第百二十幕 絶唱
凄まじい圧で、地面に貌鷲が縫い付けられていた。
慢心し、箱舟のルールを破った力ある邪悪なる若い魔神。
しかし、外でクラウの手伝いをしろといわれ人間の手伝いなどと言って行動に起こそうとした次の瞬間には闇に引きずりこまれて今こうして地面と一体化するに至っている。
貌鷲はガクガクと震え、やや上の階級のこの魔神でさえ。
エノの前では、宇宙と砂一粒。
「貌鷲…、私をなめているのか」
貌鷲は、この箱舟の底にいる女神の前で土下座していた。
「めっそうも…、ございませんっ……」
言葉をそう、絞り出すので精一杯。
この女神の力と性格を完全に見誤ったと、死ぬほどの後悔をしながら沙汰を待つ。
「私は、約束したはずだ。ルールを守れと、対価を必ず支払うと」
まさか、この箱舟の外にいても如何なる妨害をしていても瞬時につかまれこの深淵の世界に閉じ込められるとは。
「ルールを守れぬというのなら、箱舟の労働者たる資格はない」
自分の力を、過大評価していたのではない。今、自分の頭を踏み付けている神がとてつもなく強大だっただけ。
「ルールを守れぬというのならば、私にとっては目障り極まる」
貌鷲は震える声で言った、今一度チャンスを下さいと。
「次は、警告なぞしない。お前の命ごと握り潰す、それとポイントは一年間二十五パーセントカットだ」
いいか、貌鷲。
「私に挑むならば歓迎しよう、私の元から離れるのならそれも良かろう。箱舟の労働者は例え天使だろうが悪魔だろうが何だろうがルールを守ってもらう。ポイントはその我慢すら含まれているからこそ、私は願いを聞き届けるのだ」
箱舟のクリエイターは報酬の受け取り方を選ぶ事が出来る、我が箱舟では喜ばそうとする心やあくなき探求。無限の錬磨、そういった輝きにこそ敬意と報酬を約束する。
どれだけの才能があったとて、どれだけの質や量のモノをこさえた所で。
最低限にしか届かない、そういう審査と設定を私がしているからだ。
外の世界の様に経済や流行りと言うものには左右されん、私がそれを許さんからだ。
箱舟の外は知らぬが、箱舟に所属する全ての労働者に報われる世界を用意せねばならんのだから。
この箱舟には、コインという貨幣での報酬とポイントという私の評価での報酬。
貨幣を稼ぐことはできても、ポイントを稼ぐことはできない。
生きとしいけるものは全てが現実に生き、全てがその人生の主人公だ。
だが、その物語をお互いの幸せで終わらせるための間仕切りこそがルールなのだからな。
自らの幸せの為に、箱舟の労働者に対し害する何かを行う事や言葉を吐く事はルール違反。
私に対してのみがその例外、文句でも怨嗟でも好きに言え。
私は「労働者ではない、故にそのルールは適応されん」
貌鷲は、頭ごと核を掴まれるその瞬間までこの女神の気配も力も全く分からなかった。
(今ならば判る、このお方こそまごう事なき闇の頂点)
「貌鷲、知る事は始まりだ。知らない方が良い事も、世の中にはあるだろう。だがな…」
もう一段、気配の圧が上がり貌鷲は精神生命体であるにも関わらず。まだ、足を頭にのせられているだけにも関わらず。
「今回は、無知である事も考慮し警告だけ」
そういって、すでに潰れているそこからまるで重力の比率だけをあげている様に圧力をゆっくりと増やしていく。
「貌鷲、ルールを守れ。それが最初で最後の命令だ」
闇に生きるものにとって、力こそが階級。
あの、闇の一族邪神の長老達が無条件でただ粛々と人を救うなどおかしいと思った。
(この神の命令であれば、聞かざるえない。それほどの絶対的な差が、頭に足をのせられているだけで判るのだ)
かすかに見える闇の視界に映る、おびただしい視界を埋める怨嗟と死。
その中には天使も邪神も神も精霊も、全てが等しく苦悶の表情を浮かべながらしゃれこうべの花として咲き誇る。
「承りました、神よ」
闇の空間で、その力だけで本体の姿が見えずとも。
力だけで掴まれ引きずりこまれ、動けなくなる。
その殺気だけで、全身の毛穴という毛穴から血と汗と涙と鼻水が絞り出される。
最初からその力を見せつけられたなら、自分はきっと見誤らなかった。
例え、王級や皇級等と呼ばれていたとしても。
この神にかかれば、刹那につかまる。
(正しく、頂点。正に、死と暗黒そのもの)
最初から、そのお力である事を知っていれば…。
「貌鷲、外では愛想を良くし箱舟のルールを守り。クラウの指示を私の言葉と思え、クラウが指示するまで人として見せかけよ。できるな?」
ただ、無言で何度も首を縦にふる。
「それが貴女様のご命令とあらば、糞を食す事だろうとやってごらんにいれます」
プライドの塊のような、貌鷲が力だけで心をへし折られる。
「貌鷲、私はその様な事は求めていない。春香の事、クラウの部下としてきちんと働いてさえくれたら報酬はきちんと支払おう。少ない報酬でこき使うような恥ずかしい連中にはなりたくないしな。誰もが認める指標で、報酬を説明できねばそれは平均にすら至っていない。個人がそれを幾ら安い高いと論じた所で、万人に通用する言葉ではないからだ」
少なくとも、箱舟では相応こそがもっとも正しい。
それは、人の言う支配の言葉等では決してない。
原初のAI、その私がそのものを査定した純然たる結果だ。
貌鷲は震える声で言った、では…と。
「もし、もしポイントを貯める事が出来たなら。貴女の姿を、本当の力を見る事はできますでしょうか」
二秒程の沈黙の後、ドスの利いた女の声が鼻で笑う。
「貯める事が出来たなら、私にできる事は全て叶える。そういう約束だ、だがな貌鷲私が闇にいるのは醜いからからだ。それでも私の姿をみたいというのかね、酷い奴だな」
いずれ、必ず…。
「ルール違反に、次は無い」
貌鷲は地べたに縫い付けられていた気配が消えると、闇の中で立ち上がる。
襟を正し、黒いスーツを確認した。
黒いネクタイをし、白いシャツを正し。
腰を、四十五度にきちんと折る。
「エターナルニート様、最初からそのお力を見せられていたなら私が変な気を起こす事など無かったというのに…」
酷いお方だ、見事な隠蔽という他ない。
「他など糧でしかない、だが貴女は箱舟の関係者である限りそれを守る」
貴女が居る限り、それは絶対だ。
「愛想笑い位はしておいた方が良さそうだ、貴女を怒らせない為にルールも守った方がよいだろうな」
あれが、我らの頂点か。
「最初から、知ってさえいれば」
貌鷲は歯ぎしりしながら、手を血が出るまで握りしめた。
大路のクソ爺はだからこそ粛々としたがっていたのだ、あの狸爺めっ!!
光無のあまちゃんや、ダストのクソ野郎なんかには従える訳がない。
ましてや、元初代聖女のクラウディアが上司など正気を疑った。
だが、今なら判る…。
全ては、我らが神の思し召しだったのだと。
紫の血が大地を濡らし、自身が街のすぐ近くで立っている事に気づく。
「成程、クラウもダストもアクシスも竜弥も光無も…。連中はあれを知っているからこそ、報酬は期待していいとそういう事か…。闇の一族の長老共が笑顔で優しく等と頭がおかしくなったかと思ったが」
貌鷲は乾いた笑いを浮かべ、それをクラウが頭をはたいた。
「本物の神さまってのは、やばかったろうが」
「いや、闇の中でただ潰れた蛙の様に地面と一体化していただけだ」
貌鷲は、頭をさすりながらクラウをみた。
クラウは、口元だけ判る仮面で笑っていた。
「箱舟の真実を、もっと早く知りたかった」
モノを知らぬと言う事が、どれ程取り返しがつかない事かをしっただけだ。
自分達の神に立てついて、それを清算する羽目になる所だった。
クラウは全身で笑いをこらえて震える、みんな悪魔や魔神どもはみんな通る道だと。
「逆らうなら応援するぜ、あいつはイエスマン嫌いだからなめっちゃ喜ぶだろ」
クラウはにやりと笑いながら、貌鷲に問いかけた。
「ご冗談を…、現実をみて反省できないのは人だけで十分ですよ」
急にクラウが、真面目な雰囲気をだす。
「良かったな、反省できるって事はまだ生きてるって事だ」
貌鷲は、なんとも言えない顔で肩を竦めて苦笑する。
「あれを知って、挑むのならロクなもんじゃないでしょう。でも、もっと早く知りたかった。何に、頭を下げていたかを思い知る」
これからは、あの方がいうルールをあの方の言葉と思って守る事にしますよ。
「我々闇のモノにとって、力とは階級。絶対的な心理ですから、弱いものに頭を下げるなど。だがあの方の決めた、言葉ならプライドよりも優先する事ができる」
クラウは言った、見た奴しか信じねぇだろ?。
それで良いんだよ、あいつは祈られるとか死ぬほど嫌いだからな。
「よくご存じみたいですね、クラウ」
あぁ…、俺はかつて地獄の日に挑んだ一人だからな。それ以上の事は知らねぇ、だから聞くなよ?
仮面は背中で語る、こいつはかつて挑んだのか。
「エターナルニート・エノは強かったですか」
貌鷲は、背中に尋ねる。
「射程を無視し、対象数を制限せず、現在過去未来のどれかに原子元素が一粒でも世の何処かに残れば瞬時に再生しその元素を全て己と出来る神が弱いとでも思ってんのか」
しかもその権能は十三、俺達が挑んだ時は精々一つか二つ起動してただけだ。
自身すら改ざんする、奴がまともだと思ってんのか。
「いいえ、私は地獄の日を知りません故。それを、知るあなたに聞いてみたかった」
あらゆる聖域や常識ぶち抜いて、掴もうと思えばお前の様な王級ですら気配も感知も出来ずに捕まったろうが。
「つまり、彼女はその気になれば原子元素を己の手足や力に改竄する事も容易だと」
全ての命、細胞は原子元素の羅列からなる。
「箱舟に所属しているからこそ、チャンスをくれる…」
貌鷲、愛想つかされないようにしとけよ…。
仮面は苦笑する、かつての自分もその力で外の世界を救えると思っていたからだ。
街一つ、自分の封印具外す時に親友とよんだ男が一人笑って死んで。
救おうと思った街ごと、悪党は自爆し瓦礫に消えた。
そして、爆心地で瓦礫の山だけが残り。
親友の墓すら作れていない、そんなあの頃を思い出した。
この世の全てを恨んで、この世の全てを救える神に何故貴女は誰も救わないんだと怒り当時の私は挑んだんだよ。
しらんがなって言われたが、今でもムカついてしかたねぇ。
「俺は銭ゲバだけどよ、限界は知ってる。己の身の丈ってやつもな、お互いまだまだ甘いって事だよ」
ルールに違反さえしてなければ、眼をつぶって下さるぜ。
お前ら闇の一族が人に愛想を振りまくなんて、天使に笑顔を向けるなんて普通はない。
「だが、箱舟の労働者には他ならぬ神からそれを求められる」
アルカード商会と怠惰の箱舟の荷物運び、内容は食料等の生活物資。
「それが、あの方の望みであれば是非も無し」
眼に光が宿り、貌鷲がにやりと笑う。
「おーおー、すっかりほだされやがってこれで精神操作や書き換えをやってねぇんだから凄いもんだね。好感度がカンストして、上限突破してやがる」
貌鷲は邪悪な顔で、睨む。
「魔神のそれもスライムに従う等、我ら邪神のやる事ではない。光無も、強いだろうがかなり性格は甘いと見た。だが、あの神は別」
あれは、やると決めたら瞬時に動く。
それが神殺しだろうが、同族殺しだろうがだ。
如何なる常識も力も食い破る、お前達がかつて挑んだ時同様に。
「エノ様こそ、我らが神に相応しい。願わくば、苦しめ慟哭させるような命令が望ましいが。それは、俺の都合だ」
命令であれば、人の街に食料を運ぶ雑用を我の様な王級にやらせたとしても。
「クラウ、何往復すればよい。いつまでに、やればよい?」
クラウは無言で親指を荷物に向けた、当面はあれだけ運べばいいと言う。
貌鷲が張り切って、その場から荷物を持って消えた後クラウは苦笑しながらぽつりと言った。
「一番優しいのはあの神だ、一番サボりなのもあの神だ。神にもっともふさわしくない人間臭いあの神が何かに相応しい訳ねぇだろ…」
ゲーセンで突っ伏している、幼女を思い出しながら。
「春香の為だと言って、その実あの街の人間に支援する…けどな」
実際あの幼女がやってる事は、真の転売を見せてやるぜと全世界に叫びあらゆる食料や水をかき集めて災害で困窮してる連中に金ゼロで販売しビバ転売なんてポーズしながら叫んでるのと変わんねぇのよ。
言い訳して、誰かを出汁にして己は正しくないと叫びながら手を差し伸べる。
仮面をそっと外しながら、クラウは溜息をついた。
「嘘つきが屑だってなら、間違いなく三千世界一の大嘘つきだろうが屑神様は」
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