第76話 狩竜祭が終わって
「ふぅ……」
ドンチャンドンチャンと騒いでいる広間から離れて、アナトミアは一人、炊事場に来て水を飲んでいる。
狩竜祭が終わり、トンリィンの神域に戻ってきたアナトミア達は祝勝会を開始したのだ。
「ムゥタンさんが、宴会芸が得意なのは分かっていたけど、ゼクレタルもどこであんな奇術を身につけたんだ?」
ムゥタンは普段の言動のとおり、宴会を盛り上げるのが得意なようで、楽器を巧みに鳴らしながら歌と音楽で皆を楽しませてくれた。
すると、そんな、ムゥタンに敵対心を燃やしたのか、ゼクレタルも奇術を披露しはじめたのである。
「なんの変哲も無いドラゴンの鱗が色とりどりの花に変わって……なんでか知らないけど、クリークスさんが取り乱して大変だったな」
普段は物静かな壮年の男性であるクリークスが『ドラゴンの鱗がぁああ!?』と騒いだ時は皆驚いたモノだ。
そのあと、ゼクレタルがクリークスが着ている服の衣嚢からドラゴンの鱗を取りだしてみせると、クリークスが安堵しながらも照れくさそうに謝罪し始めて、皆で笑ってしまった。
「……この声は、イェル兄とシュヴァ姉か。上手だな……」
広間から、綺麗な声の歌が聞こえてくる。
歌っているのは、イェルタルとシュヴァミアだ。
「なんか珍しい音は……ナフィンダが作った絡繰道具かな……声が増えた。ゼクレタルか……」
家族達が仲良く歌っている光景を思い描いて、アナトミアは思わず笑みを浮かべる。
「……よかった。本当に」
「こんな所にいたのか」
「うわっ!?」
後ろから声をかけられて、アナトミアは飛び上がる。
「そんなに驚くな」
「……オアザ様ですか」
背後から声をかけてきたのは、オアザだった。
「どうしたんですか? こんな所に」
「ドラゴンの解体師殿が広間にいなかったのでな」
「え、探しに来たんですか?」
女性が一人になったところに声をかける男性。
事案か?とアナトミアは反射的に一歩下がった。
「……襲撃があるなら、今日だろうからな」
オアザに言われて、アナトミアも思い出した。
「賭けに負けたモノを取り返すなら早いほうがいいって考えですか。正式に譲渡されると取り返すのは不可能ですからね」
「取り返そうにも、手続きに必要な書類はもう送っているのだがな。そんなこと、向こうは知らないだろう……だが、本当に良かったのか?」
「なにがです?」
「青龍の神域:トンロンを私のモノにすることだ」
狩竜祭が終わった後、今回の賭けの精算が行われた。
青龍の神域:トンロンの運営に関わる土地などの所有権は、一度トンリィンに渡り、そのままオアザにトンリィンから譲渡されたのである。
「いいんじゃないですか?私たちがトンロンを貰っても管理できるほど余裕がないですし……主に人材という意味ですけど。お礼の代わりと思って受け取っておいてください」
「お礼か……」
オアザは考えるように口元に手を置く。
「さて、私はそろそろ戻りますね。オアザ様は……」
水を飲んでいた杯を置いて、広間に戻ろうとしたとき、背後からアナトミアの首に手が当てられた
当てているのは、オアザだ。
「……なんですか?」
「いや、お礼ならば私としては、欲しいモノが別にあるのだが……」
「はぁ……」
なんで人の首に手を当てるのか。
人の嘘が分かるというが、今の場面に必要ないだろう。
なので、これはおそらくオアザの趣味というか、癖なのだ。
絞められているわけではないので、痛くもないのだが、痒いというか、むずむずするのでやめてほしいものである。
オアザはそのまま、アナトミアの肩に手をやり、向きを変える。
オアザの顔が、目の前に来た。
「今回、自分で言うのもなんだが、けっこう頑張ったと思うのだ」
「そうですね。自分で言うことではないですね」
「むぅ……」
そう言いながらも、アナトミアも分かってはいる。
今回の狩竜祭。
オアザがいなかったら、トンリィンの神域は無くなり、シュヴァミア達は領主に召し抱えられていただろう。
イェルタルの狩りの腕前なら、どんな罠が仕掛けられていても、ドラゴンを狩ることは出来る。
だが、イェルタルがどんなに強大なドラゴンを数多く狩っても、相手に領主であるシュウシュウの協力がある以上、狩竜祭の結果で負けていたはずなのだ。
「あれだけ脅し、自らの口で敗北を認めさせたのだ。今後、東の島:オストンの領主達がドラゴンの解体師殿の姉君達を狙う事はないだろう」
「バキバキに心を折っていましたからね」
「ドラゴンの解体師殿の家族を守るためだからな」
オアザの顔が近くなる。
顔を背けようにも、首に当てられた手で顔の向きを変えられなくされていた。
「それに……民の上に立つ者として、オストンの領主達がしたことは、許せなかった」
「そうですか」
(顔色が良くなってきたな)
医官のバハンが言うには、まだ万全ではないそうだか、やつれていた出会った時と比べると、かなり健康そうな見た目になっている。
数多くの令嬢を恋に落としたという美貌が戻りつつあった。
(トンロンのジジイが顔を赤らめていたからな)
完全にオアザをそういう目で見ていた青龍の神域:トンロンの神官長の事を思い出し、目が遠くなる。
「どうした?」
「いえ、なんでも」
そんな美貌の持ち主が、なぜアナトミアの首に手をやり顔を見てくるのか。
よく分からなかった。
オアザが求めているモノなど、目の前にある変わった雑草を摘まなくても、もっと綺麗で価値のある花がいくらでも手に入るだろうに。
(まぁ、けど……家族を守ってもらった民として、王族に感謝を捧げるくらいはするべきか……)
アナトミアは、首元に置かれているオアザの手に、自分の手を重ね、軽く握った。
「私の家族を守ってくれて、ありがとうございます。オアザ様」
「んくぅん……!?」
「んくぅん?」
母親を目の前にした子犬のような声が聞こえてアナトミアはオアザの顔を見ようとしたが、オアザは顔をそらしていた。
「……どうされましたか?」
「い、いや……なんでもない。なんでもないのだ」
「はぁ……」
いつの間にか、アナトミアの首元からもオアザは手を離している。
「体調が優れないのですか? そういえば、まだ本調子ではないと医官のバハン様もおっしゃっていましたけど……およびしましょうか?」
「いや、本当になんでもないのだ……すまないが、失礼する」
よろよろとこちらを見もせずに、オアザは炊事場から出て行った。
「……なんだったんだ?」
「まぁまぁ、気にしないでくださいな」
オアザの入れ替わるように、ひょっこりとムゥタンが顔を出す。
「今度はムゥタンさんですか」
「今度はムゥタンさんですよぅ。というか、一応護衛ですからね。アナトミアさんを一人にするわけにはいかないですから」
「さっきの話、本当だったんですか」
オアザが言っていた襲撃のことを思い出す。
「何人か来ていましたけど、もう終わっているので安心してください」
「……本当に来たんですか」
そして、終わっていた。
「終わったのなら、護衛も必要ないんじゃ……」
「まぁ、しばらくは様子見ですねぇ。2、3日ほどは不便かもしれませんけど、アナトミアさんもしばらくはご協力くださいな」
ムゥタンと一緒に、アナトミアは広間に戻る。
よく見ると、クリークスやクリーガルも帯刀し、武装していた。
(物騒だなぁ……)
まだまだ平穏とはいかない状況に、アナトミアは辟易としながらも、どこか嫌な予感はしている。
(けど……な)
広間では、シュヴァミアもイェルタルも、ゼクレタルもナフィンダも、皆、安心し、笑っていた。
(ひとまずは、一段落。それでいいか。それよりも……)
アナトミアは、外の方に目を向ける。
そこには、イェルタルが狩ったファンダル・ドラゴンの死体が置いてある。
(ファンダル・ドラゴン……どんな感触なんだろう……ふへへへへ)
斬ったことがないファンダル・ドラゴンの解体が、楽しみでしょうがないアナトミアだった。
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