36、アシルは好戦主義です

 会場中が大きなどよめきに包まれる。

 はじかれたように不満を唱えるのは、エミュール皇子だった。

 

「父上! 突然なにを仰います!?」


 夜会の席で、軽いノリで宣言するようなことではない。

 油断していた貴族たちも「我々の国をどうするって!?」「次代を黒太子が治めるだと!?」と血相を変えた。


「父上、そもそも我々は勝利目前だったのです。もうあと一歩で、ナバーラの王都は……」 

「エミュールよ。そなたも演説したというではないか? 『上に立つ者の私情で兵士の家族は泣くのだ』と? そのような演説をしたからには、そなたは自分が『もうあと一歩』の正義を振りかざすことで敵味方の兵士とその家族が泣くのだと理解しておろうな」


 そして、皇帝は息子へと語った。

 

「皇族、貴族はその血を次世代に紡ぐことが大切な責務である。子供をつくる能力のあるイゼキウスは、子供をつくる能力のないエミュールよりも価値のある存在なのだ。そなたはそんなこともわからず、貴重な皇族を裁け裁けと正義ぶって騒いでおる。皇族の身分をはく奪されないだけでも有難いと思って、もっと謙虚にしておればよいものを」

 

 放たれた言葉は、鋭い刃のようだった。

 

「……ち、父上……」


 エミュール皇子はカッと顔を紅潮させ、瞳を動揺に揺らした。

 あどけなさの残る少年の顔立ちは、平静を取り繕おうとして、失敗して、深い傷心を皆にさらけ出してしまっていた。


 そんな息子を見て、皇帝は優しい父の表情になった。

「イゼキウスも未熟だが、そなたも未熟――しかし、余はそなたの父である。そなたが反省するなら、許そうぞ。今日からは身のほどを知り、謙虚になるがよい、エミュール」

 

 父皇帝は優しい父の顔でそう告げて、余裕たっぷりに言い放つ。


「第一皇子を退室させ、西の塔で休ませよ。余が許可するまで、塔の外に出ることはならぬ」

 ――それはつまり、幽閉宣言だった。

 

「陛下、あまりにも酷すぎます……」

 ゼクセン公爵が真っ先に声をあげる。しかし、皇帝はそんな公爵を糾弾するのだった。


「ゼクセン公爵の判断力には、疑問があるのではあるまいか? そなたの判断が誤っていたから、そなたの娘ユーディトはカッセル伯爵のもとで不幸な最期を迎えることになったのだ。そなたがナバーラに娘を嫁がせていれば、娘は幸せになったであろうし、戦争はその時点で終わっていたのだ。引退して後継者に公爵の座を譲ることを勧めたい」

 

「な、……なんと……」


 ゼクセン派の貴族たちが殺気立つ。

 しかし、皇帝は強気だった。


「卿らの太陽、絶対の権力を持つ皇帝は常に正しい。余は平和主義である。余は、争いを好まぬ。余の強き権力のもと、万民はただこうべを垂れて平和を甘受すべし。そんな余に異議を唱える者というのは、すなわち争いを好む者。世の中に哀しい揉め事を呼ぶ、悪逆のやからなのである。卿らはこれを理解し、道徳心をもって平和の使徒たる皇帝に従うがよい」

 

(……ぞわぞわするわ)

 ディリートはそっと二の腕をさすった。


 その段階に至って、夫であるランヴェール公爵は「そういえば」と手をあげた。

 

「発言を許していただきたく存じます、陛下?」

「な……何だ?」

 

 皇帝は警戒するような目をしつつ、許可をした。

 会場中の視線が集まる中、公爵は冷酷と表現されるのがしっくりくるような、冷え切った声を遠慮なく場に放った。

 

 

「恐れながら、ナバーラ国は既に滅びました」


 

 座ったままでワイングラスを揺らす姿には、余裕があった。ディリートは耳を疑いつつ、夫が語るのを見守った。

 


「現在、ナバーラ王都の城壁にはランヴェールの旗が立っております。北方の土地の主は、このアシルなのです」


「なんだと!?」 

 皇帝と黒太子が目を剥く中、ランヴェール公爵はマイペースに言葉を響かせた。


「皆さんご存じのとおり、帝国軍を率いている将は、第一皇子殿下の寵臣ちょうしんであるレイクランド卿です。彼は、北方に向かうにあたって、ランヴェールの土地を経由しました。その際、いろいろあって私は彼の家族を人質に取り、勝利すると約束をさせたのでございます」


 そのあたりは、帝国民に知れ渡っている話だ。

 しかし、会場の貴族たちは「人質にする理由がわからない」「そういうところなんだよなぁ……」とヒソヒソとささやきを交わした。


「さて、レイクランド卿がやる気を出して北方にどんどん進軍し、重要拠点を次々と攻略したのも、皆さんご存じですね。その際、当家は『ちゃんと仕事をするかどうか』を確認するための監視を主な目的として、私兵も同行させていたのです」


 ランヴェール公爵は語る。

 レイクランド卿が河を越えて北上し、今まさに北方ナバーラ国の王都に迫ろうというとき、敵方は休戦と講和を提案したのだ、と。

 ほぼ同時に、後方からは皇帝名義での「戦いをやめよ」という命令も届いたのだ、と。


「レイクランド卿は、騎士道にのっとり進軍を止めました。そして、ナバーラ側がもうけた話し合いの場におもむいたのです。……すると、なんと、丸腰で敵陣に入った彼を、暗殺者が襲ったのです」


 このとき、イゼキウスの座る席から「アッ」という小さな声が洩れた。

 ディリートは同じように声をあげそうになりつつ、グッとこらえた。


(……その暗殺者は、イゼキウスが手配した暗殺者では!?)


 胸の中では、そんな確信を抱きつつ。 

 

「話し合いを誘っておいて、丸腰で向かったところを襲うとは卑怯な……、と、現地は騒然となりました」


 貴族たちは「なんて卑怯な」「ナバーラ、許せん!」と盛り上がっている。

 何人かは「あれ? その暗殺者ってさっきエミュール皇子が『グレイスフォン公爵がレイクランド卿に手配した』と言ってた暗殺者なのでは?」と首をひねっていたが。

 

「レイクランド卿は、それでも国王陛下からの命令に従い、休戦状態を保ったのです」


 ランヴェール公爵が語ると、貴族たちは口々にレイクランド卿の高潔な人柄を褒め称えた。

 そして、そんな空気を台無しにするのがランヴェール公爵だった。


「ランヴェールの土地には、『友が右の頬をなぐられたら、友をなぐった相手の両頬をなぐれ』『友が借金の返済に困っていれば、お前が裕福ならば代わりにお金を払ってやれ』という言葉がございます。帝国軍に同行していた我が家の私兵は、ランヴェールの美徳にのっとり、礼儀正しくナバーラ国の不義理を唱和し、王都を囲んで暗殺未遂に対する謝罪を要求しました。すると、ナバーラ国はそれを言いがかりだと怒り、攻撃をしかけてきました。ランヴェールの兵は、正当防衛をしたあと、遺憾いかんの意を表明して紳士的に王都を落としました」

 

 

「……落としてしまったのか」

「落としました」


 

 ランヴェール公爵は無表情に頷いた。


「そして先ほど、聖女により私は王者の器と認められ、神聖な儀式を済ませました。よって、このアシルは北方を統べる王を一時的に名乗りましょう。国名はそうですね、神聖ランヴェール王国(仮)とでも」


 皇帝は泡を吹きながら「妙な国をつくるな!」と叫ぶ。それに返される公爵の声には、明確な反意がこめられていた。


「ランヴェールの太陽、絶対の権力を持つ悪逆の王は血に飢えています。アシルは好戦主義です。平和の使徒たる皇帝とやらは、ただこうべを垂れて首をはねられるとよいでしょう」 

 

 その言葉は、まったく冗談に聞こえなかった。瞳には殺意があった。


「……ヒッ、ヒィ……ッ」 

 皇帝は兵を呼び、肉の壁として自分の前に並べて後ろで震えあがった。

 

 そんな皇帝を見て、ランヴェール公爵は忠実な臣下の顔に戻り、ゆったりと落ち着いた声を響かせる。

 

「……とはいえ、このアシルは第一皇子殿下の忠実な臣下でもございます。もしも第一皇子殿下が求められるならば、第一皇子殿下に自分が所有する土地を献上しても、かまいません」


 

 黒太子が少し前のカッセル伯爵を真似たようにフラフラとして卒倒したのは、その直後だった。

 皇帝は慌てて黒太子の介抱を命じ、夜会の終わりを告げた。


「じ、じ、事実確認をする! ……ひとまず今日は、おひらきだ!」

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