【短編】王太子に婚約破棄されましたが幼馴染からの愛に気付いたので問題ありません

天田れおぽん@初書籍発売中

第1話 婚約破棄

 頑張れば愛されると、いつから錯覚していた?


「アリシア・ダナン侯爵令嬢! 貴様をミラ・カリアス男爵令嬢への嫌がらせにより断罪するっ!」


「そんな! わたくしは、嫌がらせなど……」


「えーい、見苦しいっ! アリシア! お前は身分や美貌を鼻にかけ、他者への配慮に欠けるのだっ!」


 今日は学園の卒業式。


 王宮の大広間を借りて行われる式典の最中に事は起きた。


 壇上に登った王太子の口から発せられた言葉は、眠くなる春の日の午後の眠気を吹き飛ばす、祝いの席とは思えないもので。


 広い会場に集まった人々は、ざわつきながら成り行きを見つめている。


 晴れがましい日であるはずなのに、なぜ叱責されなければならないのか?


 アリシアには分からなかった。


「あぁ、ペドロさま。わたくしは……」


「名前で呼ぶなっ! 不敬だぞっ!」


「っ! ……わたくしは、アナタの婚約者ですのよ? ペドロ王太子殿下!」


「はんっ!」


 第一王子であるペドロが壇上から金の瞳でアリシアを冷たく見る。


 愛しい婚約者ペドロ。


 第一王子であり、王太子でもあるペドロはアリシアの婚約者だ。


 政略結婚の相手であるペドロを、アリシアは愛している。


 初対面の10歳から今日まで8年間。


 その想いは変わらない。


 燃えるような赤い髪に金の瞳。整った顔。背は高く、手足は長くスラッとした体。


 美しい貴公子であり、未来の国王。


 普段は魅惑的としか思えない長い睫毛に縁取られた金の目が、鋭利な刃物のような視線を向けてくるのに耐えられずにアリシアは俯いた。

 

「アリシア・ダナン侯爵令嬢。確かにお前は私の婚約者であったが、それも今日までだ。婚約は破棄するっ!」


「なんですって⁈」


 驚きに跳ねるように視線を上げれば。


 いつからそこに居たのか。


 ピンク色の髪と赤い瞳を持った令嬢の姿があった。


「ふふふ。アリシアさまともあろうお方が、はしたない声をお上げになって。貴族令嬢らしくありませんわよ」


「ミラ・カリアス男爵令嬢……」


「おお、ミラ。来たのか」


「はい、殿下。私は、いつも貴方様のお側におりますわ」


 ピンク色の髪がふわふわと揺れる。


 赤い瞳の令嬢は、いつも王太子殿下の隣にいた。


『男爵令嬢が王太子殿下にまとわりつくなんて』

『身の程知らずにも程がありますわ』

『気になさらないでアリシアさま』

『王妃に相応しいのはアリシアさまですわ』


(わたくしの周囲にいる人たちは、そう言って慰めてくれていたけれど……)


 いま目前にいるアリシアの愛しい人は、別の令嬢を愛しげに見つめ抱き寄せる。


 王宮の大広間を借りて行われる式典のクライマックスは舞踏会だ。


 一生に一度の輝く時。


 その時、隣に立つのは王太子殿下。


 卒業式典のダンスが終われば、国を挙げての結婚式が待っている。


 王太子妃となれば、次に待っている役目は王妃。


 国を背負う王を、一番側で支える役目。


 やりがいのある仕事。


 生きがいのある人生。


 アリシアとペドロの結婚は政略的なものだ。


 でも、彼女はそんなものを飛び越えてペドロの事が好きだった。


 赤い髪に金の瞳を持つ貴公子。


 贅を尽くして作り上げられたような見た目に反して、一切の無駄がないスマートな振る舞い。


 だから頑張った。


 王妃教育も。


 勉強も。


 王太子殿下の手伝いも。


 いつも、いつも、頑張っていた。


 なのに。


 辿り着いた先がコレなのか?


(そんな残酷な運命を辿るなんて……まさか、わたくしが? いえ、ありえない……)


 アリシアは、王太子との結婚を夢見ていた。


 その夢は覚めてなどいなかった。


 少なくとも、深紅に金刺繍のドレスにゴールドのアクセサリーを合わせた、今朝までは。


 王太子の色をまとい、輝く金髪を結い上げて、褒め称す侍女たちに送り出されたのは幻だったのか。


 シンと静まった広い会場。


 集まる人々の視線。


 自分が独りだと思い知らされる中に立たされたアリシアに、愛しい人は追い打ちをかける。


「私はミラと結婚する。お前は用済みだ。去れ」


「そんな……」


 見上げるアリシアを、赤に金のブレードをあしらった騎士服をまとった王太子殿下が見下ろしていた。


 冷徹な空気をまとったペドロが態度を変える様子はない。


 その隣で男爵令嬢は、アリシアの絶望を勝ち誇ったように眺めていた。


「そんな……」


 アリシアの唇は戦慄く。


 いや、全身が戦慄いていた。


 私は負けたのだ。


(そんなバカな!)


 婚約が決まった10歳から王宮に住まいを移し、未来に向けて努力と勉強の日々。


 親に甘えるどころか顔を見る機会すら減って。


 アリシアの人生は『王太子殿下の配偶者となる』ためだけに消費されてきたというのに。


(そんなバカな事って、ある⁈)


「王太子殿下っ! わたくしとの結婚は政略的なものですわっ! 殿下お一人の判断で破棄になどできませんっ!」


「えぇいっ! 忌々しいっ! お前の、そんな生意気な所がっ! 私はっ! 嫌いなんだっ!」


「殿下ッ⁈」


「知識をひけらかしおってっ! 私よりも成績の良い女と結婚したい男などいないっ!」

 

「殿下ッ! わたくしは、殿下のためにっ……」


(アナタは、わたくしの努力を無駄だった、と、おっしゃりたいの?)


 アリシアとて勉学が好きとは言えない。


 それでも王太子の婚約者として恥ずかしくないように、と、頑張ってきたのだ。


 なのに――――。


「私よりも賢い女など要らんっ! お前は国を乗っ取る気か⁈」


「そんなことはございませんっ!」


「王妃教育の合間にチャッチャッと学園の勉強も済ませるとか? 私には真似できませんわ、ペドロさま」


「ああ、ミラよ。お前には、そんな苦労はかけないよ」


「はい、ペドロさま」


「それに学園の勉強はもう必要ないだろう? なにしろ今日で卒業だ」


「そうでございますわね。ホホっ」


「王妃教育もキミなら難なくこなせるだろう。男爵令嬢だというのに、見事な所作だ」


「ありがとうございます、ペドロさま」


「そんな……わたくしは、殿下のお仕事の手伝いまでしていましたのに……」


「そんな事は頼んでないっ!」


「えっ⁈」


「お前は気を回して仕事を手伝っていた、と言うだろう。だがな。学生の私が、無理なくこなせる量しか割り振りが無かったバスだ」


「それは……」


「お前が私の分をこなしてしまえば、やる事は無くなる。お前が仕事をしてしまったせいで、私は仕事が出来ないというレッテルを貼られてしまった。そこまで考えたかっ⁈」


「それは……」


「私に仕事を割り振った事務官たちだって、赤っ恥をかくじゃないか。まだ本格的に働いてもいない王太子の仕事量すら正確に判断できない無能だってな」


「そんな……」


「お前は自分の事しか考えていない。回りとの調整は無駄に見えて重要なんだっ!」


「そんなわけがありませんわッ! わたくしだって、回りの方々の意見を聞いたうえで進めていましたわっ!」


「後からでしたら、どうとでも言えますわよね」


「ミラの言う通りだ、アリシア! お前は侯爵家の令嬢であり、王太子の婚約者であったのだ。我儘な事を言ったとしても、誰が指摘してくれる? そんな者などいないっ!」


「ですが……」


「まぁまぁ、殿下。その辺で許しておあげになればよろしいのでは? アリシアさまも幼い時から親元を離れ、王宮にお住まいなのですもの。細かな所までは気が回らないかと」


「うんうん、ミラは優しいなぁ。……アリシア! お前には、このような所が欠けているっ!」


「……っ」


(わたくしが親元から離され、王宮住まいになったのは王家の意向だというのに。それすらも逆手にとって、わたくしを卑しめる道具にされるというの?)


 アリシアの体は戦慄いていた。


 心も体も震えが止まらない。


「令嬢が親元を離れてしまったのですもの。本来、侯爵家にて受け継ぐべきものを、アリシアさまは受け取ってはいらっしゃらないのよ。責め過ぎてはいけませんわ、ペドロさま」


「それもそうだな。うん。アリシアは、正確には侯爵令嬢ですら無いのかもしれないな」


「なっ……」


「もう、お前は私の婚約者ではない。早く親元に帰って、せめて侯爵令嬢らしくなるんだな」


「……」


 チラチラとアリシアを伺っていた視線も消えた。


 深紅のドレスにキラキラ光る金のアクセサリーを合わせた金髪碧眼の令嬢は。


 広い広い王広間の真ん中に。


 たった一人、残されてしまったことを思い知らされる事になったのだった。

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