17、これじゃ、ただの嫉妬みたい


 外見が壮麗な教会建築。その内側は、重厚感と華やかさが共存する、神聖な空間となっている。 

 

 色鮮やかなステンドグラスの入った窓が特徴的で、美しい。

 天国に近づきたいという信仰心から、天井は高くなっている。


 教会の内部は、騒がしかった。

 

「立ち入り禁止の聖域に不届き者が侵入した形跡が……」

「大量の葡萄を積んだ荷箱が……」

 

 バタバタと走り回る警備兵と聖職者たちを背景に、ディリートは父ブラントと再会した。

 

 懐かしき父、ブラントは以前よりも痩せた印象だ。目の下にはくまができていて、頬がこけている。

 着ている衣服も前よりも質素になっている気がする。


「お父様、痩せられましたね」 

「お前は思っていたよりも元気そうだな。ランヴェール派で、さぞ酷い扱いを受けているだろうと思っていたが」


(父経由でイゼキウスに話が知られることを考えると、「良い待遇を受けている」と言わないほうがいいでしょうね? それにしても、この変わり果てたご様子はどうしたのかしら)

 ディリートは父を見て、ランヴェール公爵の言葉を思い出した。


『そなたの父カッセル伯は、私にとっても身内です。ゆえに、これからは我が公爵家がご負担を引き受け、お世話をいたしましょう』 


「……」

 笑顔が引きつる。

「……もしかして、ランヴェール公爵様がお父様に何か、なさいましたか?」 

 

 ディリートの考えを裏付けるように、父ブラントは恨み節全開である。

 

「ランヴェール公爵は我が家の土地を奪っていったのだ!」

「ああ……」


 言っていた。そういえば、「土地を代わりに管理してあげよう」とか言っていた。ディリートは思い出した。


「代官を派遣してくださったとか、そういうお話かと思っていましたが、そのご様子ですと、違うみたいですわね」

 

「ランヴェール公爵め、お前を迎えて早々に我が所領に侵略行為を仕掛けて土地を切り取っていき、中央へと我が家の権利を申し立てても一切通らぬ。ゼクセン公爵を頼っても無視ときた。不服なら私闘で解決せよと言われて……」


「私闘……フェーデ、ですわね」


 いろいろと繋がった気がしてディリートは視線を逸らした。


「困窮した我が家が現在頼れるのは、グレイスフォン公爵殿下だけだ。いいか、殿下に無礼がないように振る舞うのだ。お前もランヴェール公爵とは、うまくいっていないのだろう?」

 現在、ランヴェール公爵夫妻に関しては様々な噂が出回っている。父はその噂から「うまくいっていない」という結論を出しているようだった。


 教会の奥に着き、父が扉を開ける。

 

 すると、見覚えのある薔薇色の髪が視界に踊って、ディリートをドキリとさせた。

 部屋から飛び出てきてディリートを抱きしめるのは、フレイヤだった。


 

「お姉様ぁっ……!!」

 抱き着いてくる仕草と声は、まるで悲劇のヒロインだ。

 

 久しぶりの義妹を懐かしく思いつつ、ディリートは義妹の異変に気付いた。

  

「……フレイヤ」

 

 フレイヤの薔薇色の髪が短くなっている。

 ドレスは以前より安物になっている。指先を彩っていた花のように愛らしい爪色もなくなっていて、身につける装飾品も少ない。没落貴族令嬢という言葉がよく似合う――そんな恰好だ。

 

 

「お父様のせいよ! お父様の騎士が決闘に負けて、詐欺師に騙されて、事業に失敗して、お金がなくて……!!」

 

 

 父を見ると、頭痛をこらえるように頭を手で押さえている。 

 ヒステリックに叫んだフレイヤは、血走った目を義姉に向けた。

 

「お父様なんて、嫌い! ……お姉様は、人質なのにどうしてそんなに身なりがよくていらっしゃるの? お姉様が不幸じゃないと、フレイヤは幸せになれないのよ? ちゃんと不幸になってくれなきゃ! お金はありますか? あるなら、お金をくださいます?」

 

 ヒビ割れた硝子ガラスのような声は、聞いているだけで不安定な情緒になってしまいそうだ。

 

 と、そこに低くうなるような声が割り込んだ。

 

「おい、うるさいぞ」

   

 フレイヤの肩をつかみ、ディリートから引っぺがしたのは、赤毛の青年――イゼキウスだった。


「殿下!」

「アッ、イゼキウス様……」


 フレイヤがハッとした様子で目を見開き、頬を赤く染めてもじもじとした。

 同情を誘うように哀れっぽく、呟きがこぼれる。


「わ、わたし……お姉様にいじめられたんです。お姉様は不幸にならないといけないのに、不幸になってくれないんだもの。いじめだわ。ひどい。ひどいと思いませんか、イゼキウス様……イゼキウス様は、味方してくれますよね?」

 

 フレイヤのアクアマリンの瞳が、うるうると涙をたたえて、イゼキウスを見上げる。

 

 そんな義妹を見て、ディリートは胸に手を当てた。手を当てた胸の奥が、トクントクンと熱く鼓動を繰り返している。


(ああ、これだわ。この感じよ)

 

 胸の真ん中にゆらゆらと燃える情念の炎を感じる。苦しくて、切なくて、……活力が湧いてくるような、そんな大切な炎だ。

 ディリートは「この感覚を忘れないように」と自分に言い聞かせた。


(イゼキウス。フレイヤ。『別に死んでもいい』――そう思っていた私が、『このまま死ねない、死ぬものか』と思ったのは、あなたたちが原因。あなたたちのために生きていると言っても、過言ではないわ)


 自分は復讐のために生きているのだ。

 そんな身を焦がすような妄執を胸に、ディリートは真剣に思考を巡らせた。


 耳には、フレイヤの声が聞こえてくる。


「フレイヤは知っています」

 

 フレイヤの手が祈るように胸元で組まれて、恍惚と酔いしれる声が響く。

 

「フレイヤが辛いのは、殿下に助けていただくため。フレイヤが不憫なのは、神様が与えたもうた試練。殿下は、フレイヤのためにお姉様を不幸にしてくださるの。フレイヤを助けてくださって、溺愛してくださるの……!」


 芝居がかった仕草でフレイヤが「さあ、この手を取ってフレイヤを助けてください」とイゼキウスに手を差し出す。


 

 ディリートは、それをムカムカと見つめた。


(一度目の人生では、この二人は気付いたら一緒にいたけれど。イゼキウスは、このフレイヤに「お姉様を不幸にして」と言われて私を不幸にしたのかしら?)


 

 胸の奥で、ドロドロとした暗い感情が渦巻いている。

 イライラする――ディリートは胸の前でぎゅっと手を握った。


(イゼキウス。私はあんなに尽くしたのに。私にあんなに……)


 ドキドキと心臓が騒ぐ。

 その先を考えてはいけない、そんな思いを抱きながら、ディリートの思考は止まらなかった。


(私にあんなに優しくしてくれたのに。「味方だ」と言ってくれたのに。たくさんのことを教えてくれて、そばにいてくれて、「助かる」と言ってくれて、「頼りにしている」と言ってくれたのに)


 ――悔しい。


 悔しい。悔しい。

 どうして。どうして。


 

(……どうして。これじゃ、!!)

  

 

 ディリートは震えるくちびるを噛み、うつむいた。

 きゅっと目を閉じたのは、目の奥が熱かったから。鼻の奥がツンとして、望ましくない涙をこぼしてしまいそうだったから。


(そんなの、認めない。私は、嫉妬なんてしてない)


「……おい」


 ぐい、と腰が抱き寄せられたのは、そのときだった。


「具合が悪いのかよ」


「あ……」


 ハッと目を開けると、イゼキウスの鮮やかな森色の瞳が、近い。

 ディリートは息を呑んだ。

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