アニマ・アイデンティティ

Haganed

第1話 夢を見る

 まだ現実というのが分からなかった頃。夢はヒーローになりたいとよく言っていた。ヒーローに憧れたのは本当に単純な話、敵をばったばったと倒していく姿や、必殺技なんかに心を奪われていたから。人を守るなんてことは、あまり考えてなくて。


 そんな幼い時の俺に向かって、素敵だねと言った幼馴染が居た。同じくまだ現実というのが分からない、そのぐらいの歳に。嬉しかったのはどうしてなのか、今は思い出せない。


 ――じゃあ、私のことずっと守ってほしいな!


 お互いの家族の前でそう言った幼馴染の言葉に、俺は確か恥ずかしくなってたけど、頷いた。はにかんで笑う幼馴染の顔が今でも忘れられないけど、その時に言っていた親父の言葉も思い出されていく。


 ――なら、精一杯守らなきゃな。ヒーローっていうのは敵を倒すのも大事だけど、それ以上に大切なものを守らくちゃいけないからな。


 その時はまだ、誰かを守るという意味がよく分からないまま、分かったと口にしたことがある。今になってようやく、大切なものを守るって意味が少しだけ理解することができたのかもしれない。


 そう考えて俺は、耳に入ってくる目覚まし時計の音で現実に引っ張り出される。



「……ぃ、……さ……おー、おきてー」



 目覚まし以外に、聞きなれた明るい声が耳に入ってくる。右手を緩慢とした動きで重い瞼の上に持っていき擦ろうとして、手首を誰かに掴まれる。ほのかな暖かさを感じながらも、やろうとしていた動きを止められたことで重い瞼が少しだけ軽くなり、視界が広がった。


 自身の頭を向けている方向から光が差し込んでいて、それに照らされている幼馴染の顔が見える。視線が合ったためか、僅かに目尻を下げて微笑みながら、毎朝の恒例となった言葉を交わす。



「おはよう、寝坊助さん」


「……はよ」



 そのまま体を起こそうとして、既に起き上がっていた自分の一部を知って、咄嗟にベッドに横になり幼馴染に背を向ける。勢いで手首から彼女の手が離れたのは良かった、このままだとバレかねなかった。今は起きるより自分のこれを鎮めるのが先決だ。



「わっ。もう、起きないと遅刻するよ」


「わーった、分かった。分かったから部屋から出てくれ、ちゃんと起きる」


「そんなこと言って、二度寝しようなんて魂胆じゃないの?」


「いーから早く出てけって! あとでリビング行くっての!」


「んー……じゃあ下で待ってるからね。ちゃんと起きてよ」



 ベッドから遠ざかる足音とドアの開閉音が聞きとれたので、姿勢を変えて部屋の出入り口を見る。本当に出て行ったことを確認してから、ベッドから起き上がりパジャマから学ラン以外の制服に着替え、学ランとリュックサックを持って部屋を出る。


 部屋から出てすぐ左側にある階段を降りて、右側にある廊下の突き当りにある扉を開けると、視界に台所が映りパンの焼けた匂いが鼻腔を通ってきた。視線を移せば、四人掛けのテーブルに親父とおふくろ、起こしに来た幼馴染が居た。



「おはよう」


「おはよう」


「おはよう、ほら朝ご飯出来てるよ」



 おふくろに促されつつも、空いている席はその幼馴染の隣しかなく、溜め息をつきながらその席に座る。目の前に置かれた二枚のトーストが載っている皿と、ハムエッグにオニオンドレッシングが掛けられた千切りキャベツが載せられた皿の前で“いただきます”と口に出したあと食べ始める。


 先にトーストを口に運ぶと、すでに塗られたバターの風味が口の中に広がった。黙々と食べようとしていたところに、おふくろが俺に向かって話しかけに来る。



「ショウ、折角カナデちゃんが起こしに来てくれたのに、なんで追い出したのよ」



 俺のオレが起き上がってたからです、んなこと口が裂けても言えるわけない。



「寝起き悪い日だったんだよ、仕方ないだろ」


「だからって、毎朝起こしに来てくれるのに」


「まあまあ母さん、ショウにも色々あるんだ。そう責めないでやってくれ」



 こういう時の親父のフォローはありがたいと、しみじみ感じながらトーストを食べる。そのまま別の話題に切り替わってほしい。



「お義母さん、私は特に気にしてませんから」


「カナデちゃん、あんまりこの子を甘やかしちゃだめよ。無理矢理にでも布団から引っぺがさないと」


「それやってガチギレしたこと忘れてんの?」



 嫌なこと思い出した、くそっ。一回だけ生理現象と寒さのせいで出たくなかった時に、布団を引き剝がされたからキレ散らかした記憶がよみがえってきた。



「でもショウ、カナデちゃんに対してはそんなことしないでしょ。カナデちゃんのになるって言ってたじゃない」


「いつの話してんだよ! あと王子様とは言ってねぇし!」


「そうですよお義母さん、ヒーローになるって言ってたんですよ」


「あら、そうだった? もー、歳取っちゃうと忘れっぽくなるわねぇ」


「命の母でも飲めば?」


「アンタはデリカシーを覚えなさいっての!」


「デリカシー無いのに言われても全然響きませーん」


「ショウ~?」


「どうどう、二人とも落ち着いて」


「「俺/あたしは馬かッ?!」」


「あははははっ!」



 あーもう、折角の飯の時間に変に労力使いすぎた。隣の幼馴染はツボったのか笑ってるし、飯食うだけでこんなに疲れて何やってんだホント。


 ようやく飯を食い終えたのは7時半過ぎぐらいで、色々と身嗜みを整えたら40分になっていた。そこで家の玄関で待っていた幼馴染と一緒に家を出る。


 いつもの習慣となった日常を、俺たちは過ごしていく。










 原川はるかわ しょう。その名前が油性ペンによって記載されたノートを開いて、黒板に書かれていく授業内容を写す……のがメンドくさくなって、右上の隅っこのスペースにぐるぐると何の意味もない螺旋を連ねる。


 この時間だけはとてつもなく暇だ。眠気を催すようなつまらない授業をしている担当の教師にも、教科書を読もうが教師の話を聴こうが理解しがたい授業内容にも、問題があるとしか思えない。毎度のことながらそう思う。


 とはいえ体裁上は書いておかなければ後々拙いことになるのは経験済みなので、適当に書いておく。そのような虚無の時間が、授業のチャイムと同時に終わりを告げた瞬間、周りの同級生らが席を立って食堂に向かったり、机をくっつけて弁当を出したりする。


 俺はというと、特に何をするでもなく疲れから自分の机に突っ伏していた。デカい溜め息が出るがその辺は目を瞑ってほしい、さっきみたいな授業をおよそ四時間ぐらいしていたのだから。クラス内で誰とも話さない数分間が経過し、教室の出入り口で俺を呼ぶ幼馴染『夕凪ゆうなぎ かなで』の声が耳に入る。


 それを合図にゆっくりとした動きで席から立ち上がり、カナデのもとまで向かったあと二人で校舎の屋上に向かっていく。本来は立ち入り禁止の場所だが、カナデは許可をもらって鍵を入手できる立場に居るので、誰にも邪魔されず弁当が食うことが出来るのだ。


 かくいう俺はというと、教師陣からの評価は普通に過ごしている生徒程度のものだろう。信頼されてもないだろうし、不信感を抱かれてるわけでもないだろう。多分。


 そうこうしている内に屋上に到着し、フェンスの傍に座って用意してもらった弁当を受け取る。本日の中身は……わぁお、桜でんぶが乗せられた白ご飯とちくきゅう、ハンバーグにパプリカ三種炒めだ。



「いただきます」


「どうぞ召し上がれ」



 横を向けば花が咲いたみたいな笑顔で俺を見ていた。そそくさと顔を逸らしてパプリカ炒めを一口食べてみると、塩味とかぐわしい匂いが口一杯に広がり美味いと思ったのと同時に、あることに気付いて箸を止めて訊いてみる。



「調味料変えた?」


「ふふん、実は新しく買いました。ハーブの香りがするお塩です」


「なるほど」


「どう? 口に合う?」


「美味い」


「お、それは良かった。いやぁ、私の慧眼も中々のものですな」


「自分で言うことか?」



 いや、贔屓目なしに美味いなこれ。普通に野菜食うより、その塩振りかけて食う方がよっぽど美味いわ。ファミレスとかでたまにある変な味のドレッシングより、こっちを配備しろよ。


 口直しに桜でんぶの乗っかった白ご飯を一口。うん、甘い。疲れた頭に糖分がちょうど欲しかったんだ。やっぱごはんには桜でんぶが一番。それから弁当を食べ進めていって、あっという間に中身が全部消えたので、弁当箱やら箸やらを片づけた。



「ごっそさんでした」


「お粗末様でした。ねね、感想は? 今日のはどうだった?」


「普通に美味かったけど」


「それ以外! もう一声ぷりーず!」


「えぇ……?」



 ほかぁ? 美味い以外ぃ? うーむぅ……うーむ、こういう感じか?



「好みに合わせてくれて嬉しい」


「……」



 あり、もしかして違った? えーとえーと、他になんか。他の何か。パプリカの味付けが良かった。ハンバーグが好みの焼き具合か? それとも冷めてても肉汁たっぷりなとこ? こういう時毎度なんて言えば良いんだよマジで。



「えーと、えぇっとぉ……」


「ぷっ、あはははっ。もう、いっぱい考えてくれてるのは分かったから」


「お、おぉ?」



 ホントにわかんねぇ、何がウケた? 笑ってるカナデをよそに、俺は若干思考停止してて、自分でもどんな表情してるのか分かってない。


 自分の手にある弁当箱が、さも当たり前のようにカナデの手に渡ろうとしているのを見て、ようやく頭が回り始め弁当箱を遠ざけた。



「ちょっ、流石に弁当箱は洗って返す」


「別に良いのに、ウチで洗った方が楽だし」


「だからって何もかも任せっきりなのは、人としてどうなんだよ。飯作ってもらってんだし、弁当箱ぐらい洗わせろっての。つか、いつもやってんだろ」


「ふーん」



 カナデの手が弁当箱に届きそうになったので、また距離を離す。もう一回、またもう一回と繰り返し、真正面にカナデの髪が来て俺の視界が占領されるぐらいに近付いたところで、ようやくその手を止めて俺の方に振り向く。



「んもー、頑固だなぁ」


「何とでも言ってろ。ほら、そっちの弁当箱も」


「ほほー洗ってくれると申すのかー」


「どうせ洗うんなら一緒にしたほうが早いだろ」



 カナデは少しばかり考える素振りを見せて、“じゃあ”と一言前置きして、何の躊躇いもなく提案した。



「じゃあ、今日ウチに来てよ。洗ってくれるなら、そっちのほうが良いでしょ?」



 いやおっしゃる事は分かるんだけども。……って、別に弁当箱洗うだけだし、部屋に上がることもないわな。



「ついでにウチで課題しよーよ。最近来てくれてないし、良いでしょ?」


「もうちょい警戒心持って?」


「おやおやぁ? 何を想像しているのかなぁ?」



 びっっっっみょーにウザったい。それはそうと俺も男なんですけど、思春期真っ盛りの男子高校生なんですけど!


 そんなウザったい表情をしていたカナデの態度に、それでも俺は溜め息をついて根負けしたと白状したのは、そう長い時間を経ていなかった。

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