#3 夕焼け小焼けで、また明日

 放課後、いつもの帰り道。近くを走る車の音、部活動に励む生徒達の声。そんな慣れ始めた光景も、一つ違うだけで大きな変化をもたらしていた。

 それはもちろん、隣を歩く明海の存在だ。隣といっても、緊張で胸が張り裂けそうで、まともに姿は見ていない。横から聞こえるローファーの足音だけが、明海と並んで歩いていることの証明だった。


『一緒に下校をする』。この項目にチェックが付けられる。友達とはまだだが、恋人編はクリアだ。あとは、『彼女を作る』にもチェックだな。一日で二つも埋まるなんて、今日という日は記念日になりそうだ。


 五分ほど続いた静寂を、不意に明海が破る。


「新宮君ってさ、本当に一人も友達いないの?」


「うぐっ、お前にはデリカシーってものがないのか?」


 傷口を容赦なく抉られ、俺は反射的に言葉を返す。すると、明海は俺の前に回り込み、胸に人差し指を押し当ててきた。


「その『お前』ってやつ、やめた方がいいよ。出会ったばかりなんだし、いきなりそれじゃ印象悪くなっちゃう」


「そ、そうなのか……ごめん……」


「それと、そういう時は謝るんじゃなくて、ありがとうって言ってくれた方が嬉しい」


「分かった……ありがとう」


 少しどもりつつも、俺は明海に感謝を伝える。しかし、彼女は満足していないようで、離した指の代わりに顔をずいっと近づけてくる。

 出会ってから今までの数時間で、どれほど明海の顔を至近距離で見ただろうか。美人は三日で飽きるというが、正直三年経っても慣れる気がしなかった。


「そのありがとう、誰に言ってるのかなー?」


「そ、そのくらい言わなくても分かるだろ!」


「ううん、ぜーんぜん分からない」


 明海が左右に首を振ると、シャンプーの香りがこっちまで届いてくる。

 明海の髪には夕日が溶け込み、赤みがかった髪になったみたいだ。周囲と調和する髪色が、誰とでも分け隔てなく接する明海らしいと感じる。


 そんな彼女が俺に力を貸してくれるという。それなら、俺も青春を謳歌するため、一歩を踏み出すべきじゃないだろうか。


「ありがとう……あ、明海さん」


「あははっ、そんなかしこまらなくてもいいって! 明海でいいよ。それとも、彼女になるんだから夕夏の方がいいのかな?」


 ……たしかに、恋人関係にある男女は互いを下の名前で呼ぶらしい。青春ノートにも、『彼女を名前で呼ぶ』という項目は存在する。だが、それをするだけの度胸は、今の俺にはなかった。


「じゃあ、今は明海で」


「そっかー、それなら私もしばらくは新宮君って呼ぼうかな」


 明海はそう言うと、俺に背中を向けて歩き出す。置いていかれないようにと、俺は小走りで隣に並んだ。


 さっきの発言はつまり、俺が明海を下の名前で呼んだ時、彼女もまた俺を下の名前で呼ぶということだろうか。

 自分が呼ぶための覚悟と、呼ばれた衝撃に耐えるための覚悟。その両方が必要だということに気付いた。


「で、で、結局友達はいるの? いないの?」


「その話、まだ続いてたのか……。正真正銘のぼっちだよ。最後に友達がいたのは、小学生の時とかかな。まぁ、引っ越しで中学が変わったから全員疎遠になったけど」


「ふーん、小学生か……」


「小学生の頃の友情って曖昧だろ? 一緒に公園で遊んだら友達みたいな。でも、成長していくうちに友達かどうかの線引きが厳しくなる気がするんだ」


 クラスが変わって話さなくなる人間を、果たして友達と呼ぶのだろうか。部活が一緒なだけの人間を、果たして友達と呼ぶのだろうか。そう考え始めると、友達になるという工程が必要なんじゃないかという気すらしてくる。あなたは私の友達ですか? 毎日そう問わないと心配になりそうだ。


「私は新宮君の彼女だから、友達じゃないもんね。ノート埋めるなら、友達も別で作らないと」


「自信ないな。作ろうって言って作れてたら、俺は今頃全校生徒と友達だ」


「それは大きく出たね」


「それくらいには、友達が欲しかったってことだよ」


 最初の一言目。これさえ口にできれば、友達ができたかもしれない。けれど、いつだってその一言目が出てこなくて、気付けば声をかけられることを待つようになっていた。

 明海との関係だって、彼女がきっかけを作ってくれたからこそ成立したものだ。


「明日さ、私の友達と話してみる? みんないい子だし、心配いらないと思うけど」


「明日……急だな……」


 しかし、鉄は熱いうちに打てという言葉もある。雇用関係とはいえ彼女ができた今なら、十分熱い状態といえるのではないだろうか。


「友達、頼めるか? せっかく掴んだチャンスだ、頑張ってみたい」


「いいじゃん、やる気だね。これは彼女としても働き甲斐があるよ」


 俺の問題だというのに、明海は嬉しそうな声音で言う。陽キャも磨きがかかると、他人の幸せにも価値を見出せるのかもしれない。


 いつの間にか、もう家の側までやってきていた。入学してからの一ヶ月で、登下校の時間が一番短く感じた。浮かれているだけかもしれないが、楽しい時間はあっという間というやつなのだろう。最低限の連絡以外で、こんなにも誰かと話したのは久しぶりだった。胸が弾んでいるのが、意識しなくても分かってしまう。


「俺の家、すぐそこなんだけど……彼氏なんだから駅まで送るべきかな?」


 別れ際に出てきたのは、なんとも情けない問いかけだった。


「今日はいいよ。だって、まだお金貰ってないし。でも、新宮君にやる気があるなら、明日からはお願いしちゃおうかな。彼氏として、エスコートしてもらわなきゃ」


「ぜ、善処する……」


「それじゃ、また明日!」


 手を振り、どんどんと遠くなっていく明海。「また明日」と次が約束されているにもかかわらず、最初の別れはやけに寂しかった。

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