第79話 清浄な欲

「ふむ、ここがイェルタル殿が修練している場所か」


「ええ、本来ならば王族の方をお連れするような場では無いのでしょうが……」


「いや、かまわない。これほどまでに満ちている場所に反感を持つ王族はいないだろう」


 オアザは周囲を改めて見回す。


 雑草など生えていない綺麗に整備された場には、円形の的が置いてあるのみだ。


 ただ、その空気は、まるでシュヴァミア達が祈祷を行ったあとのような清浄さで満たされていた。


「弓には魔を払う効果があると言われるが……イェルタル殿が普段弓を扱う場所であるならば、この清浄さも理解できる」


「魔を払う、ですか。そのような見方も出来るとは思いますが……」


 イェルタルは、そっと息を吐く。


「王族の方に失礼かとは存じますが、魔とは何でしょうか?」


 イェルタルからの問いに、オアザは笑う。


「このような私的な場では、イェルタル殿達は、私に対して立場などは気にしなくてもいい。これからは気楽に話してもらえると嬉しい」


 オアザの傍らにいるクリークスは何も言わずにただ立っている。


 そんな彼らの様子に、少し思案した後にイェルタルは答えた。


「……ありがとうございます」


「うむ。それで、魔とは何か、という問いだが……魔とは、『欲』だと言われている」


 イェルタルが軽く頷く。


「食欲、睡眠欲……人だけではない、この世の全てが持つ『何かをしたい』と思う欲。それこそが魔であり、その魔は様々な事を引き起こす」


 オアザは、握り拳ほどの水の塊を出す。


「魔法は、その例の一つだな。水を出したいという欲が形となり、水の魔法になる……といっても、普通の人間の欲が形になることはほとんどない。ゆえに、魔法を使える者には、人ならざるモノ……神獣などの血が混ざっているという説が出てきた。騎士に施す紋章にはドラゴンの素材を使用するため、間違ってはいないのだろうが……」


 オアザは、水の塊を消す。


「この回答はいかがだろうか、イェルタル殿」


「さすがに王族の方は知識も深い、と。では、さらに質問を続けますがオアザ様は先ほど魔を払うと申されましたが、その魔を払うモノとはいったいなんでしょうか」


 イェルタルの質問に、オアザは口を閉じ思案する。


「ふむ……神聖なる力……などではない」


 オアザの答えに、イェルタルは軽く頷く。


「魔を払えるモノなど、さらに強大な魔しかあるまいよ」


「……はい。おっしゃるとおりです。この場所をオアザ様は清浄とおっしゃられましたが、結局のところそれは雑多な魔……つまり、植物や動物、他の人の魔、欲がなくなっているだけのこと。この私の魔が、追い払ってしまったということです」


 イェルタルが、いつのまにか弓を取り出し、矢を射る。


 同時に、何かが消えたような、払われたような風が流れた。


「人の欲に限りはありません。神職という身でありながら、私も己の欲には勝てません。弓を構えるところまでは、私も無に近いところまではたどり着いているとは思いますが、結局、矢を放つ際には、欲が顔を出してしまう」


 イェルタルは地面を見る。


 イェルタルが放つ矢の軌道にそって、地面が抉れていた。


「的に当てる。獲物を狩る……魔とは、欲とは、どうしてこうも隠れ潜み、顔を出すのか。こうして綺麗に整っているように見える場所でも、実は傲慢な欲の形でしかない」


 草木の生えてない修練所から、イェルタルは目をそらす。


 はるか遠くに見える的に、矢が刺さっていた。


「それは、人も一緒です。オアザ様はどうやら私の家族達を非常に高く評価しているようですが……どんなに綺麗に、美しく思えても、所詮は人。魔がその身に、心に、巣くっています。いや、他の魔を払える以上、よりその身に秘めた魔は、欲は、強いのでしょう。私の妹たちの祈祷は、ご覧になられたでしょう?」


「ああ、見事なモノだった。あれほどに神秘的な儀式は王宮でもめったに見ることは出来ないだろう」


「神もまた、魔ですから。極東の国では、国を生んだ神が死をまき散らす存在に変わる話がございます。それに、八つ首の強大な魔であった龍は、こうして異国の地で神として恐れ、敬い、奉られております。管理する神まで連れて……」


「……フフ」


イェルタルの念を押すような言葉に、オアザはなぜか笑い出す。


「……どうされたのですか」


「いや、素晴らしい、と。ドラゴンの解体師殿がやけに聡明だと思っていたが、なるほど、貴殿のような者が兄であるのならば、納得できるというモノだ」


 オアザは手のひらをギュッと握る。


「神もまた、魔である。それは道理だ。この世の全てには正と負。陰と陽。表も裏も存在する。これは我ら王族が教わる大切な教えの一つでな。その中で、欲とは何か、という教えもある」


 オアザの手のひらから水が現れ、それが弓のような形に変わる。


「欲とは、光だ。愚かなモノは夜に飛ぶ虫のように欲に惑わされ、己の身を焼く。だが、光が無くては、進む道が分からなくなるだろう。ゆえに、さらに言い換えるならば……」


 オアザは水で出来た弓を構えると、弦を引き、離す。


 すると、水で出来た矢が弓から放たれ、遠くに見える的、イェルタルの矢の横に刺さった。


「欲とは、希望だ。人が望む果ての光である。その光は決して悪しきモノであるはずがない。そもそも、私はシュヴァミア殿達の祈祷の儀式も、イェルタル殿の弓も、素晴らしいモノだと感じたのだ。それが魔であれ、神秘であれ、その評価を変えることはない」


 オアザは、イェルタルに向き直る。


「だから、安心してほしい。私は何も、美しい所だけを見て、人を判断などしていない」


 オアザの答えに、イェルタルは肩の力を抜くように息を吐いた。


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