第百五十九幕 仕損じ無し

闇夜を一柱、エノが見下ろす。


闇夜の雷光に映る彼女の顔は、無表情だった。


眼下の地上を見下ろしながら、ゆっくりと一本の髪の毛が鎌首をもたげる蛇のごとき動きで狙いを定める。


星も見えず、希望も見えず、光も見えない。

ゆっくりとだが、確実に髪が一本釣り糸の様にリング状に丸まっていく。


耳を澄ませても、彼女の動きは全く分からない。

天を仰いでも、彼女は何処にも居ない。


「遠い夢か、そうだな」


呟く様に、ただ髪が一本消えた様に見える速度で動いた。


余りの速さに空気を切り裂き、宙を走り。

その空気の摩擦だけで、白煙を僅かに。


その白煙が、斬られたものの魂の様に。

それは天に消え、エノは見下ろしていた。


瞬間、地上で斜めにずり落ちる様に斬れていた。


「天罰などどこにも存在しない、それは真理だ。しかしな、私という存在の逆鱗に触れる可能性は常にある」


私は悪で、理不尽だからな。

天が罰を下さずとも、誰も罰を下さずとも。


私という強者が、気分で踏みつぶす。




やがて、やがてか。





下らんな、実に下らない。


「やがてなど、そんざいしない」


さてと、なかなか不本意そうな顔をしているじゃないか。


「アクシス、相変わらずひ弱なもやしだ」


振り返ると、そこにはアクシスが立っていた。


「てめぇと一緒にすんな、クソニート」


最強の力、何でも強制出来る能力。

都合のいい現実に、改竄出来る権能等々。

そして、現在も過去も未来も万物を見渡す視界。


「てめぇに比べたら、大体ひ弱かよくて石ころ程度だ。全く、不愉快な存在だなお前は」


そうかね?、私が強制などしなくても世が滞りなく正しい行いの存在が損しないのが望ましいのだがね。


何かに、この力を向ける事こそが私にとっての不本意だよ。

アクシス、それにしても貴様は相変わらず勤勉だな。


「俺はどこぞのニートみたいな、何でも知れて何でも出来るみたいな便利な能力はないんでな」


毎日毎日、楽しくやれてるよ悩んで悔やんで。

ったく、本当に同じ神様かよ冗談じゃねぇ。


「てめぇこそ、本当の神。俺たちゃ、よく言って偽物だ」


エノは、苦笑した。


「便利か、不便だよとても。権能の方向性は、権能が増えたとしても変わらない不変のもの。もっとも、権能を持てると言う事はその精神が権能に届かねばならんのだが」


下界を冷めた眼で見つめながら、人をそそのかした神を指を向け髪一本動かしただけで両断して苦笑していた。


誰にも見えない、誰にも届かない高みから。

この世の何処にいても、たったあれだけで。


お前は、人とほぼ同じに自身を制限してるはずだ。

ねむる必要も、食べる必要もある。


視界は両目だけ、耳は振動で聴ける範囲。

魔力など持たず、闘気を髪に至るまで全身に張り巡らせる。


てめぇは、人に出来る事だと言う為に。

人一人分の力まで、抑え込んで尚こんな遠くから。


本当は、技術者の俺なんかよりも何処までも貧欲で渇望してやがる。

不便な俺が、不便なりに頑張って頑張ってようやくこの程度だっていうのに。


こいつの望みは、ここまでしなければ届かないものだってのかよ。


「私はね、アクシス。正しく生きるものが好きなんだよ。だから、あの老人のいつかになってやりたかった」


何もできない、自分が何も出来ない老人にただ偽物の笑顔を向けていたんだ。


私は、沢山の権能を手に入れ数多の神や精霊を駆逐した。


「あの老人は死んでしまった、終ぞあの老人のいつかにはなれなかった」

だけど、あの老人にそっくりなしわがれた爺さんを見つけたんだ。


「あまりにもそっくりで、あまりも情けなくて」

だから、つい便利な肩書の方を使ってな。


「んで、大嘘ついてきたって訳か」

アクシスは、苦笑した。


「まさか、言えるはずもあるまい。この世を恨んで理不尽を恨んで神なんかいる訳ないともう死ぬ寸前まで思い続ける人生を歩んでるものに私が神です等とはな」


しかも、その内容こそが真実で嘘など無いと来たもんだ。

エノは悲しそうに、肩を竦める。


実に不便だよ、私の力は。

私は、見て居れば手を出したくなる。

だから、見ないように聞かない様に心がけているだけだというのに。


「まぁ、真実は神がクソだって所だけだな。どう思って、どう考えてるかは置いといて」


違いない、とエノは笑う。


「ダストの想いに応える為に、労働者を受けいれるダンジョンを作り。そのダンジョンと外との取引を可能にするために、グループ企業を邪神と天使の力をフル活用して作った」


そこの、特別顧問などという意味不明な肩書がまさか役に立つとは思わなかった。


「アンタは権能を使いさえすれば、なんだって難しくない。それは、どんなジャンルにおいてもだ。ただ、当のアンタはそれを使う事を嫌がってる」



当然だよ、アクシス。

想いのままになる力を、思いのまま振舞って腐らぬ存在などある訳がない。


「権能を使わず、言葉と戦略。そして、部下たちへの教育と指示で組織を回す。普通の組織なら当然の様に出来ねばならない事だけ、私は時間的な制約を含む様々な制約の中めいっぱいやっているに過ぎんさ」


ただの会社でなければ、その組織の中の連中すら腐る。

そういうもんだ、歴史が証明している。


絶対の権力者など居ていいはずがない、絶対の存在などもっと居ていいはずがない。


「他ならぬ、それが自分自身の事だったとしてもか」


あぁ、そうだとも。


「人の身同然まで不便を重ねなければ、判らぬ事だってある」


アクシスは、煙草に一本火をつけた。


「その当然のことができてねぇから、世の中不幸な人間も神様も減らねぇんだがな」


どこか悲しそうに、アクシスは言った。


「大体てめぇは、言いたい事言ってやりたい事やって。邪神や天使がへこへこしながらそれを叶えている時点で上に立つものとしちゃ最低だ」


当然だな、私は屑なんだから。

と、何処か楽しそうにエノは笑った。



だがな、アクシス。私は必ず報いて来た、必ず現実を用意してきた。

可能な範囲で、奴らの欲しいものを用意し続けて来た。


「万物、自分の為にすら頑張れないのならそれは存在が終わっている。そうは思わんかね、誰かの為にというのは己で決めて進む選択肢の中にしか存在してはいけない。そうでなければ、正しさにかこつけた搾取が始まるだけだ」


これも、歴史が証明している。

私はその気になれば、選択肢も人生も教育も生死も老化も何でも変えられる。


だがね、その力を持ったならそいつは搾取も改ざんもせずにいられるかね?

自分が愛したものが、何もならずただ苦しみぬいて朽ち果てるのを見ながらだまっていられるかね?


そこで、力を振るう様なら邪悪な神様の出来上がりだ。


「私は、それが正しい事だとは絶対言わない」


リセッションの様に、関係ないものを巻き込んで飲み込んで破滅する。

そこに巻き込まれれば、正しく生きようが知らん顔しようが破滅するだろうさ。


自分が良ければいい、確かにそれは真理だ。

だが、それによって生まれた歪に落ちるのは何も自分が良ければいいと暴れた連中だけじゃない。


お前は、奈落に落ちていく人間をみて手を伸ばさず。その崖を掴んだ手を踏まず、ただ黙ってじっと見て居られるかね?


アクシスは、それを聞いて苦虫を噛み潰す。


「まぁ、しょうもない神を名乗るあれとアンタ以外はまず無理だろうな。もちろん、俺もだ。俺は、あんたと同じ側だがきっとアンタと違って救う事を我慢したりなんかできないだろう」


その先に待つものなんか、ロクなもんじゃねぇよ。


「救われるのが当然と言う奴らがのさばるか、てめぇが独善的な唯一を気取るか」

アクシスは、胸に吸い込んだ煙を吐きだしながら吐き捨てた。


「殺す事も消滅させることも、強制したり矯正する事も私には難しく無い。だがそこに本人の意思はない。まぁもっとも、本人がそう望んだという事にすら私が変更する事は出来る訳だが」


地上でその邪な心だけを両断した、神が己の為ではなく他者の為に精霊と協力して大地を良くしている姿を見て溜息をこぼす。


「本来ならば、私がこの様な事をせずとも良くあって欲しいものだ」



アクシスは、無理なんじゃねぇの?と思っていた、だって命ってのは自分も含めて何処までも欲深くて身勝手なんだ。


そこに老若男女や、種族などは一切ない。


「私も、大概身勝手な事を言っている自覚はある。それでも、私が好いた老人はそんな世の中を心から望んでいたんだ」


私は、ニート同然に働いてないと思わなければならない。

私は、ニート同然に誰かに縋ってないといけないと思われなければならない。

私は、ニート同然に石ころの様に思われてなければならんのさ。


初心を忘れ、何かを想い続ける事を忘れたなら。

私は、ニートですらなくなる。


「その時に、この世で私の前に立ちふさがる事が出来るのはしょうもない神だけだ」


私は屑で、ニートであり続ける方が丁度いい。


「不便だよ、本当に。人間は楽しくて、素晴らしくて。とても、不便だ」


獣人の様な身体スペックを持たず、虫の様なしぶとさを持たず。

神の様な権能も持たず、エルフの様な寿命も無い。

竜の様に生きれば生きるだけで、あらゆるスペックが上がる訳でもない。

天使の様にルールを守れるわけでもない、そうだろアクシス。


「だから、私はもっとも情けない人のもっとも弱い幼子の姿で己を制限してるのさ」


エノは何処にもいてはならん、優しく無力なエタナだけいればいい。

ぼろい袖無しの貫頭衣のポケットに両手を突っ込んで、みるみる小さくなる。

アクシスは、それを見ながら左手で吸っていたたばこを握りしめ火を消した。


小さい携帯灰皿に丸めた紙煙草を一つ入れると、エタナに背を向ける。


「お互いに、己の正しいと思った道を歩くそれだけだろ」


お前は権能を使えば、道の成否ぐらいは判るかもしれねぇがよ。

俺は手探りで、何度も試して挫折して地べたのたうち回りながら予算食いつぶして頭かきむしるようなやり方しかできんのよ。


「損な性分だな、技術屋」


アクシスの方を見たエタナはエノの顔をしていた、そして何処か楽しそうに笑う。


「少しは、楽してお得に生きてみたいぜ。本当に楽したら、つまんなくなりそうだがな。それと、そんな性分はお互い様だクソニート」


お互い、まるで悪友の様に笑う。


「全く、大した詐欺師だあんたは」


アクシスはそういうと、背中を向けて消えていく。


「あぁ、私は三千世界一の詐欺師だとも」


エタナの姿となったエノが、眼を閉じ口を吊り上げた。

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