4、ディリートは第一皇子殿下に忠誠を捧げたく存じ上げます
ディリートは実家を無事離れてランヴェール公爵と二度目の初対面を果たすことになった。
移動中にそれとなくランヴェール公爵の家臣たちに愛想と袖の下を振る舞い、何人かを懐柔したディリートは、ゼクセン公爵への手紙をしたためて届けてくれるように頼んだ。
カッセル伯爵家の家臣に頼んだのでは、握りつぶされて届かないだろうと思ってのことである。
「お嬢様。敵対派閥の方々を懐柔なさるとは、素晴らしいですね。ご立派に成長なさって、エマは誇らしゅうございますっ」
「エマ、泣かないで。……いつもありがとう」
おおげさなほど喜ぶメイドのエマ。
その手を握れば、働き者の証拠みたいな荒れた手があたたかい。
「お嬢様、ランヴェール公爵様は、水属性の魔法使用者を多数
エマは深刻な表情である。
「エマはいざとなったら……お嬢様をお連れして逃げます。駆け落ちします」
「エマ、駆け落ちはなんだか違うと思うの」
「では、
「悲劇的な最期ね。……でも、儚くなるときに誰かと一緒というのは、素敵だわ」
ディリートは一度目の人生で、病に倒れたエマが最期に遺した言葉を思い出す。
『お嬢様は、……エマがずっと見守っていますから、お守りしますから、どうか幸せになって……』
『エマ! そんなこと言わないで! エマは助かるわ。絶対絶対、助かるわ!』
「……エマ」
ディリートの手に力がこもる。
「あなたを幸せにするわ。私が絶対、幸せにするわ」
(心配しないで、エマ。公爵様は私が
「ところでお嬢様、本当にそのお姿で公爵様にお会いになるのですか? まるで喪服のようなドレスではありませんか」
「これでいいの」
「か、髪型も。お化粧も……もうすこし華やかになされては」
「エマ。ランヴェール公爵様は派手な女はお嫌いなのよ」
「ですがお嬢様。まるで、結婚ではなく葬儀にお出かけなさるよう」
「結婚とは人生の墓場、という言葉もあるみたいね」
徹底して露出を減らした黒い衣装に身を包み、長い髪をひとつに結わえたディリートは決意を新たに、馬車から降りた。エスコートしてくれたのは、道中親しくなった護衛騎士であった。
白を基調とした高雅な公爵邸が、懐かしい。
一度目の人生では、夫との初対面は最悪だった。
ランヴェール公爵――名をアシルという夫は、ディリートよりも六つ年上。
容姿端麗で、血統もよろしく、第一皇子の覚えもめでたい、という光輝くような立派な高位貴族だ。
実家にいた頃から『やんごとなき公女であった母の娘』という事実だけを誇りにしていた過去のディリートは、自分の夫になる男の美しさに見惚れた。そして、背伸びするように、初手で血筋をアピールしたのだ。
『わ、私の母は、ゼクセン公爵家の血筋で、皇族の血も混ざっていて……』
『失礼。あなたの母方の血筋が、なにか?』
ああ、懐かしい。あのヒンヤリとしていて、まったく興味のなさそうな声。皇族の血が混ざっているからなんだというのか、という顔。
苦い失敗の思い出を胸に、ディリートは周囲を見た。出迎えに並ぶ使用人たちの中に、いかにも下っ端といった雰囲気の幼い少年の姿を見つけて、ディリートは黒ドレスの裾を優雅につまんでもちあげ、歩み寄った。
「カッセル伯爵令嬢……?」
何をするのか、という視線が集まる中、ディリートは片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま、うやうやしく挨拶をした。
この国の伝統的な挨拶、カーテシーと呼ばれる礼は、一度目の人生では「どんな教育を受けているんだ?」とささやかれるほど下手だった。しかし、イゼキウスが「今から綺麗にできるようになって見返してやればいいのさ」と言ってこっそりと練習に付き合ってくれたのだ。
「お目にかかれて光栄でございます。我らゼクセン派のいただく次代の太陽、いと貴き帝国の第一皇子、エミュール殿下」
ディリートが使用人の少年に挨拶すると、周囲には数秒の間、呼吸の音を立てるのも恐れてしまうような沈黙と、ピンと張り詰めた緊張が訪れた。
外見年齢がローティーンに見える少年は、少年時代に毒殺未遂に遭い、その後遺症で肉体の成長が止まっていた。
実際の年齢は、ランヴェール公爵と同じなのだという。
真っ白な髪に、赤い瞳。いたいけな仔うさぎみたいな印象を感じさせる愛らしい少年は、愛嬌たっぷりにニコリと笑った。そして、ディリートの挨拶に応えたのだった。
「やあ、みんな。イタズラはどうやらバレてしまったようだ! 驚いたな。カッセル伯爵令嬢は慧眼をお持ちなのだね」
ディリートは子供を見るような表情にならないように意識しながら、礼儀正しく静かに微笑みを返した。
「アシル。そなたはどう思う? どうしてバレたのだろう! ちょっと見物するだけのつもりだったのに、君たちの運命の出会いを邪魔してしまったよ。すまないね」
使用人のフリをやめたエミュール皇子が視線を向ける。
状況を見守っていたランヴェール公爵は剣の柄にかけていた手を放し、無言で首を横に振った。
――下手な動きを見せていれば、この男は躊躇なく自分を斬り捨てていたに違いない。
ディリートはヒヤリとしながら、「このまま結婚式まで滞在するよ」と決定事項のように宣言するエミュール皇子に発言の許可を求めた。
許しが降りると、用意してきた誓いを述べる。
「亡き母、ユーディトの遺言により、ゼクセン派の娘ディリートは第一皇子殿下に個人的な忠誠を捧げたく存じ上げます」
痛いほどの視線が集まるのが、ディリートには感じられた。
「へえ。捧げてくれるならありがたくいただくけど。『ランヴェール新公爵夫人』は面白い人なのだね」
エミュール皇子は明るい声で応えて、ディリートの忠誠を受け入れ、小さく上品な杯を用意させた。
ディリートが水魔法で杯に水を生成すると、エミュール皇子は毒を警戒する様子もなく杯の中身を飲み干し、「ごちそうさま」と無邪気な笑顔を見せた。
――次の皇帝には、あなた様がなるのです。エミュール皇子殿下。イゼキウスではなく、あなた様が。
ディリートは一度目の人生で縁遠かった皇子の瞳に自分が映っている首尾に手ごたえを感じながら、ランヴェール公爵が差し出す手に視線を移した。
……次はあなたね。旦那様。
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