25、小さく丸くなって
夜。
わたくしの部屋で、ベッドの中で。
白ネコは、小さく丸くなっていました。
白ネコの毛並みはしっとりとしていて、やわらかです。
さらりとした手触りの下に、ぬくぬくとした体温が感じられて、呼吸にあわせて上下する体はすごく「生きている」って感じがするのです。
ネコ特有の良い匂いと一緒に、煙の匂いがするのが、今日あった出来事が夢ではないのだと教えてくれるようで、生々しいのです。
「うにゃぁん」
「怖かった、ですわね」
小さな声で呟いて、よしよしと白ネコを撫でると、ごろごろという喉が鳴る音が聞こえてきます。
「ぬいぐるみを直してくださる、ぬいぐるみ専用のお医者様がいます。わたくし、そのお医者様にナイトくんをお願いしてみようと思いますわ」
体の側面をこすりつけるようにすりすりされて、鼻先が寄せられて、懐かれていると思うと、嬉しい気持ちが湧いてきました。
「おやすみなさい。あなたに、素敵な明日が訪れますように」
おやすみの挨拶をして、ちゅっと鼻の上あたりについばむようなキスをすると、白ネコはパチパチと瞬きをして、口を開きました。
「ごめんなさい」
……。
「――……え?」
唐突な声は、目の前の白ネコが発したものでした。
「ありがとう」
白ネコは、つぶらな瞳をくりくりさせて、わたくしを見ています。
「あなたのおかげで、喋れるようになりました」
「……はい?」
「わたし、今まで自分が喋れるのを忘れていたの」
……。
わたくしの頭が、真っ白です。
数秒間、何も考えられなくなりました。
今日はびっくりすることが多すぎなのでは……?
「あ、聖女の力、でしょうか? わたくしがキスしたから」
少しだけある、おばあさま譲りの聖女の力。
それを思い出して、わたくしは恐る恐る尋ねました。すると、白ネコはコクリと愛らしく頷いたのです。
「わたしは、レティシア」
「ふぇっ……」
――びっくりが続くではありませんか。そのお名前は、魔法が得意なご令嬢……魔女さんのお名前ではありませんかっ?
「……大丈夫?」
「わ、わたくしの情緒が段々とついていけなくなってきています。でも、続けてくださいまし」
胸に手を当てて、はふはふと息をつむぎながらお願いすると、白ネコ――レティシアさんはお話を再開してくださいました。
「だいたいはあのトムソンという子が言ったとおり。呪うと同時にわたしも呪われたのよ」
白ネコのレティシアさんは、教えてくれました。
エヴァンス叔父様の小説を読んで、自分が悪役として書かれていて、酷い目にあっていて、嫌な気持ちになったこと。
その小説が王都中で楽しまれて、国王陛下にもからかわれて、カッと感情的になってしまったこと。
感情任せに魔法を使ったら、力が暴走したこと。
オヴリオ様が国王陛下を庇ったこと。
「王子が庇うとは思わなかったわ」
白ネコのレティシアさんはそう言って、目を伏せました。
「暴走した魔法……呪いは、わたしが嫌だと思うことが相手に降り注いだの」
それで、オヴリオ様は呪われてしまったのだと、白ネコのレティシアさんはトムソンの話を裏付けるように語ってくれました。
「わたしは、エヴァンスの小説が嫌だった。娯楽として楽しまれているのはわかっていたけれど、特別な相手に忘れられてしまう呪いをかけられた悪役令嬢が嫌だった。だから、悪役令嬢が作中でかけられた呪いがそのまま、第二王子にふりかかったのだと思うわ」
そういえば、エヴァンス叔父様は「悪役が怒った」とか、仰っていたのでしたか。
そんな話を聞いたのを思い出して、わたくしは息を呑みました。
そのお話を聞いたとき、わたくしは「エヴァンス叔父様は現実と虚構の区別がつかなくなってしまったのでは」と思ってしまったのです。
今、それを思い返すと、エヴァンス叔父様に申し訳ないような気持ちがどんどん高まってきました。
だって、本当にそうだったのですから。
でも……わたくしは、真実を主張するエヴァンス叔父様を、「こころを病んでしまった」とか「ご不調」というひとことで済ませて、理解したような気持ちになっていたのです……。
「王様はその後、何度も謝ってくれたけれど、呪いを解こうとしても解けなかった。だって、エヴァンスの小説には呪いの解き方が書いてないのだもの。そのまま、終わってしまったのですもの。しかも、呪いを解くどころか、わたし自身にも呪いは跳ね返ってきて……」
なんと、白ネコのレティシアさんはオヴリオ様が呪いを発動させてしまうたびに、その身にも呪いを受けたのだとか。
「わたしの友達、ビアンカは一緒に呪いを解こうと頑張ってくれたけど、できなかった。それどころかわたしのことを忘れそうになってしまって……」
「ビアンカおばあさまが」
「ええ。ビアンカは呪いの影響が自分におよんでいると気付いて、失いたくない記憶を守ろうとして……記憶をぼんやりさせたのよ」
「……!」
「だから、あなたのおばあさま……ビアンカは、あんな風になっているのよ。わたしも、ビアンカを守ろうとしたときに影響を受けて、自分の記憶の一部を忘れたりしていたけれど」
白ネコのレティシアさんは、ぱちり、ぱちりとネコの眼を瞬きさせました。
「ごめんなさい」
繰り返す声は哀し気で、辛そうで。
わたくしは、白ネコのレティシアさんを責めることができませんでした。
「呪いは、本の通りにあらわれた『悪役令嬢にかけられた呪い』なの。本に解呪方法がないから、どうやったら解けるのか私もわからなかったのだけど」
白ネコのレティシアさんは、わたくしの手に前足をたふたふと乗せました。
「でも、トムソンが続きを書いているじゃない? トムソンが解呪方法を決めてくれたら、そしてそれをわたしやみんなが『悪役令嬢にかけられた呪いは、そうやって解けるものなのだ』と認識したら、きっとそれが有効になると思うの。だって、あの呪いは『悪役令嬢がかけられた呪い』なのだもの」
白ネコのレティシアさんの声には「そうあってほしい」という願望と「そうに違いない」という確信とが半分ずつ、混ざっていました。
「わたくしも、それに賭けますわ」
わたくしがそう言えば、白ネコのレティシアさんは「うん」と頷いて、ちょっと元気が出た感じの顔を見せてくれました。
焦げ焦げのナイトくんと、お喋りができるようになった白ネコのレティシアさんと、わたくしと。
3人で過ごす夜はなかなか寝付けなかったけど、ネコになったみたいに小さく丸くなってじっとしていたら、いつの間にかわたくしはちゃんと眠りに落ちていて、やがて朝が訪れたのでした。
◇◇◇
ちなみに。
「おやおや……焦げてしまっている部分が痛そうですね」
ナイトくんを連れていったぬいぐるみのお医者様は、優しそうなおじさまでした。
「大丈夫。治りますよ。生地を再生したり、場合によっては似た生地を探して変えたり。中綿も交換しましょうね」
おじさまはそう言ってナイトくんを優しく撫でてくれました。
こうしてナイトくんはしばらく、おじさまのもとで「入院」することになったのですが、やがて元気いっぱい、元々よりも綺麗でふわふわになって帰って来たので、わたくしはとても安心したのでした。
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