第240話 ヴルカンの今際
「急に離れないでくださいな」
後方を走るムゥタンからの非難が混じった言葉に、アナトミアは目をさまよわせながら答える。
「いや、その……あのままにしておくのはダメかな、って」
「まぁ、それは確かに。あのままラーヴァ王子がヴルカンに負けたら、大変なことになっていたでしょうが……」
振り返ると、ラーヴァがヴルカンを追い詰めていた。
「ヴルカンの不死身のような回復力の要である杖の破壊。『消える』ことができるアナトミアさんでなければ出来ない芸当ですぅ」
「扉が開かなくてヒマだったときに、そんな事をしていたなんて、流石だな!」
クリーガルが、目をキラキラと輝かせながら言う。
「本当は、もう少し早く壊したかったですが……」
そんなクリーガルと対照的に、少しだけ暗い顔をアナトミアは浮かべていた。
「アナトミアさんが気にする必要は無いですよぅ。あの兵士達は明確に我々を裏切っていたのですからぁ。そもそも、あの兵士達が裏切ったせいで、アナトミアさんがラーヴァ王子とヴルカンの戦いに参加してしまったというか……」
元々、アナトミアもラーヴァとヴルカンの戦いに手を出すつもりはなかった。
しかし、戦況と状況を考えるとラーヴァがヴルカンに負けてしまうのはよろしくない。
それなのに、ラーヴァの決死の攻撃が、3人の兵士の裏切りによって台無しにされたのである。
このままでは、ラーヴァはヴルカンに負けるだろう。
そう考えて、アナトミアは自然の言葉を唱えて『消えた』うえで、ヴルカンの杖を斬ったのだ。
しかし、アナトミアが『消えた』ときには、すでに3人の兵士達はヴルカンの蛇に噛まれており、毒に侵され、燃え、手遅れだった。
だが、そのことを気にしているアナトミアを賞賛する者がいた。
「はぁぁ……アナトミア様。あのような裏切り者の命を気になさるなんて、なんて慈悲深い」
先頭を走っている、メェンジンである。
「現在進行形で裏切っている人が、何か言っていますねぇ」
「私の今の仕事は、アナトミア様をパラディス殿下の前にお連れすることですから」
ムゥタンの嫌みを、メェンジンは受け流す。
「……メェンジンさん」
そんなメェンジンに質問をしようと、アナトミアは話しかけた。
「アナトミア様が!!私に声をかけてくださった!! はぁ……なんという幸せ。倒れそう」
「いや、邪魔なので進んでください。まぁ、このまま置いていってもいいですがぁ……それで、アナトミアさんは、この裏切り者に何を聞きたいんですかぁ?」
「何でもお聞き下さい!」
蹴り飛ばそうとしたムゥタンの足を避けながら、目を輝かせてメェンジンがアナトミアを見る。
そんなメェンジンの目を見ないようにしながら、アナトミアは聞いた。
「……ヴルカンが死にそうですけど、いいんですか?」
倒れたヴルカンの前に立つラーヴァに視線を向ける。
その様子をメェンジンも見ながら、小さく、細く、息を吐いてから言う。
「……ラーヴァ王子に殺されるなら、ヴルカンも本望でしょう」
『ねぇねぇ、そこの暗い顔をしたお兄さん』
『……もう、お兄さんって年じゃないけどな。俺はおじさんだ、おじさん』
『ダメだよ。せっかくこんな可愛い子がお兄さんって呼んだんだから、そこは喜んでお兄さんって認めないと。自分からおじさんだなんて、枯れたこと言っていたら、恋人できないよ? 恋人ができないと、1人で死ぬよ? 枯れて死んで……1人だったら、寂しいよ?』
『うるせーよ、ガキ』
(……夢だ)
何度も見て、何度も耽った過去の光景をしがみつくように想う。
しかし、その光景は徐々に薄れていく。
(イヤだなぁ……もう、終わるのか)
現実が、すぐそこに迫っていた。
(どうせ……そこに君はいない)
白い視界が、うっとおしい。
(お兄さんと呼んでくれる、君はもういない)
白い視界は、赤く変わった。
視界に広がる赤いモノが、自らの体から溢れていることを認識しながら、彼は……ヴルカンは体を起こそうとする。
しかし、その手に力は入らない。
ヴルカンに出来るのは、赤子のように寝返りをすることだけだった。
天井と共に視界に広がるのは、傷だらけのラーヴァ王子がヴルカンを見下ろしている光景である。
「……似てないなぁ」
「……似てない?」
「いや、気にしないで。それより……ちょっと寝ていたのかな?それに……死にそうだね、ラーヴァ王子。可哀想に……大丈夫?」
「今から死ぬお前よりマシだ、ヴルカン」
「は……まぁ、そうだね。間違っていない。杖を失って、胸に小さいけど穴が空いて……これは、さすがに無理そうだ」
口からも、ドロドロと血が溢れていく。
「ヴルカン、一つ聞く」
荒い呼吸を整えるように、深く息を吐いたあと、ラーヴァは質問する。
「お前が持っていた杖は……『杖の皇国 スタックケイン』から授けられたモノだな? お前の本当の主は……『杖の皇国 スタックケイン』か?」
「……向こうはそう思っているだろうけどね」
「何?」
「言ったじゃない。今はパラディス殿下に仕えているって」
「……昔は誰に仕えていた?」
「……そうだねぇ……うるさいガキだと思っていたよ」
ヴルカンは、羽毛で撫でるように目を閉じる。
「邪魔だと言っているのに、何度も話しかけてきて、聞いてもいないことを語って……生まれたばかりの弟や妹のこと。好きな食べ物、好きな花、なんで、こんな場所にいるのか」
ヴルカンの口調は、ラーヴァはこれまでに聞いたことも無いほどに穏やかであり、まるで赤子を寝かしつけるようであった。
「大きなドラゴンを見たいから、なんて、馬鹿なことを言っていたけど……それが馬鹿な事だって理解していただろうね。あの子はとても賢くて、美しかった……奴隷船に乗っていることくらい、わからないはずがないんだから」
だが、寝かしつけているのは、おそらくはヴルカン自身なのだろう。
声が、徐々に小さくなっていく。
「……その者の名前は?」
ラーヴァの質問に、ヴルカンはゆっくりと目をあける。
「スクヴル。パラディス殿下の母親で……ラーヴァ王子達の生みの親」
今まで聞いたことも無い話に、ラーヴァは息をのむ。
そんなラーヴァに微笑んで、ヴルカンは話を続ける。
「……奴隷船は色々と便利だからねぇ。仲間の運搬とか情報収集とか。そこで彼女を運んでいるときにちょっと話してしまって……だから、仲良くなって……だから、彼女の売り先を調整した。あの子は賢くて、見目もよかったから、肥え太ったじじいの相手をさせるよりはヒドい事にはならないだろうって、ドラフィール王国でもっとも高貴な人達が集まる場所へ、彼女を連れて行った」
ヴルカンは……口に貯まった血を飲む。
「失敗だった。あそこは……後宮は、ケダモノが集まる場所だった。この世で最も醜悪で、おぞましい、忌むべき場所だった。それに気がついたのは、彼女が先々代の王とその長子、后たちに囲まれ、嘲笑われている場面を見たときだった……殿下が作られたときだった」
ヴルカンの呼吸が荒くなった。
胸が激しく上下に動く。
最後の炎を、燃やしている。
「彼女は生きてはいた。でも、もう彼女はいなかった。胎に新しい命を宿して、それが最後だった。もう、昔のように笑うことはなかった」
ヴルカンの胸の動きが、急に小さくなる。
「お兄さんって……呼ばなくなった」
ヴルカンの目に貯まっているものが、落ちた。
「寂しいなぁ……」
小さく、残っていたモノを吐き出すように、そう言って、ヴルカンは動かなくなった。
「……なんだ、それは」
ラーヴァは、流れていくヴルカンの血の中で、小さくつぶやく。
「……最後の言葉が……そんな悲しい毒なのか?」
ラーヴァの問いに答える者は、もういなかった。
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