アンチノミー・ガールは嘘をつかない

モリアミ

もしXがYなら、Zは

5月2日

 ニュースでは今年の桜の開花は過去最速だったらしい、それなのに目に入ってきた校庭の木は、5月になってもまだピンクのままだった。校門の前に停まっていたパトカーは今朝のニュース、先月の始めの事件の影響だろう。全く憂鬱だ。ああいうのを見ると、こっちが何も悪いことをしてなくたって、思わず目を伏せてしまう。やっぱり今日は、学校何か休めば良かった。入学して1ヶ月、まだ慣れなない校舎を、沈んだ気持ちのまま進む。そんなんだから、自分の教室に気付かず通り過ぎていた。1-Aの教室に入ったとき、やっぱり休めば良かったと再認識することとなった。始業前なのを差し引いても、人が少なすぎる。大型連休の合間を休む、不届き者が相当数いるらしい。そして、最悪なことに自分の席に座ってる奴がいた。親しくない相手に話かけるのはいつだって憂鬱だ。

「そこ、俺の席なんだけど」

「あ? この席? お前、名前何だっけ?」

 俺が自分の名前を教えても、しばらく怪訝な顔つきでそいつは席に座ったままだった。そのうち、開いたままだった教室の後のドアから、誰かが入って来て、隣の席に座る気配がした。俺の席に座っていた奴は、それで何かを思い出したようで、そそくさと空いていた1つ前の席に移動し始めた。

「悪い、中学ではずっと後だったからついクセで」

 1ヶ月もして、クセも無いと思いつつ俺はやっと席に着いた。前の席の奴、確か名前は渡辺ワタナベ渡辺ワタベか、どっちだっけ? 俺が席に着くのを待っていたように、隣の席の彼女が話しかけてきた。

「おはよう、――君」

「おはよう、えっと、……」

 俺は彼女の名前を思い出せ無い気まずさで、彼女の方が向け無かった。

「もしかして、私の名前、解んない? でも、そうだよね、――君って、高校からこっちに引っ越して来たんだよね? ねぇ、知ってた、私の家、君の家のすぐ近所なんだよ? 私、君が昨日帰ってくるところを見てビックリしちゃった」

横田ヨコタさん、だっけ? それとも横山ヨコヤマさん?」

 彼女は少し吹き出すように笑って、

「横の席だから? 君ってそういう冗談言うんだね、もっと、暗い人だと思ってた。ねぇ、私、この学校に双子の姉妹がいるんだ、違う学年に。1日だけ、というか数分だけしか違わないんだけど、生まれて来たタイミングが悪くって、面白いよね?」

 彼女が俺の方を見てくるのが解る。俺は冷や汗をかきながら、彼女の名前を考えていた。女子の1番後の席何だから、彼女の名前は、

渡辺ワタナベさん? えっと、渡辺ワタベさん?」

「――君、もしかして、わざとやってる?」

 わざとだなんて、でも確かに俺は彼女名前を知ってるはずで、それは今朝、見た、いや、聞いた名前で、昨日までは、知らなかった名前で、それは、

綿ワタ

「おーい、みんな自分の席に着け、休みの生徒が多いからってソワソワするな」

 丁度担任が入って来て、軽く喝を入れながら、みんなに着席を促す。そして、軽く教室の中を見回して、俺の隣の席を見て、明らかに、目を見開いていた。

「先生、おはようございます」

 隣の席の彼女が、先生に挨拶した後、教室は変な沈黙に包まれた。それを破ったのは、唐突なノックの音だった。廊下側の窓から、教室の外に何人か人が立っているのが見える。そのうちの1人は制服姿の警官だった。そのことに気付いて、教室の中は少しザワザワし始める。

「お前ら、静かにしてろ」

 担任も、訝しみながら教室をでる。すごく、嫌な予感がした。

「ねぇ――君、昨日、何してた?」

 昨日のことは、思い出したくなかった。特に彼女の隣では。

「昨日、昨日は……」

 廊下にいる人達は、俺のことをチラチラ見ながら担任と話をしている。

「ねぇ――君、昨日のこと、私に教えてくれたら、君のこと、逃がしてあげても良いよ? もし、君が本当に逃げたいなら、ね」

「昨日、昨日俺は、君を……」

 廊下の人達は、まだ話をしている。でも、いつまでそうしているかは、解らない。

「昨日俺は君を、君のことを☓した……」

「そう……、やっぱりそうなんだ、昨日、君のことを見かけて、もしかしたらって思ってた。それで、君は逃げたい?」

 彼女の声には何の感情も無いようだった。そして、そして俺は、捕まりたくは無かった。だから、ただ彼女の言葉に頷いて答えた。

「……、この後君は、校長室、もしかしたらそのまま学校の外に連れて行かれると思う。目的地が何処かは私にもしっかりは解らないけど、でも、その途中では決して抵抗しないで。君はあの人達に連れて行かれるまま“目的地の屋上にでる扉”まで行って、そして、扉から出たら何処でも良い。学校の外に走って逃げる。そうすれば、君は誰にも捕まらない。解った?」

 そのときに、俺は始めて彼女のことを見た。彼女の真っ黒い瞳を。もしかして、今目の前にいる彼女は、昨日の彼女とは、別人なのか? それは確かにそうだろう。だって、彼女は俺が昨日……

「おいっ、お前にちょっと話がある。先生と一緒に来てくれ」

 気付けば、担任が俺のすぐ横に立っていた。俺は、黙って席を立って、先生に着いて行く。

「みんな、先生はしばらく戻って来れないから、1時限目まで、大人しくしてろよ」

 先に教室を出された俺の後で、担任は他の生徒にそう言っていた。そして、俺の前にがたいの良い、スーツの男が立っていた。

「一旦、校長室にそこで少しお話を伺いたいことがあります。その後は、とりあえず保護者の方に連絡が着いてから、良いですか?」

 その男は、訊いてきたわりに、有無を言わさず歩き出す。俺は黙って着いて歩くことにした。校長室に向かって階段を登る間、俺は周りを囲まれるようにして歩いていた。もしかして、逃げると思われているのかもしれない。そのうちに、“校長室の有る屋上”に出る扉の前に着いた。前に立っていたスーツの男が、軽くノックして扉を開く。

「さぁ、中へ、ここで先生方も一緒に」

 俺は促されるままに、扉を出て、そして1番近い柵に向かって走り出した。後で、何人かが怒鳴る声が聞こえる。それでも、それまで大人しくしていた俺が突然走り出したので、誰も追っては来れなかった。そのまま俺は、逃げるために学校の外に飛び降りて、そして流れる景色が学校の教室だと気付いた。そして、何個目かの教室の中に彼女が居た気がした。だって、彼女だけは、ずっと窓の外を見て居たから。感情の無い、真っ黒い瞳で。

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