24、でも、できなかった。

 視界が揺れて、背景が後ろに流れていきます。

 わたくしを抱えて、オヴリオ様が外に向かって駆けているのです。


 わたくしを抱きかかえるオヴリオ様の、少しはだけた胸元が目に入って、そこに傷痕があったので、わたくしは「やっぱり」と思いました。


 

 ――やっぱり、日記に書いていた王子様はオヴリオ様だったんですね。


 

「……アミティエ様には触れていたのに」

 

 わたくしはダメなのですね。

 ぽろりとこぼれたのは、そんな言葉でした。


 ありがとうございます、とか。

 そんな言葉のほうが、ふさわしいのに。

 そんな言葉を言うべきなのに。

 

 オヴリオ様の喉ぼとけが上下して、熱を孕んだような、少し掠れた声がわたくしの耳朶を震わせます。


「呪いには条件があるようで、はっきりはしていないんだ」


 

「……呪、い」


 ……呪い? あら? 何のお話?


「つまり、つまり、」


 

 は、と呼吸を紡ぎながら、オヴリオ様は苦しそうな表情を浮かべました。

 すごく、顔が赤いです。

 

 単なる「暑いから」という理由だけではない、そんな気配。つまり――照れています?


「と、……特別に想っているほど発動しやすいような……だから、君が相手だと発動しやすい……」


 あっ。これは。

 間違いなく、確実に。 

 照れていらっしゃる……!!

 

「は……はい。えぇと……」


 特別に想っているほど発動しやすい。

 だから。

 わたくしが相手だと発動しやすい……。


「……!?」

 

 それ。

 それって。


「それって……!!」


 理解した瞬間、ブワッと体温が上がったような感覚がありました。頬が熱くて、心臓の鼓動がすごいことになっています。

  

 ……それって、それって、わたくしがアミティエ様より特別ということですよね。そういうお話、ですよね。

 

 わたくしが凝視していると、オヴリオ様は火の勢いの弱めの場所を選んで、タンッと踏み込んで跳躍なさいました。

「きゃぁっ」

 火を飛び越えて着地してから、「跳ぶ前に言えばよかった」とボソリと呟く声がなんともオヴリオ様らしいです。


「だい、大丈夫、です」

 色々と驚愕続きで、情緒は乱れ切っていますが。

 必要性に駆られて、慌ててわたくしは声を発しました。

「わ、わ、わ、わたくしのことは、気にせずぅ……」


 体のすぐ近くで炎がゴウゴウ燃えています。

 わたくしを抱えたまま、オヴリオ様は外に向けてどんどんと進んでいきました。

 

「つまり……君が気にしていた、たまに記憶がなくなる症状は俺の呪いのせいで……」

「あっ」


 ……ええっ?


 道中で情報が追加されて、わたくしの頭が真っ白になりました。

 

「わたくしの症状、……呪いのせい?」

「すまない」


 言われてみれば、なるほど?

 エヴァンス叔父様の流行小説でも、呪われた悪役令嬢は大切な人に自分を忘れられてしまっていました。

 

「その、……はっきりしてないんだ。色々調べたり試したりしてて。でも、何回か呪いが発動して、段々と呪いが発動する条件というか、危険な行為がわかってきて」


 語るオヴリオ様の頬を透明な汗がつつ、と伝い落ちるのが見えて、わたくしはヨレヨレのハンカチでそっと汗を吸いました。


「ありがとう……、君にしか呪いは発動しなかった。ずっと、ずっと。いつも」

「……」

「そ……相思相愛になるとか。君が俺のことを好きだと言ってくれて、俺が好きだと言うとか。手を握ったりして、触れ合うとか。そんな何個かの条件を重ねていくと、危険性が高まるような……」

  

 

 言われてみれば、なるほど?

「……相思相愛」

 


 わたくしたち、そうでしたの。

 そおっと上目遣いに顔を見ると、真っ赤な顔で頷くではありませんか。


「……だから。俺は君のことを好きじゃないから、君も俺のことが好きじゃないと言って欲しい」


 そうでしたの。

 それで、それでしたの。


 ……。


「わ、わたくしのことが……オヴリオ様は」

「……」

 

 一瞬の沈黙ののち、揺れる視界に声が響きました。

 

「好きじゃ、ない」

 そんな顔をして言われても、効果あるのかしら。

 

 悲痛な声は、言葉と想いが逆なのだと必死に伝えてくれるみたいで、わたくしはぎゅっと目を閉じて頷きました。

 何度も、何度も。

 

「好きじゃありません。わたくしも、好きじゃありませんから」

 

 

 

 ……ああ。この気持ちを、わたくしは忘れたくない。



 わたくしは、そう思いました。

 強く。強く。


 


 ……同時に、思ったのです。

 過去のわたくしも、こんな気持ちだったに違いない、と。

 それなのに、忘れてしまったのだと思うと、悔しくて、悔しくて、仕方なくなるのです。


 

 『大切な人に忘れられてしまうから』

 『思い出せたらいいと思うんだ』


 先日聞いたオヴリオ様の声が脳裏によぎって、わたくしは心の底から「忘れた想い、全てを思い出したい」と思ったのでした。


  

 

 

 やがて、ふわっ、さぁっと新鮮な風が吹き抜けて、頬を撫でて。

 赤かった視界が、空や緑といった、安心する景色を映しました。

 気付けば、わたくしは建物の外にいました。

 

 ――助かったのです。


 血相を変えた人々に囲まれる中、オヴリオ様はわたくしを慎重に地面におろし、頬に手を寄せて、手袋がないことに気が付いて手を止めました。



 触れるか触れないかの距離で止まった手がそっと引かれると、胸の奥がツキリと痛みます。


「……君が無事でよかった。君に何かあったら、……生きていけない」


 熱を吐くように言われて、わたくしはやっと言うべき言葉を口にすることができました。


「ありがとうございます、オヴリオ様。……助けにきてくださって、嬉しかったですわ」



「お父様! お父様!」 

 遠くでトムソンがエヴァンス叔父様に抱き着いて泣いています。

 よかった。あちらもご無事だったみたい……。

 

 

「俺を忘れた君に、最初から呪いのことを言えばよかったんだ」

 オヴリオ様は、わたくしの前で膝をついて、懺悔するように言葉を連ねました。

「でも、できなかった。……なんでだろう」


 返す言葉も見つからない中、声が続きます。


「俺を愛してくれたのが嬉しかったんだ。いつも、いつも。……それで調子に乗って、俺はいつも君に想いを告げてしまった」


 オヴリオ様は、語るのです。

 危険だと思っていたのに、ついつい好きだと言ってしまったり、距離を置くことができないこと。

 たくさん、たくさんの失敗の思い出を。

 

「君のためを思うなら、近づかないでいればいいのに。でも、俺は君の一番近い場所にいたかったんだ」

「……!」

「他の男と恋人になられるのも嫌だった。だって、忘れてしまったけど、好きって言ってくれたんだ。生涯を誓い合ったんだ。約束したんだ……」


 糖分過多な声が切々と語って、わたくしはどんな顔をしていいかわからなくなりました。


 

 その後、しばらく現場は大騒ぎでした。

「メモリア! メモリア!」 

 おばあさまが泣きながら必死にわたくしを抱きしめてくれて、白ネコがぺろぺろと指先を舐めてくれて。


「みゃあ」

 硝子玉みたいな綺麗な白ネコの眼が天を仰いで。


 ぽつり、ぽつりと地面に染みが落とされるのを、わたくしはぼんやりと見ていました。

 

 

「雨だ。雨が降ってきたぞ……」

 


 エヴァンス叔父様はトムソンと一緒に。

 おばあさまと白ネコは、わたくしと伯爵家に。

 それぞれ、お家に帰って、ひとしきり大騒ぎしたあとは、いつものように静かな夜がやってきました。


 あちこちが焦げてボロボロになって、ぴくりとも動かなくなったナイトくんを、白ネコがふんふんと鼻を寄せ、ぽふぽふと前肢でつついて。


「にゃあ」

 ぽつりと鳴く声は、なんだかとても寂しそうで、わたくしはナイトくんと白ネコを一緒にぎゅうっと抱きしめたのでした。

 

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