第59話 兄弟たちからの相談

 屋敷に到着したあと、夕食と湯浴みを終えて、アナトミアは用意された部屋の長椅子でくつろいでいた。


 くつろぐ、というより、天井を仰ぎ見ている。


「知らない天井だ……」


「それは知らないでしょうねぇ」


 アナトミアは、大きく頭を下げた。


 近くにはムゥタンとクリーガルがいて、果実水を飲んでいる。


「というか、知らないことしかないんですけど。なんであんな立派な湯船で湯浴みとか出来るんですか?」


「それは、立派なお屋敷が出来ているからでしょうねぇ」


「ドラゴンの素材を使った湯沸かし器。お湯の量も、温度も、素晴らしかったな」


 クリーガルが満足げに頷いている。


 喜んでいただけて何よりだが、そうではない。


「アナトミアさんは、何がご不満なんですぅ?五年ぶりの帰郷ですよぅ?」


「不満というか、困惑しているんですよ。だって今日の夕食、なんですか、あれ!」


「美味しかったですねぇ。王宮で出されるような高級な食材を使った料理の数々」


「そんなもの! 実家で食べたこと無いのに!」


 それどころか、オアザと共に行動するようになるまで、都でも食べたことが無い。


 高級な海産物から、山の珍味まで、あらゆる贅がそこにはあった。


「使われている素材は異なっても、味付けは同じなのでは?東の方の文化でよく使われる調味料、ミソはご家庭によって味が違うと聞いたことがありますよぅ」


 ミソ、それにショウユは、豆を発酵させた東の方の国で使われる調味料であり、アナトミアたちの家でも作られている。


 そのため、たしかに今日の夕食に懐かしい味はあった。


 だが、違うのだ。


「同じミソでも、貝とか海老が味付けされていると、違うってなりますよ。昔は、それこそミソをご飯やパンに塗って食べていたのに……」


「それは、また……」


「ま、まぁ、でも今日は美味しいモノを食べられたからよかったではないか。ドラゴンの肉をミソにつけ込んで焼いた料理など、私は気に入ったぞ?」


「それは昔もよく食べていましたね」


「……え?」


 クリーガルが一番気に入った、おそらくは今日の夕食でもっとも高級で珍しかった料理、ドラゴン肉をミソでつけ込み焼いたドラゴン肉のミソ漬けを、昔も食べていたと平然とアナトミアは言った。


「……ドラゴンの肉を食べていたのか?」


「え、はい。イェル兄の得意料理なので。ここは神域なので、近くにドラゴンがよく出るんですよ。そのドラゴンをイェル兄が狩って……」


 そんな会話をしていると、部屋の扉の外から鈴の音が聞こえる。


「アナトミア、いるか? 入るぞ?」


 イェルタルの声だ。


 ムゥタンが扉を開けようとしたが、それよりも一瞬早く、イェルタルが扉を開けてしまった。


「……ふむ。えー……」


 ムゥタンにしては珍しく、言葉を選ぶように口を動かしている。

 そして、ぴくりと手が動いていた。


 すると、クリーガルがムゥタンの前にでた。


「……あー……失礼だが、このような屋敷を作られた以上、礼節を守る必要があるように見受けられる。鈴を鳴らす配慮があるのなら、中から扉を開けるまで待つべきではないか?」


 普段は物静かで、話すのはムゥタンに任せるクリーガルにしては珍しく、イェルタルに対して注意している。


 そんなクリーガルに、イェルタルは素直に頭を下げた。


「申し訳ない。家族だからと、少々無作法でした。まさか、オアザ様の側近の方々がいらっしゃるとは思わなかったのです」


「……私とムゥタンは、オアザ様からアナトミア様のお世話をするようにと命じられているからな」


「そうですか。私は、お二人が友人としてアナトミアの部屋にいらっしゃっていると思っておりましたので」


 イェルタルの言葉に、クリーガルは顔を険しいモノに変えた。


「友人だと?」


「ええ、とても楽しそうな声でお話されていたので、アナトミアも良い友人に恵まれたと安心していたのです」


 イェルタルが、その整った顔をニコリと微笑ませる。


 クリーガルは、バツが悪くなったのか、イェルタルから目をそらした。


「友人などと……私は、オアザ様の命令で……」


「そこは友人だと言ってくださると、うれしいのですが……そうそう、ドラゴンの肉のミソ漬けを気に入られたとか。よろしければ、明日の朝は、ドラゴンの挽肉で作った肉ミソをご用意いたしましょうか? 赤カラシが入っていて少し辛いですが、ご飯の上に乗せてもいいですし、パンとも相性が良いですよ?」


「む……それは美味しそうだな」


「では、明日の朝をお楽しみにしてください」


 いつの間にか、イェルタルへの説教ではなく、明日の朝食の話に変わっている。


(こういうところが、イェル兄だよなぁ)


 感心しながらも、アナトミアは気になることがあるので質問することにした。


「それで、イェル兄。こんな時間に何の用なんだ?」


「ん? ああ……そうだな、俺の話の前に、ナフィンダの用事を済ませよう」


「ナフィンダ?」


 そんな会話をしていると、開いた扉から、中をのぞき込むようにして、ナフィンダが顔を見せる。


「イェル兄……早いよ。どんどん先に行っちゃうから」


「はは、悪かったな。ほら、アナトミアに用事があるんだろ?」


 イェルタルに促されて、ナフィンダが部屋に入ってきた。


 その手には、小さな袋がある。


「失礼します。あの……アナトミア姉ちゃん……これ」


 ナフィンダは、その袋をアナトミアに渡した。


「なんだこれ、どうしてこんなモノを?」


 袋を開けると、中にはもう一つ小さな袋、巾着袋が入っていた。


「いつか渡そうと思っていて、作っていたんだ。ゼクレタルと一緒に。使っている巾着袋、もう古いでしょう?」


 ナフィンダの言うとおり、5年前から使っている仕事道具を入れている巾着袋は、かなり古くなっていて、所々糸がほつれている。


「ああ、ありがとう。悪いな、こんなモノ用意してもらって」


「ううん。それ、まだ祈祷が済んでいないから……」


「わかった。お願いしておく」


 アナトミアは巾着袋を手に取り、いろいろな角度から見てみる。


 キラキラと、角度によってさまざまな色に光って、まるで万華鏡のような美しさがあった。


「……ムゥタン、あれ」


「……ドラゴンの鱗で出来ていますねぇ」


「ええ、そうみたいですね。こんなモノまで作れるのか」


 弟妹の成長に、アナトミアは思わず頬が緩んでしまう。


「アナトミア姉ちゃん」


「なんだ?」


「ごめんなさい」


 ナフィンダが、謝罪と共に、頭を下げる。


「……ん? 急にどうしたんだ?」


「僕、知らなかったんだ。アナトミア姉ちゃんが、都で大変な生活をしていたってこと。少ないお給料で、仕送りまでしていたって……」


「ああ、そのことか。まぁ少ないっていっても、前のここでの生活に比べたら、3食毎日食べられていたから、気にするなって」


 ポンと、アナトミアはナフィンダの肩に手を置く。


「それよりも、お姉ちゃんはナフィンダが夢を叶えていた方が嬉しいよ。言っていたもんな、ドラゴンの素材でいろいろなモノを作りたいって。それで皆に楽をさせたいって」


「アナトミア姉ちゃんのおかげだよ。都にいってからしばらくの間、仕送りといっしょにドラゴンの素材も送ってくれていたでしょ?」


「……そんなことしていたんですかぁ?」


 ムゥタンの怪訝な目を見て、アナトミアは慌てる。


「いや、素材っていっても、まだ慣れていないころに解体に失敗したドラゴンの部位を送っていただけですよ?師匠も、そのときのドラゴン解体部の部長さんも、好きにしろって言って許可を貰っていたので、問題ないです! 本当ですって!」


「いや、そんなに慌てなくても、それでアナトミアさんをどうこうしないですよぅ。それより、お茶を用意したので、座りながらお話をしませんか?イェルタルさんも用事があるのですよねぇ?」


 ムゥタンは、いつの間にか用意していた椅子とお茶を、イェルタル達に勧める。


「……そうですね。では、失礼して」


 イェルタルとナフィンダが椅子に座り、ムゥタンが煎れたお茶に口をつける。


「ほう、これは……」


「うわっ! 美味しい……これ、うちにあった茶葉ですよね?」


「そうですよぅ。良いお茶使ってますねぇ。思わずムゥタンさんも腕がなりましたよぅ」


「味が全然違う……どうやっているんですか?」


 ナフィンダが、興味深くムゥタンが煎れたお茶をじっと見ている。


「ふふふ、そんなに熱心な目で見られると、ムゥタンさんが手取り足取り教えたくなりますが、まずはイェルタルさんのお話を聞きましょうか。それで、どのような要件なんですかぁ」


 ナフィンダと違い、静かにムゥタンが煎れたお茶の味を楽しんでいたイェルタルは、軽く息を吐くと、重そうに口を動かした。


「シュヴァミアとゼクレタルが、結婚するかもしれない」


「……は?」


「しかも相手は、オストンの領主、トンシュダット家だ」


「はぁああああああっ!? 何で!?」


 予想もしていなかったイェルタルの相談に、アナトミアは驚くのだった。
















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