあやす母親が、鬼気迫る様子で武器を手に取る旦那に心配そうに声をかけた。
「あなた、武器を持ってどうしましたの」
「国のために、俺も行ってくるよ」
旦那が家を出ると、隣の家の旦那もまた、同じ表情で武器を手にして家を出たところだった。
二人は頷き合い、共に城の方向へと駆けていく。
残った妻たちは泣きそうな顔で抱き合い、励まし合い、同じような近所の奥様同士で身を寄せ合い……「時計塔前の広場に大勢が集まっているわ」という触れ込みをきくのだった。
北と南に同じ時間を提供するように戻った時計塔の周囲では、心細さや不安を抱えた人々が集まっていた。口々に情勢を語り合い、誰かが「皇帝はとんでもない」と演説しだして、どこかの家が主催して炊き出しが始まり、人が集まっているという噂を聞き付けてますます人が増え……留守宅を狙って空き巣も「今夜は稼ぎ時」と大忙し!
「皇帝は窓から麗しの皇都を見るがいい。あなたの足元で民は嘆き、怒り、国の行く末を案じているではないか」
第一皇子派が旗を振って声を揃えて皇帝を糾弾すれば、皇帝は「なんかえらい大騒ぎになっているではないか」と真っ青になった。皇妃は「エミュールはあなたの息子ではありませんか、どうして息子を幽閉するのです。ほら、他の方々も非難しているではありませんか、あなたっ!」と皇帝にヒステリックに詰め寄った。
兵たちが右往左往する中、カッセル伯爵の後妻ビビエラはちゃっかり時計塔前の広場で「夫が、国家の忠臣であるブラント・カッセルが、乱心した皇帝に
「フレイヤ、あなたが可愛いからと甘やかした母が悪かったわ。強くおなりなさい。気丈でありなさい。……泣いているだけでは現実は変わらないの。今日からはお母様と一緒に現実と戦ってもらいますよ。泣いていては、落ちぶれるだけです! どうせ泣くなら、その涙で同情を買って父を助けなさい!」
ビビエラはそう娘を叱咤して、娘フレイヤに涙ながらの演説をさせた。
「私のお父様をたすけてください。お父様は、国家のために尽くしていたのです。私たちは、家族で暮らす日常を取り戻したいのです」
* * *
「というわけで、今夜は休むとして、明日あたり、あまり平和的ではなく優雅さにも欠ける話し合いをするかもしれません」
「な、内乱という状態になりつつありませんか……」
「よくあることです」
ランヴェール公爵家の皇都の別荘で、ランヴェール公爵はそう言って夫婦の寝台に寝転がる。ディリートはおずおずと隣に寄り添い、横になった。
(なんだか、とても大変なことになっている気がするわ……)
夫のシトリン・クォーツの瞳は、無感情を装っている。
「そなたは現在、北方の国王妃というわけです。感想は?」
言葉は子供に寝物語を聞かせるようだった。
「実感がまったくございませんわ」
「そなたにだけ秘密を打ち明けましょう。私も実感はないのです」
いろいろなことがありすぎた。それも、衝撃的すぎた――ディリートは夜の出来事を振り返りつつ、目を閉じた。
日常を過ごす部屋には、不思議な安心感がある。
その日、どんな出来事があっても、こうして帰宅して、横になって心臓の音や呼吸の音に耳を傾けていると、張り詰めていた心がすこしずつ
一日の疲労がふわふわと全身を包んで、安らかな眠りに誘おうとしてくる。
安全な場所だ。
自分の居場所だ。
……家というのは、そんな場所なのだ。
ディリートは、そう思った。
そして、そんな家がたくさん集まっているのが都市であり、国なのだ。
「おやすみなさい、ディリート。良い夢を」
夫である青年の声が一日に幕を降ろそうとするので、ディリートはやわらかに声を返した。
「おやすみなさい、北方の陛下」
「そなたに呼ばれると、どんな呼称も良い響きですね」
ランヴェール公爵は楽しげに言って、おやすみのキスをした。
「そなたの夫は、本日はあまり優しい振る舞いをできませんでしたね……私は、怖かったですか」
ささやく声には、「はい」と言われることを恐れるような気配があった。
「……いいえ……」
ディリートは感情を吐息に混ぜた。
この夫は、優しい人でありたいのだ。
そう思われたいのだ。
……自分は?
「優しさって、なにかしら」
小さな子供をみたときに心に湧いてくるような、くすぐったくてあったかな気持ちかしら。
親しい誰かに何かをしてあげたい、喜ばせたいと思う気持ちかしら。
悲しんでいる人を慰めたいと思う気持ちかしら。苦しんでいる人に手を差し伸べたいと思う気持ちかしら。
「……ディリートは、あなたが優しい人だと思うのです……」
ディリートは夜会で問いかけられた「なぜ」に答えなければいけないと思いながら、夫の胸板に頬を寄せた。とくん、とくん、と規則正しく生命活動の証を刻む心臓を感じる。
「私、あなたに過去を話しますね。ああ、でも今夜はもう……眠いのです」
夫が頷くのがわかる。
「私も、そなたに秘密を話しましょう……でも、今夜は眠いですね」
同調するように言う声は本当に眠そうで、疲労がにじんでいるようにも思われた。
――無表情と無感情の鎧で武装する、超人めいて突拍子のないことばかりする夫は、こうしていると、普通の青年なのだ。疲れたり眠くなったりするのだ。
そんな現実を強く意識しつつ、ディリートは優しいぬくもりの中で眠りに落ちた。
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