第八十七幕 棋道絶錬(きどうぜつれん)

「ワシは貯める事ができたのか…、それではいざ決戦へ」


そういうと、腕輪に問う。


「怠惰の箱舟の最強棋士と、御手合せ願いたい」


犬丸は座布団に正座すると、その時を待つ。


緑茶で僅かに口を湿らせて、静かに盤の向こうを見た。


「絶錬…、師匠っ……」


そう、犬丸をこの道に導いたかつての師匠絶錬が座っていた。


「今のお前が勝負になるであろう、高みは俺だ犬丸」


間違いない、やせ細った骨の様な肉体。羽織るだけの紫のちゃんちゃんこ、それに眼光と気迫だけで滅多打ちに殴打されているような感覚。



(メモリアルソルジャー:辛抗万華鏡(しんこうまんげきょう))


現在過去未来における、最強の中から上から順番に検索。

心理状態や全盛期から黎明期までの全ての情報を精査、その相手をもっとも伸ばしうる強敵が選ばれる。


魂も、心意気も全て完全な本人。


全ての次元の全ての平行世界から、もっともふさわしい強さの相手を顕現させる。

もちろん、バックアップを使えば剣なら剣の棋士なら棋譜の勝率計算を一手から最終手までの選択肢として見せてくれる。


好きなタイミングで、好きな時間軸までやり直す現実版無限コンテニュー。

今回、犬丸のかつての師絶錬は自らそのバックアップをきっている。


あの世に逝って、強者と打てると召喚されてみれば。

そこには年老いた、自身の弟子が居たのだから。


(やるなら互先、条件は同じ。なぁ、犬丸!!)


やり直し等不要だ、対等の同条件でのみ盤は成立する。

バックアップを全て切り、対峙する喜びに震える絶錬がそこに居た。


「犬丸、全盛期の俺と今のお前が丁度位と怠惰の箱舟は判断したのだ」


「師匠の、全盛期…」


年老いた犬丸と、若かりし頃の絶錬の視線が重なる。


「犬丸、言葉はもう必要あるまい。残りは、盤で語ろうぞ」


おもむろに絶錬は、黒石を握って盤の上に置いた。


犬丸は、白石を一つだけ。


「お願いします」

「お願いします」


幾度もやりなれた動作で、お互い正座で頭を下げ合う。

そこからは、ただ石の置かれる音だけが部屋に響く。


ただお互い、棋士として生きた身。

一時間話すより、一手が言葉を語り掛けてくる。


やがては、盤面が進み…。


絶錬が唸る、かつて自分が教えた犬丸はそこには居なかった。


「犬丸、強くなったな…」


「対局相手に恵まれた、環境にも恵まれた。ただそれだけです、貴方の様な素晴らしい師にもあえた。ここまで恵まれていれば、前を向いて強くなるだけですよ」


犬丸は、真剣な顔で師匠に言った。

(己は恵まれていただけなのだと)


一方、絶錬は一滴の涙を拳に落とした。


「そうか、であればワシはお前の師として壁としてあらねばな」


かつて、自身にはそれがなかった。

外の世界で棋士なぞ、一握りの強者以外は貧乏ばかり。


草をかじり、根をかじり。

お前と言う弟子が居た以外、お前に教えたあの時以外無意味だった我が生涯。


布団さえなくて、盤にしがみついて眠る日々。


対戦相手は常に自身、最初は盤も買えずにただ庭で石を並べていた。

AIにこの手は打てまい、結局棋盤は人の思惑。


濃い薄いで判断し、確率で判断する。

人の思惑と、人の駆け引き。


確率で判断し、濃淡で判断し勝率を追いかけるAIとは似て非なるもの。


この箱舟は人の真理すら模倣し精査し、現実にあるほぼ選択肢の先にあるものが計算できている上で過去の偉人達からの指向や対処手までがもらさず教えられている。


可能性を排除しない、機敏すら排除しない。

全ての選択肢が、生きている本人にありながら。並べられた手札は、常にフルオープン。


ワシが相手にしているのが、よく知る犬丸ならば。

ただ強くなっただけの、犬丸ならばこれは躱せまい。


死して尚、これほどの相手とうてるのだ。

死してからしか、ワシにはこれ程の相手とうつ事は許されなかったのだ。


「犬丸、見事ワシを越えて行け!」


更なる気迫で、背中に地獄門が見え師匠のやせぎすの体が不気味に見える。

犬丸は眼を見開く、これなら中央は固いと思っていたら荒らされていく。


そして、対処している間に見る間に確定と思っていた地が削られていく。


「己を削り、ただ強くなることだけを求めて生きた儂。儂のただ一人の弟子よ、ワシが削る事がなかったのはお前に教える事だけだ」


ワシは文字通り盤に生きた、ワシは後悔などしておらん。

人生を盤に捧げた儂の強さに、弟子が届くというのならこんな幸せな事は無い。


(すなわち、ワシの盤。真髄は削り続ける事だ。諦める事無く、爪が割れ歯が折れようとも土にしがみついてでも反の単位で削っていく)


犬丸は、盤を見て思う。


「これが、師の本来の形。師の本当の盤か…、恐ろしくも素晴らしい」


盤の上で石が置かれる事で、考えや駆け引きは透けて見えてくる。

それが人間相手なら癖とも言うべき、それはしみついて容易には変えられない。



「師よ貴方は、繋がる事こそが盤と人の真髄と言っておられました。でも、これは人も自分も盤の地でさえ削り続けて斬り続ける」


絶錬はにやりと笑い、それは般若の面が笑った様にしか見えなかった。


「だからこそだよ、犬丸。儂を否定しろ、ワシを超えるんだ。儂はお主の師として、お主に盤を教えたものとして。儂という考え人生を否定しろ、盤は人生ではない。せめぎ合いに勝ち、相手と勝っても負けても笑いあう。それこそが、本懐だ」


死んでからしか気づく事がなかった、死んでからしかそれを理解する事も出来なかった。あの世はなく、魂が転生をまつ。暗い闇があるだけの場所で、ワシは闇にすらへばりついた。


乃ち、勝利に固執し。己を削り続け、孤高の我が盤を破ってこそ。お前の強さと歩いた道の正しさを証明する。


それができて、初めてワシは安心してあの世に戻れるというものだ。

犬丸は唸る、本当にこの師が全盛期というのなら。


「ワシの知る師は随分と優しく丸くあったのだな、これでは何もついていない上にどこでも触れただけで斬れる刀ではないか」


犬丸は、盤で踏み込むように石を置いた…。


繋がる事が正しいというのなら、どんなにか細い可能性でも繋いで見せようと。


「言った筈だ、斬る事が出来なかったのはお前に教える事だけだと。弟子に善悪を説き、導き高い壁であってこそ師と名乗る事が許される」


少なくとも、ワシはお前の才能に惚れて師となる事を決意したあの日から。

壁は見えなくては挑めない、壁は常に厚く高くなければならない。



ワシは、そう考えたからこそお前にだけは優しくあれたのだ犬丸。

繋がり、徐々に削られ荒らされる比率は減っていく。


「それでいい、犬丸」

「はい、師よ。貴方はどこまでも、強さだけを追い求めたのですね」



絶錬は僅かに溜息をもらす、それは懺悔。


「人生を捨てても尚、ワシは無敗ではなかった。無敵では無かった、才等かけらもなく才ある弟子をうらやむばかり。要するに、その程度なんだ犬丸」


ワシの道に、最強等なかったのだよ犬丸…。

死んで尚、その未練が消えぬよ。我が弟子よ、お前はワシの様にはなるな。


最後に、丁寧に整地した時。犬丸は半だけ勝っていた、それは本当の接戦。


「ようやった…、犬丸」

「ありがとう、ございました……」


盤の横で今までで一番丁寧に頭を下げる、犬丸。

絶錬の姿が透けていく、その姿は対局していた時とは違い慈愛に満ち溢れていた。


「人は進化し、機械も進化し、世も進化していく。されど、人は人。悪魔は悪魔、神は神だ犬丸。棋道に生きるものは、盤にて語れねばならぬ、勝つのではない負けるのでもない。これこそが、我が道と声なき声で主張せねばならぬ」



(犬丸、楽しい…。素晴らしい時間だったぞ、お主は強くなった)


「はい、師よ。私は、貴方に届いていたのですね。よぼよぼの爺になるまで、やり続けてようやっと。貴方は遠かった、貴方はやはり強かった」


箱舟は、もっとも強く接戦を演じられ。願うものを成長させることができる相手を、この対戦相手に選ぶ。


完全に師が消え、湯呑から僅かに残る茶と師が残したすさまじい削る棋譜が並ぶ盤を眺める。


その時、ドスの利いた女の声が聞こえてくる。


「最強とは流動性のある、その時その瞬間そのジャンルの頂点を指す。今のお前に相応しい、対戦相手を用意した。更なる相手を望むなら、それも叶えよう。その盤面を宝として、いつでもどこでも会話と棋譜と心理を覗ける機能を腕輪に入れておく。最強というものは存在しないが、今のお前にとって届きうる最高ならば用意しよう」


己を絞りだし、精魂尽き果てるまで魂の一滴まで食い下がれば僅かに勝率があるそんな相手を用意しよう。


そういうと、声は消えていった。

犬丸は、吸い込んだ息を吐きだす。


そのまま、精神的な疲労で横になった。


「これが、怠惰の箱舟か…」


世界樹を削り出した盤、黒曜石やオリハルコンもかくやという美しい石。

不要な音などなく、静寂な闇が広がる部屋。


最高の座り心地の座布団、精神を落ち着ける茶。

盤面だけがはっきり見え、その世界に溶け込んでいる錯覚さえおきた。


棋道にだけ、邁進できる。

天元棋院の、特別な部屋。「終世天元(しゅうせてんげん)」


ここは本当の特別な間だ、この間では天元棋院のルールは適用されない。

乃ち、打ち手の精神が許す限りトイレも風呂も飯も部屋についている。


(そして、勝負がつくまでは部屋から出られない)


特別な対戦相手と、この部屋の利用はセットであり。


この部屋だけは、勝負に必要なもの以外は完全に排除されているのだから。


扉を開ければ、外の夕日が眩しく差し込んでいた。


「ようやったか…、師よ。ワシはまだまだです、それでも師がワシを褒めるなど」


この扉を閉めれば、この部屋は消えてしまう。

終世天元は、勝負に必要な全てを提供するだけの部屋。


だから、終世天元の部屋は利用を予約した時にしか扉は現れず。

どれだけの、時間を勝負していたとしても扉に入った一時間後の時間軸に出る。


「また、ポイントを貯めればこんな勝負が出来る。そう考えればこれ以上ない程にめぐまれているのだろう、師よ貴方は貧しさの中でも棋道だけは捨てなかった。貧しくないワシが折れるなど、貴方の弟子に相応しくない」



それに…、と犬丸はドアノブを握る手に力がはいる。



「貴方の棋道は否定しても、ワシには貴方の生き方を否定する事は出来ませぬ。怠惰の箱舟無くば、ワシも貴方と同様の生き方をしていたでしょうから」


こうして、ドアノブが閉まる音がして扉が消えた。


「いずれまた、師よ。天より見ていてくだされ、ワシはこの道を歩き続けよう」

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