第96話 今生の別れ
「お風呂に入りますよぅ! アナトミアさん!」
「はぁ……」
オアザが出立してから、その日の夕方。
朝からどこかに出かけていたムゥタンが帰ってくるなりアナトミアをお風呂へ誘ってきた。
「一人で入ればいいんじゃないですか? 私は朝入ったので」
オアザの見送りのために、朝からアナトミアはムゥタン達に洗われ、飾られたのである。
オアザが出て行ったあとにも不必要な化粧や香水を落とすためにお湯を浴びており、アナトミアの感覚でいえば、今日はもうお風呂に入る必要はなかった。
「えー、入りましょうよぅ。色々、話しておきたいこともあるので」
後半、小さな声で話したことから、アナトミアにだけ話しておきたい内容があるのだろう。
そのことを察して、アナトミアはしぶしぶムゥタンの提案に了承する。
「しょうがないですね」
「じゃあ、クリーガル。私はアナトミアさんとお風呂に入るので」
「……ああ。こちらは任せておけ。イェルタル殿もいるしな」
「クリーガルさん、お茶でもどうですか?今日の茶請けは、生麩の田楽です」
「おお! かたじけない!! イェルタル殿が作るおやつはどれも美味いからな!!」
完全にイェルタルに餌付けされているクリーガルをおいて、アナトミア達はお風呂場へと向かう。
「……あれ、大丈夫ですか?」
「仕事はするでしょうから、大丈夫でしょう。能力的な意味でも、相性は良さそうですし」
「でも、その、私たちはただの平民で、クリーガルさんは貴族……」
「平民といっても、神職で、しかも優秀ですから。それに、どうせアナトミアさんは……」
ムゥタンはニヤニヤと笑いながらアナトミアを見る。
「……私がなんですか?」
「いえいえ。そうなればいいな、というお話なので……本当に、そうなればいいのですが……」
ムゥタンは脱衣所の扉をあける。
「まぁ、一度お湯に入ってから話しましょう」
アナトミアとムゥタンは体を洗ってから湯船に浸かる。
「……それで、話ってなんですか?」
「朝の続きですよぅ。今生の別れになるかもしれないって話ですぅ」
「ああ、やっぱり、危険なんですか? トングァンは」
オアザが向かったトングァンの町は、友好的とはいえない東の島:オストンの領主:シュウシュウが管理している町あり、そして、おそらくは敵対しているラーヴァの臣下、ヴルカンが滞在している町だ。
安全なわけがない。
「でも、いくら敵対しているからって、町中で堂々と殺すようなことはしないんじゃ……暗殺の警戒はしているようですが、あのヴルカンって人の魔法は、あまり暗殺向きじゃないんですよね?」
昨日聞いていたヴルカンの情報を思い出しながらアナトミアは言う。
「ヴルカンが極めている『火の魔法』は、殺傷能力は高いですけど、どうしても光るし、証拠も残りやすいですから。それに、性格的にも暗殺なんて方法は好まないのは事実ですぅ。でも、今回今生の別れといったのは、別にヴルカンだけの話じゃ無いんですよぅ」
ムゥタンは、深くお湯に身を沈める。
「……オアザ様は、滄妃龍:ブラウナフ・ロンが討伐されていることを確認したら、そのまま王宮へ戻るおつもりですぅ」
「……え?」
それは、アナトミアが聞かされていない話だ。
「ラーヴァが滄妃龍:ブラウナフ・ロンを倒したことになれば、状況は大きく動きます。そのときに、オアザ様いるといないとでは、出来ることが違いますから」
「ああ、だから今朝……」
アナトミアは、オアザにこう言ったはずだ。
『お戻りになることをお待ちしております』と。
「戻るつもりがない人に、戻ってこいだなんて……」
「嬉しかったでしょうね、オアザ様。つい抱きしめてしまうくらいに」
アナトミアの言葉を遮るように、ムゥタンは言う。
「……いや、嬉しいって」
「嬉しかったんですよぅ、オアザ様は」
重ねるように言われて、アナトミアも口を閉じる。
そして、そのまましばらくは二人とも何も言わずお湯に浸かっていた。
「お二人は……」
「ん?」
「いえ、オアザ様が戻らないなら、ムゥタンさんとクリーガルさんはどうなるんですか? 私は、二人がいるので、オアザ様も戻ってくるつもりだと思っていたのですが……」
「アナトミアさんに仕えるように、命じられました」
「はぁ!?」
ザバリと思わずお湯からアナトミアは身を乗り出してしまう。
「オアザ様が迎えに来るまで、アナトミアさんを守るように、と。あ、安心してください。その間のお給料とかはオアザ様から出るので。あと、アナトミアさんにも、滞在費とかもろもろ含めて支払われるので……」
「いや、お金の話は……ちょっと気になるのであとで詳しく聞きますけど、そうじゃなくて、その、いいんですか?」
「いい、とは?」
「その、私は平民で、お二人は高貴な身分の方々ですよね? 命じられたからといって、私に仕えるとか……」
アナトミアの質問に、ムゥタンは笑ってみせる。
「何を今更。アナトミアさんに仕えているのは、これまでと変わらないじゃないですか」
「いや、オアザ様の命令で私の面倒をみるのと、仕えるのは違うんじゃ……」
「んー……そんなに私たちに仕えられるのが嫌なんですか?」
「嫌じゃなくて、さすがに恐れ多いというか、申し訳ないというか……」
もじもじとし始めたアナトミアに、ムゥタンは仕方ないとばかりに首を振ったと、急にアナトミアに抱きつく。
「ひぇっ!? ちょっ、ムゥタンさん!」
「うふふふ……可愛いですねぇ。アナトミアさんは。そんなことを気にして。では、そんな事を気にしなくていい方法を、ムゥタンさんが教えてあげましょう」
「気にしなくて良い方法?」
「はいな。それは簡単な方法ですぅ」
耳元に囁くように、ムゥタンは言う。
「結婚すればいいんですよぅ。オアザ様と」
「はぁっ!?」
ムゥタンからの突然な提案に、アナトミアはかなり大きな声を出してしまう。
「何を驚いているんですか? というか、さすがに気がついているでしょう? オアザ様の想いに」
「いや、気がつくとかじゃなくて、ありえないでしょう。私は平民ですよ? 結婚とか、そんなの……」
「大丈夫ですよぅ。ああ見えて、一途な御方ですから。執着の水のまま、一意専心な方ですぅ」
「いやいや、執着とか普通にキモい……いや、そうじゃなくて」
「……王族相手にキモいとか、度胸がありますねぇ、アナトミアさんは」
指摘され、さすがに失言すぎたとアナトミアは慌てる。
「いや、違うくてぇ。本当に、オアザ様は素敵な方だと思ってぇ。朝も動けなくてぇ」
「口調を変えるほど慌てないでくださいな。というか、やっとオアザ様を褒める言葉が出たと思ったら、棒読みよりもヒドいですよぅ。なんですか、動けなくてぇって」
アナトミアもよく分からない。
朝、身動きがとれなかったことに対する恨み言が少し言葉として漏れたのかもしれない。
「どちらにしても、このお話はオアザ様が無事に次期王の立場を確立してからの話ですぅ。現状は、危険すぎて、アナトミアさんを王宮に連れて行くことはできませんから」
「次期王って、それって、私はどうなるんですか?」
アナトミアの質問にムゥタンは笑顔を返す。
その笑顔の意味を察して、アナトミアは湯船の縁に身を寄せる。
「……動けなくてぇ……このまま何もかも忘れて眠りたくてぇ……」
「安心してくださいな。このムゥタンが仕える以上、アナトミアさんに不自由な思いはさせません」
「なんか、何もかもが重すぎてぇ……!」
アナトミアが心からの叫びをあげた瞬間。
匂いがした。
何かが燃える、かすかな匂い。
「ん?」
「……アナトミアさん!」
ムゥタンの声が聞こえる。
それと同時に、爆炎が、アナトミアたちがいる風呂場を包みこんだ。
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