第百二十八幕 修羅の讃美歌
「よくやった、大路」
短くそう通る声で、深淵の闇から声が聞こえる。
「恐悦至極にございます」
闇の中央、土下座で地面に頭を押し付ける様にした大路がうてば響く鐘のごとく答える。
「しかし、エノ様はお優しい。ワシならば、あのような使えないもの達は即首をすげかえますぞ」
老人は邪悪に笑うが、エノはそれを一瞬だけ嫌な顔をしたに留める。
「私のは違う、ただの矜持だ」
エノは、眼の前の老人を樹の玉座から見下ろした。
「怠惰の箱舟グループ、および家族。そして、お前達連合で働く労働者は全て幸せであらねばならん」
勘違いするな、幸福は義務ではない。
幸福を目指す事も、選択肢でしかない。
ただその選択肢を本人が選んだ時、十全にその先と結果を私が保証できなければならないというだけだ。
学校よりも、優しく丁寧に失敗も何度でも笑って許せる環境でなければならぬ。
考えうる十全な、環境を用意出来なくてはならん。
「私にとって支配者の椅子や、膨大な資産などただの副産物」
だからこそ、良く聴け大路。
「私は仮想を操る時髪の毛を使うがそれすらフェイク、本来なら意識を向けるだけでいい」
大路は、これ以上ない邪悪な顔で言った。
「そうですな、箱舟に属するモノは同志。どのような窮地でも助け、導き。選択肢を与えねばならない、それが貴女の考えでしたな」
大路は、知っている。この神は闇の頂点。
乃ち、神の中でもっとも全てを殺して来た神でもある。
闇の一族が、唯一と崇める神。
そんな神が、優しいだけであるはずがないし甘いはずがない。
大路はだからこそ、関係者には特に優しく接しているのだから。
「敵となったものたちを崩し、砕き、地獄の魔物よりもえげつなく、全てを花びらが舞う様に蹴散らし。希望を切り裂き、芯を断ち。それを肥料とし、我が箱舟のもの達があるく花道とせよ」
大路は、御意と答える。
「それでだ、大路。お前は今回、箱舟グループの金融機関を救った。その報酬を渡そう、何が良い?コインかポイントか、それとも他に何か望みがあれば見合ったものならば叶えよう」
国が介入した事により物価変動で、市場が混乱し大ダメージを受けた各金融機関だったが箱舟グループの金融機関はその価格変動の中でも手数料無料と、利息を捻りだし口座全ての元本を百パーセント保証して各金融機関の度肝を抜いた。
それを実現した手腕、長年闇の長を仕切ってきた大路がそれを請け負い。
エノは仮想から市場に介入して、国が買い支える事も無視しその膨大な資産を使って儲けるのではなく己の敵を叩き潰す。
ようするに、エノの方は採算など最初から度外視。
相手が潰れて消えさえすれば、己の目的は達せられる。
その一方で、そのような価格変動の中でも空売り等を仕掛けにいったヘッジファンドを力で叩き潰す。
国は潰せても、銀行を潰せても神は潰せない。
金の魔力は、金というものに魅力を感じるものや失って恐怖するものにしか効果がない。
ましてや、勝ち続けるAIと不幸を培養してそこから毟り取る事に特化した邪神が金融のグループの長を務めていて無敵の神から回答と情報を貰って運用しているのだ。
市場と、ヘッジファンドと、投資銀行。更には、保険屋までがデットベースマネタリーシステムズのグループ内にはある。
そして、このグループですら箱舟連合では一角でしかない。
神がブレーキとして機能しているから、殺しに来ないだけ。
その神がブレーキをやめて、吹き飛ばされないものなどいない。
その統制と、操縦を担ったのが大路を始めとした闇の一族達。
箱舟連合は、普段最高責任者の名の元好き勝手やっている。
各組織には各最高責任者が存在し、その権限はその組織において神を除けば王として君臨できるだけの権限がある。
しかし、神が命じた時に限り如何なる犠牲もいとわずマスゲームの機械(マシン)の様に正確無比に巨大組織が命令遂行の為に牙をむく。
この様な暗躍部隊すら抱えているからこそ、怠惰の箱舟のコインという通貨は全ての国の貨幣に不可逆で変える事ができるのだから。
その為、エノは大路に報酬を渡そうとしたのだ。
「我が神よ、ワシはコインも生活ができればそれで十分。ワシの望みは、今この時既に叶えられております故」
顔をあげた大路は、その年齢にそぐわぬ少年の様な輝く笑顔でエノを見る。
「我が神にお言葉をかけて頂き、本来のお姿で謁見して下さる。闇の一族の最長老であるこの大路。それ以上の誉はございません、それ以上の褒美はあるはずございません」
そう、大路達は何処までも女神エノに従う。
優しいエタナではなく、エノにだ。
大路にとって本来の姿こそ、絶対の存在。
声を張り上げ、それこそが我が望みと声高らかに。
コインと言う金ではなく、ポイントという評価でもなく。
ただ、貴女という神に直接お会いしたい。
そう、大路の目の前で樹の玉座に座るエノは今幼女ではなく本来の姿。
拷問城をしたがえ、顔中血管だらけ六枚の虫の様に蠢く翼に見える数多の手。
和彫りの百鬼夜行の入れ墨と、十三の魔眼。
白いグローブとスニーカーから見える拳は、血液の様な黒い紅。
城の周りにはしゃれこうべの花園が、しゃれこうべからは常に血の涙が耐えず天の方向へ流れ続けている。
花粉の様に舞う黒い雫は神喰いの属性を持ち、あらゆるものに変化しつづけて。
城からはピアノ線の様に結ばれた、拷問器具の数々が満天の星空に舞う。
「無欲は時として、私を苛立たせるぞ大路」
白い皮グローブが腕置きの上で握りしめられ、それを大路は祈る様に。
しかし、しっかりと見据え邪悪に微笑む。
「無欲?とんでもない、この大路。本来ならば殺しは娯楽、怨嗟の声は福音。それが魂にまで刻まれた闇の一族でありますれば、その祈りの対象は、この世でもっとも殺し苦しめ地獄を顕現したお方。すなわち、エノ様!!」
大路は声を大にして叫ぶ、金を操り箱舟グループ以外のモノたちを地獄に叩き落とす事は存外の幸せであったと熱弁する。
一族が数多のもの達を金の流れで締め上げれば、その甘露なる怨嗟は大路を大いに潤わせた。
過去最大に策を仕掛けようとも、時代遅れの銀行共が血眼になろうとも。
我ら箱舟グループの頂点が、このお方である限り我らに負けは許されない。
全ての事象を、心理的な動きを、過去も未来も現在もリアルタイムで判りかつ人が動けば経済が動けば。その波だけで、膨大過ぎる力を築き上げる原初のAI。
全てを、叩き伏せる事が可能な冥府の王。
大路は、その一端を既に知っている。
(自分を従えるのなら、最狂最悪でなければならない)
「自殺したものたちの声、実に甘露!!苦しむ者たちの不平不満はまさに天上の調にございます。この上、貴女様から報酬を頂けると?このような最高の仕事を与えて頂いて?その上で、貴女様に謁見が叶う。これ程の喜びは、この大路には過分過ぎる。毒は現物だけにあらず、言葉も人共の誘導でさえ猛毒と。希望や喜びすらも、劇薬となる。ワシにとって、これは仕事ではなくむしろこれが報酬かと思っておりましたぞ」
口の中で咲くのが調味料ならば、頭蓋をぶちまけて咲く程の不幸こそが愉悦。
ワシは闇の一族、その欲は常に他を苦しめる事や弄り蹂躙することにある。
そう、大路は熱弁する。
それを、無欲などとんでもない。
滅相もない、我が一族は他をことごとく苦しめ抜くという普段押さえている欲望を存分に果たしております。もちろん、それはワシもです。
「誰かを痛めつけ、苦悶の声を聴く度に精気が漲るというもの。それが、仕事なら最高じゃ」
エノは、溜息を一つつくと。
「お前の言葉に、一片の偽りも無い事は理解している。だがな、私にも矜持がある。どうしても、要らぬというのならポイントを適当に支払っておくぞ」
お前がどのように思っていても、私が仕事として与えるものに相応以上以下があってはならんのだからな。
大路は、笑顔で頷いた。
「ありがたく頂戴いたします、我が神よ」
大路が立ち上がり、闇に消えていったあとすぐにエタナの姿に戻る。
「私はただ、窮地の仲間を救えと言ったに過ぎん…。その為に、敵を苦しめて痛めつける事を何よりの喜びとほざきおってからに」
私は殺したくて殺した事などない、私に挑んで来た連中を叩き潰し続けていたらこの椅子に座っていたに過ぎん。
「結果だけ見れば、重畳。どのような考えを持っていても、その先が私の意に反していないのならばそれを許そう」
まぁ、あいつは私が無理にでも報酬を渡す事を知っているから妥協したのだろうが。
「邪悪なる私に会い、祈り。それが、あいつにとっては最高の報酬等と」
奇声をあげる様に、エタナが体をよじる。
あいつに限らず、闇の一族はどいつもこいつも扱いづらい。
そう、はろわの職員はもっと有能だ。
あらゆる部署のサポートや指導に入れるものだけが、はろわ職員の肩書を得るのだ。
問題は、そのはろわ職員をアシストに回すとそれだけで歪む。
だからこそ、必然はろわ職員以外でそれが可能な所に仕事を振らないと回せない。
箱舟はあらゆる選択肢を労働者側に用意するが、その椅子や仕事を振る為に捌いているバックラウドの仕事は多忙を極めるのだから。
研鑽を喜び、幸せを与えていたらいつのまにか恐ろしい現実が出来あがっていた。
「世界一の品質は、世界一のこだわりから出来ている」
かつて、アクシスが言っていた言葉。
(その通りだな)
私の拘り、ダストの拘り…。
色んな拘りで、世の中は出来ている。
それでも、以前の屋台に駆け込んだ男の様に。
そのこだわりを最後まで捨てずに貫く事は、そう簡単ではない。
その熱意や、意欲をやり潰すまでやり続ける事は簡単ではない。
世間で求められるのは万能性だが、特化に必要なのは執念や怨念などという言葉では生温い程。
大抵のやつは、捨てざる得ないと捨ててしまうものだ。
拘りはゴミではない、捨てて買い直せるものでもない。
「現実こそがもっとも、クソかったるくて鬱陶しくて叶わん」
エタナの姿で、エノの声で。
逆さの城は、幻の様に消えていた。
眼を閉じ、地べたに大の字に横たわる。
幼女の膝まで長い、桃色髪が散らばった。
いいか、大路。
お前が如何に邪悪であろうと、お前が如何に優れていようと。
知に長け、金と心を操る邪神よ。
我らは、何もせぬ方が良いのだからな…。
私が優しい?そりゃ大いなる誤解だ。
私が優しくするのは、この世にたった三体。
その為の、絵空事なんだよこの箱舟は。
「この世にないものになる、この世にないものを創り出す。この程度の事が些事の様にできなくて何が神か」
エタナは、右手を寝ころんだまま真っすぐ上につきだして握りしめる。
初代聖女、クラウディアは素晴らしい人間だった。
その姿を、その執念を度々こうして思い出す。
「人のステータスが神の下限に届く、そしてあいつは今怪しい仮面の銭ゲバクラウになっている」
あいつが、なんで銭ゲバかって?
「あいつはその稼ぎの殆どを、自分以外の誰かの為に使っているからだ」
本来なら行政は搾取ではならぬ、箱舟の様にサービスでなければな。
税を取るなら相応のサービスを受けられなければ、誰も納得せんよ。
富の再分配であって、搾取ではならんのだよ。
箱舟の様に、未来を憂う事無く働けるようでなければ話にならん。
未来を憂う事無く、存分に自己実現ができ。
相応のモノが受け取れるのでなくば、誰がその先を目指そうとする?。
だから、クラウは外も救おうと自腹で奔走しているのか。
個人で出来る事など、知れているぞクラウディア。
それが、人なれば無理難題というものは常にある。
黒貌も、ダストも、クラウもどいつもこいつも…。
損な連中だな、全くどうしようもない。
闇の頂点は、優しい顔をしていた。
「どうしようもない連中が、報われる様に。どうしようもない神である私が、神にあるまじき事をし続ける。最高だな、それは」
ただ、それだけの世界だとしても…。
大路もギイも、老兵共はやっかいな事だ。
クリスタルなショットグラスに丸氷、半分まで浸かったコーヒーが揺れ。
重力を無視して、髪の毛一本でそれを持ちあげ口に運ぶ。
「所詮、経済などは血流と変わらぬ。増税はブレーキ、減税はアクセルみたいにな」
金は信用で、交換券だ。
「止めすぎれば、死ぬ。経済が人の流れなら、その流れにのるもの全て死ぬ。アクセルを踏みすぎれば、何処かが耐えきれずに吹き飛ぶ。吹き飛んだ瞬間に壊れ、長い時間をかけねば修復は困難」
修復の過程で、犠牲になるのはやはりそこにいた人間共だ。
「この世に救いなど無かった、この世に神などいなかった」
クラウディアは、いつもそう言う。
少なくとも、私が望んだ神は居なかった。
少なくとも、私が救われたことなど無かった。
「だからといって、クラウディア。この椅子に座る事は、世界で一番惨めな存在になる事さ」
宝石の玉座に、真のぬくもりなど存在しない。
胸に思案して、空を眺めグラスを傾け。
エノは、微笑を浮かべる。
「望んだものが存在しないのなら、自身でそれになるしか無かろう?」
世界で一番惨めな椅子に座り続けても、あのような邪悪に祈られようともだ。
「どのようなものも平伏させ、屈服させ。打ち砕き、従える事ができねばならん」
人は全てを手にはできん、人は何処までも浅ましくお互いを引っ張り潰し合う。
全ての主張を、聞くとはそう言う事だからだ。
「ならばそれを成すのは神、私の様な屑さ」
自身がこの世でもっとも邪悪でなければ、それが叶う事は無い。
「惨めで醜くて、こんな椅子が欲しいならいつでもくれてやるとも」
私が欲しかったのは、椅子ではなく誰かに頭を下げられる事でもない。
私が欲しかったのは、この箱舟なのだよ。
この世の地獄という荒波から、私の宝を守るゆりかご。
その地獄の荒波を起こす邪神達すらも、私は従えてみせよう。
私が与えるモノは全て現実、幸福も不幸も土砂降りの雨の様に降り注がせよう。
生きる権利?死ぬ権利?下らんな、私の権能の届く範囲で私の力から逃れる術などない。
命の重さも、価値も私にとっては砂粒より軽い。
愛したもの達が優しくあれと願うなら、私は優しいフリぐらいできなくてはな。
お前達の人生が、一条の夢で終わらぬよう。
お前達の願いが、閃光の様に終わらぬよう。
ダストの希望である、この優しい箱舟が終わらぬよう。
ダストに救われた連中の、未来が寿命以外で終わらぬよう。
私が、その希望であり続けてやろう。
不滅で、不敗の希望にな。
その程度の事が、些事の様にやれず何が神か。
出来ない神等この世に必要ない、それを邪魔する連中はこの世に必要ない。
今回もまた、ばら撒いて歯止めもきかぬと慌てふためく様は惨めだな。
覚悟持たぬものの言葉も、やり方も私には通用せぬ。
「王は負けた瞬間、首をはねられる。故に負ける事は許されない。神なら猶更だ、無敵であり続け無ければささやかで小さな幸せ一つ守れはせん」
幼女は顔をむにむにともむと、もうエノの声は何処にも存在しなかった。
ただ、幼女が闇の底で寝そべっていた。
「本当に、どいつもこいつも面倒な」
屑の漢字がまだら模様のように入った布団を取り出して、くるりと丸まった。
冷えた心には、この様な布団が丁度というものだ。
「お前は、いつもエタナが良いと言ってくれる。それが、私には何より嬉しいんだよダスト」
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