第三十五幕 銭湯樹の湯(せんとうきのゆ)

ワシはシャダイ、銭湯樹の湯で番台をしている。


ドラム缶風呂の土地の横に、剥きだしのコンクリートの様な煙突に薪がこれでもかとつまれた小さな風呂屋だ。


ここ、風呂道楽フロアには様々な温泉設備やマッサージ等が乱立している。



だが、ワシはここが好きになってしまった……。



少し大きめの風呂に、申し訳程度のバリエーション。

叩くだけの角突いたマッサージチェアに、瓶のドリンク。


扇風機がゆったりと回り、魔石の入った簡易ドライヤーがいくつか置いてある。

ドラム缶風呂程安くは無いが、このフロアの他の場所よりはずっと安い料金設定。


噺家のおっさんは、子供の頃に親につれられて行った銭湯そのままだと。

初めて来た時は、涙していたな。



基本栓抜きも用意されているが、オーガみたいな力が有り余ってる奴だと指ではじく様に開けてたりもする光景がみられて。それが、異世界である事を思い出させてくれる。



シャダイは、とある目的の為に怠惰の箱舟で働いていた。


この、銭湯は男、女、その他の三か所に暖簾がさがっていて番台の後ろの下駄箱からそれぞれの暖簾に入っていく構造になっている。


その他は、スライムみたいな性別がない連中が行くとこだ。

ワシ以外にもエルフや妖精族が、沢山掃除や売店の店員なんかとして働いているが恐らくその理由はワシとそんなに変わらんじゃろ。



この、風呂屋の唯一の特徴が床も風呂桶も椅子もほぼ何もかも世界樹が材料に創り出され一番奥の大風呂の後ろにある巨大な絵は我らが見てもっとも元気だった頃の世界樹が鮮やかに描かれている。


最初に見た時は、ワシは余りのその絵の素晴らしさに立ち尽くした。



今ではもう慣れたものだが、それでも時々ふと辛い時等があるとこの絵の前で立ち止まりしばらく眺めている事すらあるのだ。



立派な絵ですな…、そう声をかけられた。

横を見れば、変なおっさんがしみじみとした表情で絵を見ていた。



それが、あの噺家との出会い。



この樹は、ワシの故郷でもう枯れてなくなってしまった樹なんです。

だから、こうして何か思う事があるとこの絵をみてあの樹を思い出すんです。



世界樹である事は言わない、言えない。



しかし、故郷でもうなくなってしまったのはまぎれもない事実だ。

そして、ワシはこの樹を再びワシの故郷になんとしても植えたい。



だから、ワシはここで働いている。



番台に座っていると、今日も常連達が思い思いにそれぞれの暖簾をくぐっていく。



黒貌とエタナちゃん、噺家や手品師。

皆、他の豪華な温泉や目新しい温泉ではなくこの小さな風呂屋にやってくる。



相変わらず、エタナちゃんは無表情でポイントの支払いだけすませると尺取虫の様なあやしい動きで女湯に入っていく。


カタツムリの様に器用に尻に小さな洗面器をのせ、頭には金魚の柄の手ぬぐいをたたんでのせていた。


黒貌殿はそれをこう、微笑ましそうに見つめながら自身もポイントをを払ってゆったりと男湯に消えていく。



噺家のおっさんは、良くマッサージチェアを利用して座っているし。

オーガの野郎は腰にタオルだけしっかり巻いて、売店で炭酸飲料を買っている。



ここには殆ど常連しか来ない、だが常連は割と足しげもなく通う。


ここ怠惰の箱舟は、採算というのは余り考えられていない。

あくまで娯楽施設と案内があり、沢山職場がありはするが値段設定ははろわがこうであれと決めたものでありバカ正直にこれだけ客が来たと提出するだけなのだから。


どれだけ赤字であろうとも、誰も施設を利用しなくてもここは消えていかないのだ。


この怠惰の箱舟で消えるのはいつだって、ルールを破ったものだけ。

だからこそ、古いものも新しいものも非効率なものも網羅的に残り維持できているのだ。


ここのはろわは、名前こそ職業斡旋所だが実態は行政や保険や軍犬達等の総合機関と言っていい。


働くものが足りなければ、言えば対応は1週間以内。

保険等は即日等、ほぼルールで決められた日数で明確な対応や解答をする。


ごねない、くすねない、のらりくらりとかわさない。


この銭湯でのルールだって、ポイントを払って入浴しかけ湯をしろという位で手ぬぐいを入れてはいけないみたいなルールは無い。


何故なら、ここも含めダンジョンの機能でお湯は直ぐに浄化槽に流れる。


そして、無限にお湯が指定された成分表のお湯が随時満たされるのだから。

ワシの、故郷では水など貴重品でいつもそれだけで争いになるというのに。


最初それを知った時は、あんまりだとすら思ったものだ。


売店の品だって、豚屋に言えば転移でもってきて貰える。

売れた分しか補充は許されないが、品切れは絶対にない。


どれだけでも売っていいし、そんなまさかと思うものすら取り扱い願いを出せば検討してもらえる。


検討とはいっても、それは風呂屋の売店に置くべきなのかを検討するだけだ。


そして、検討が通れば即日に商品が並ぶ。

場所が足りなければ、空間拡張にて売店だけが広げられ建物はまったく同じ大きさで収まっている。


まさか、古き時代に消えた瓶の炭酸飲料やオレンジジュース等の取扱いも出来るとは思わなかった。


怠惰の箱舟でアイドルや噺家の紋入り手ぬぐいなんかも取り扱い、駄菓子も置いてある。


ワシらの銭湯にはそんなものは無いが、同じフロアの風呂屋にはくじ引きや金魚すくいやらが置いてある事もある。


ポイントは忙しさや覚える業務内容の過多や条件に応じて、明確に表示されている為嫌なら相談に行けよとなるだけじゃ。



どんな条件を言っても、身の程知らずがとも言われない。何かを理由にという事もない、ここのはろわはいつだって「ではどんな職場が良いですか?」としか言わない。



用意してみせるのだ、その恐ろしいまでの網羅率を使って。

無慈悲な程、正確な査定だからこそ誰も文句を言わん。

労働者側に都合がいいだけじゃねぇかと怒鳴るような雇用主はまずおらん。


何故ならここの、雇用主は最終的にははろわなんじゃから。

働いた分だけ払う、約束通り払う、努力したぶんだけきちんと返る。



ワシは、この番台の仕事に満足している。

同じ職場の同僚も、皆必死に働いておる。




流石にワシ程の大きな願いを言う者はなかなかに少ない、ワシは自身がどれ程身の丈に合っていない願いを言っているか判っている。


それでも、様々なもの達が願いを叶えて来たのは知っている。


風呂場で話しているのを聞いた事もあるし、噺家のおっさんがネタにしているのも知っている。


ワシの願いは、失われたモノを改良し蘇生させる事。


それはワシの家族を蘇生させる事よりも高い値段がついた、だが叶わぬとも叶えぬとも言われない。



だからこそ、ワシはどんなに辛い事があっても腕輪の貯蓄とこの銭湯の立派な絵を見て己を奮い立たせるのだ。



今日も常連達と挨拶を交わしながら、番台に座りコインを受け取りゆったりと茶を飲む。茶は無料だからな、ワシの様な大それた願いをもつものは節約しなくては。


無駄に美味いのが憎い、これひょっとしてと聞いてみればやはり材料は世界樹の葉の茶か。


この、樹の湯は世界樹の椅子に世界樹の洗面器に世界樹の葉の茶にと世界樹ずくしでありながら値段は五百ポイントぽっきりじゃ。


マッサージチェアと売店だけが別料金で、閉店までいても値段は変わらん。

湯も水も好きなだけ使えて、水も世界樹の霊水じゃ。



飲むだけで、活力がみなぎる。



この水が茶碗一杯あれば、我らの土地は一年田畑を蘇らせる事ができるというのに。

それを、さもなんでもないかの様に使い放題で茶も飲み放題だとはな。


怠惰の箱舟は、見るモノがみれば信じられぬ光景がそこらじゅうにある。


大それた、そんな願いさえ叶うのではないかと希望を持てる。


ここの神には、ここにある全ての光景が当然で大した事のない事なのかもしれない。


無頓着で無節操に並べて、さぁ選べとしか言わない。



ワシの様に、渇望し絶望し求めるものからすればその光景を見続ける事がどれ程苦しいかもきっと判っておるはずなのに。


誰ぞが言っていたな、目の届く所に希望を並べ手の届く所に彼らの欲しいものを並べ眺めさせるだけの拷問もあるのだと。



この怠惰の箱舟はまさにそれじゃな、違うのはこれが拷問で無く自身で望んでここに居てここでは本当に望んだ事は叶えられる。



与えられるのはいつだって選択肢だけで、奇跡などでは決してない。

はろわの連中は声を揃えて言っていた、選択肢があるだけ外よりずいぶん慈悲深いと。


後、どれだけ頑張れば己の望みに手が届くか明確に判る故。

努力したくないものがいれば幾らでも、努力をしなくていい。


生きるだけの敷居は低いのに、争いやずるには苛烈な対応をする。


だから透けて見えてくる、結局生きるというのは前を向いて歩く事。

己で設定したゴールに向かい、ただ只管に歩き続ける事。



それを、明確に見えるようにし確実に遂行できる。



ゴールが遠ければ遠い程、必要な歩数。つかみ取れる可能性が小さければ小さい程膨大な試行錯誤がいる。



それをただ数値として、算出しているからこそこの場所に来るような己の全てを賭けて叶えたい望みがある奴ほどその数字を日々必死に追いかけてそれ以外が眼に入らなくなる。


だから、差別も区別も争いもルール違反もない。


当然じゃな、自らただ一本のか細い糸を切るのは愚か者だけじゃ。


大それた望みをもつなら、争う暇すら惜しいのだ。

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