第百十八幕 独白(どくはく)

エタナの横に座る一匹の龍、竜弥。


「よぉ、エタナ」


左手を軽く上げ、なんともいえない顔で笑いかける。


「どうした?竜弥、今日は休みか。ちゃんと休まねばいかんぞ」

エタナの姿で、顔中を血管だらけにし声だけエノの声で言った。


「あぁ、ちゃんとルール通り週二日は休んでるから心配すんな」


竜弥は、肩を震わせる。


「いつもその顔してりゃ、無職乙なんて舐められる事もないだろうに」

エノの表情を消し、エタナのぷにぷにほっぺでほっぺたを膨らませた。


「エノは、この世に居ない方が良い。私がどんな思いをして、どんな事を言われたとしても」


竜弥が、鼻で笑う。


「お前がその手で書き換えれば、どんな精神状態にでも書き換えられるだっけか。現実も夢も何もかも、神の権能すら書き換えるお前に不可能なんかないだろうに」


エタナもくつくつと、笑った。


「私の可愛いスライムに、報われる世界が欲しいと言われた時に。私は力だけ渡してやってみろと言った、お前の望むままにやってみろと。お前をダンジョンコアとしてダンジョンを作り、それを一つの世界として。その世界では全てをお前の理想どうりにしてやろうと、そう言った。それが、ここ怠惰の箱舟さ」


いいか竜弥…と、話を続ける。


「報われる世界とは、各々の考えをお互いに尊重し。己の正しさを全うし、お互いの許容範囲内の中で己の幸せを模索し。スタートからゴールへ、またスタートを探すことを生きる限り繰り返す。その営みの中にこそ、正しい幸せがある。勝手に押し付けられて、書き換える等そんな偽りの幸せ等クソ以下だ」


(私は…、奴と約束したのだ)


「だから、箱舟内部の幸せと権利を箱舟の中の全てに与える。幸せになる権利、知る権利、研鑽に報いる事を保証する」


私は、奴らしか愛しておらぬ。

私は、奴らしか大事ではない。


だから、やつらの悲しむような事を私がするはずがない。

だから、やつらの理想から転げ落ちる様な事を私が許容できるはずがない。


ここのルールは、その為の楔だ。間仕切りと言っていい、それすら破ろうとするバカの責任はとらんさ。


「龍にも竜にも食い放題を用意するリソース、どんな敵をも屠る武力。どんな国をも締め上げるだけの経済操作に、如何なる願いをも叶えるお前と言う神。ここで生きる連中の笑顔を見る度、外を知る俺達は胸が締め付けられる」


外にはここ程のチャンスがない、外にはここ程の環境が無い。


「私は知らんよ、外の事は外の国や神がやればいい」


ダストは、もっと広げてもっともっと拾ってくるつもりだろ。


「あぁ、あのバカは死ぬまでやめんだろ。だがな、あいつを愛するもっとバカな私はそれがたまらなく楽しくて仕方がない」


知っているか、あいつは自らが働いたポイントでここに弱者をもっと招聘したいとぬかしおったぞ。


「叶えてやるとも、他ならぬお前がそう望んだ世界だ。足りてさえいれば、幾らでも聞いてやるとも。お前の所の水龍の様に、全ての平和等というものを実現しろというのなら相応のモノをとる事になる。自身で努力しても、奴では一つの海を平和にする事位で精一杯だろう。だが、ここでは足りてさえいれば私が叶えてやるとも」


エタナはごそごそと汚いポケットから、小さな飴玉を取り出して口の中に入れた。

竜弥は、煙草を一本加えて盛大に煙を吸い込む。


ぷかぁと、いう音と共に煙の輪が宙に消えた。


「何処までも正しくない道を行く、何処までも闇の道を行くかい…」


ごりごりと飴を口の中で転がして、エタナは肩を竦める。


「当然だ、その道にしか私の幸せが無いのなら私はその道を歩くとも」


私は俗物だ、だから己の為だけの道をゆくさ。


「その程度の事がやれない、そんな神はこの世に必要ない」

エノは深淵の頂点、ただし天使や聖なる神すら従える程に優しいだけ。


それはそうと、ゲームセンターのフロアはもう少し広げた方が良いか?

そろそろ、新しい台が入りきらんだろう。


竜弥が肩を竦めて、勘弁してくれと笑う。


「これ以上増やされたら、人手が足んねぇよ。いや龍だから龍手かな、それともまた新しい奴がここにくんのかい?」


エタナはぼんやり空をみながら、脚をぷらぷらさせて言った。


「あぁ…、あのバカはまだまだここに呼び込みたいらしいからな。仕事も娯楽も選択肢も、沢山沢山用意してやらないとな」


(まったく、叶わんよあのバカには…)


「そのバカに救われた、俺達みたいな連中はそのバカ共に感謝してるんだけどよ」


竜弥は煙草を携帯灰皿にごりごりとやって、しまいながら言った。


「力で強制せずとも、誰かが用意などせずとも。この箱舟と同様に、お互いを尊重し合う事ができれば。私が用意せずとも、世は全て丸く収まる。まぁもっとも、そんな事は不可能だろうが」


私の眼には、そんな未来は映った事がない。

私はそんな選択肢があると信じて、この力を伸ばし続けたのだが。


絶望するだけだったという訳だ、笑いたまえ。


「外の絶望を知る俺に、それを笑えるわきゃねぇだろ」


竜弥の真剣な眼差しがエタナを見た、これ以上ない真っすぐな眼を。


「尊重し合うねぇ…、それがどれだけ難しい事か良く知る癖に」


竜弥がまるで外を思い出す様に、エタナを睨みながら言った。


「アンタはすげぇよ、本当にこの箱舟全てにそれを用意してそれを言うんだ。でもな、みんなアンタみたいな神様じゃねぇんだよ」


エタナが再びエノの顔で竜弥を睨みながら言う、それは圧とセットでだ。


「働かせるものとして、その営みに責任が取れないのならその椅子に座るべきではない。約束一つ守れないのなら、それは存在すべきではない。王がそれをできないのならそいつは直ぐにでも断頭台にあがり全国民に下着一枚で土下座して詫びるべきだ」


凄い凄くないの話ではない、常識的に考えて暮らしを保証できないのならそれは労働ではなくただの奴隷だ。


安い報酬なぞ無いのと変わらん、そして報酬無く働かせる事は私よりも邪悪だ。

幸せ一つ買えない報酬に、どれだけの意味があるというのだね?


「私はどのような不正も許さない、私はどのような嘘偽りも許さない。私は、誠実でない労働などこの箱舟では絶対に許しはしない」



誠実な努力が報われるのでなくば、あのスライムとの約束を守った事にはならん。



「だからこそ、週二休みなのだよ。三では多すぎるし、今でも働きたいと苦情がくるぐらいだからな。だが、週が八でも七でも。休みが二ならその比率で休まねば、人は壊れるさ。人は脆いんだから、龍や神とは違う。週一の休みで良いと考えるならそれは、少し頑張ってる奴だろうな。普通の水準ではない、だから箱舟では私が普通と当たり前と思った事をルールに据えるのさ」


誰でも、何者でも、どんな種族でさえここでは労働者として夢に向かう事が出来なければいかんからな。



幾ら金を出したとて、日報が分刻み等であってみろ。

それは、労働などではない。



だから、私がここに連れてくる時はそういう精神構造を生涯持てるやつだけ連れてくるんだよ。


もっとも、ダストが雇う奴に関して私は関知しないがね。

だから、奴が雇って望みに間に合わない奴が最下層にくるのさ。


その結末こそ最終フロアの名の通り「命の終わり」という訳だ。


ここでは日報などというものは無駄だ、私もダストもその気になれば何をどれだけやっていたかなど手に取る様に判る。


まぁ私は、ここに限らずその気になれば原子元素のある所なら判るがね。

あのスライムに渡した力では、この箱舟全域が限界だろう。


竜弥は空をみて、そうかい…と小さく呟く。


私はずっと幼女さ、だから遊んで笑って大人になどならない。


「その方が、黒貌も喜ぶ」


偉大で強大で最強の神なんか、何処にもいないほうがいい。


「アホでバカでクズで、どうしようもない程愚か。私には、そっちの方がずっといいのさ。望まざると地獄の日に数多の国や神を葬り、その力だけで全次元の神の三指に座るようなどうしようもない我儘な神なんか何処にも居ない方が良いだろう?」


竜弥は、遠くの雲を見てすげぇなと思う。

この自然も、この陽だまりも。


眼の前の幼女にとっては、目糞耳糞よりも小さな力に過ぎない。

たったそれだけを他者に渡しただけで、これだけの環境を創り上げる。


自分と対等以上の龍を、秒殺する程の神。


「嫌なら立ち去るといい、それも又選択肢だよ竜弥」


椅子からぴょいと、おりて竜弥に背中を向けた。


「私は、何者にとっても害悪さ」


神乃屑の文字が貫頭衣の背中で揺れて、その桃色髪のストレートが風が止まると共に文字を髪が隠す。


「私の道を阻む者は、自然だろうが時間だろうが思う様に変えてみせよう。書き換えてみせよう、ねじ伏せて叩き伏せ這い上がる事すら許さぬ。かつての地獄の日の様に、全次元の全ての存在と戦ってみせようとも」


竜弥は、その背中に向かって無言で頭を下げた。


(やっぱアンタは、そっちの顔してた方がいいぜ)


振り返ったエタナはもうエノの声をしていない、飴玉をもごもごやってるいつもの無表情な幼女がそこに居た。


竜弥は悲しそうににへらと笑う、それを見てエタナも無表情な筈なのに雰囲気だけで笑う。


「私はね、ニートを名乗るんだ。働いたら、負けだと思っているよ」


その人形の向こう側、深淵の最終フロアで彼女は優しく笑いながらそういった。

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