第22話

 


 心臓が、ものすごい速さで動いている。耳のすぐそばで太鼓が叩かれているみたいに、大きな音だ。

 こわい。だけど、前だってこの子になにかをされた訳じゃない。


 私が勝手に怖がって、怯えて、あんな風になってしまっただけなのだから。


 意を決して、私の正面に佇む、無表情な男の子を見上げる。黒い髪に小麦色の肌をした、宝石みたいな赤色の瞳の男の子。

 彼の目をちゃんと見て、ふと、肩の力が抜けた。


 怯える必要も、怖がる必要もなかった。だって、この子はこんなにも優しい。静かで、穏やかで、優しい目。


 先生には怯えなかったのに、どうしてこの子には怯えてしまったのだろう。この宝石にも思えるほど赤い目のせいなんだろうか。

 たしか、あの時は……​───────


「……おい、聞いてるか?」

「あ、はい。なん、でしょうか」


 そんな呼びかけで、ようやく現実へと意識が戻ってきた。

 落ち着いて考えてみれば、ずいぶんと自分勝手な思考だ。この子も、あの先生も、メイリンだって、過去とは違うはずなのに。

 この子に対する記憶が曖昧なせいだろうか。でもそれなら先生たちだって曖昧なのだけど。


 もしかすると、あの時に聞こえた『過去の名』を呼ぶこの子の声は、私の気のせいだったのかもしれない。過去に怯える私の恐怖が生み出した、幻聴という可能性だ。

 なにせあんなにもたくさんの人がまわりに居ること自体、この貧弱な体が慣れているわけがない。慣れない環境に誤作動が起きてしまう可能性は、完全に無いとは言い切れなかった。

 そう考えてしまうくらいには、私は私のことを信用出来ていなかった。


「となり、いいか」

「え」


 突然の申し出は、私にとって予想外でしかなく、正面の彼をじっと見つめてしまった。

 だって、空いてる席なんてそこらじゅうにあるのに、なんで私の隣に?


「だめか?」

「……いえ、どうぞ」


 断るのも不自然で、怯えてしまった手前とても気まずいけれど、そうとしか答えることが出来なかった。

 彼はというと、まるで当たり前のごとく私の隣に着席した。


 どうしよう。本当に気まずい。


「……すまなかった」

「え? あ、はい……?」


 唐突な謝罪で、一瞬何を言われたのか理解出来なかった。

 それでも分からないなりに返事をすると、どうしてか疑問系になってしまう。


「おまえが、おれの知ってるひとに似てた」

「そう、ですか」


 よく分からないけど、きっとあの日のことを言っているのだろう。

 彼は感情の読めない無表情で、じっと私を見つめている。

 それはどんなひとだったんですか、と尋ねてしまいそうになって、やめた。聞いてはいけないと直感してしまったから。


「……だからおれは、おまえに声をかけた」


 ……もしかすると、彼は共通語がどうとか以前に、 喋ること自体が苦手なのかもしれない。人と交流することは占術師にとって必要な技能だから、今、彼はとても頑張っているのではないだろうか。


「……けど、こわがらせて、しまった」


 ぽつりぽつりと告げられるたどたどしい言葉には、感情が篭っていない。きっとそれも彼のこれからの課題なのだろう。


「すまなかった」

「あ、いいえ、こちらこそ、おびえてごめんなさい」


 謝罪は素直に受け取って、こちらもちゃんと謝罪しておくことにした。だって、私もダメだったから。過去と決別しなきゃいけないのに。怯えてちゃいけないのに。

 これだから私は、私自身を好きになれないのだ。


「おれは……ラカーシャの、ウル。砂漠、の国から来た」


 ふと告げられた彼の言葉は、とても端的な自己紹介だった。


「あ、えっと、わたしは、フローラテイアのセリーヌ」

「そうか」


 彼はこくりと頷いて、そして、そこで会話が終了してしまった。どうしよう、とても気まずい。


「えっと、あの……ラカーシャっていうと、王様が龍族の?」


 龍族というのは、言葉の通り龍が人の姿をとっただけの、獣人とは違う存在、らしい。どこで聞いたか思い出せないくらいには曖昧な知識だから、それ以上詳しくは分からない。


「そうだ」


 肯定ののち、沈黙。

 また会話が終了してしまった。本当に気まずい。


「あ、あんまり詳しくないけど、たしか、剣舞が有名……よね……?」

「そうだ。ラケシアとしてアルディアをする」

「……?」


 知らない単語を立て続けに聞いてしまったからか、意味が分からなくて首を傾げてしまった。


「ラケシアは踊る者、アルディアは剣舞のことだ」

「あぁ、わたしが花乙女で、フルールをするのと同じ感じなんですね」


 国によって占術師の呼び方も、占術の方法も違う。ラカーシャでは剣舞で、行先や天候、運を占うと過去に誰かから人づてに聞いた。誰だったかは、よく分からないけど、多分メイリンからだったような気がする。


「そうだ。……敬語は、いらない。おれたちは同期だ」


 彼が肯定したと思ったら、予想外の事態である。過去には無かったことだからか、どうしても動揺してしまう。


「え……、でも」

「いい」


 キッパリとそう言われてしまって、どうしたものかと考えた。彼は相変わらず無表情で、感情なんてさっぱり分からない。それでも、その目を見れば一歩すら引いてくれそうにないのは理解出来てしまった。


「わかり、……わかった。え……と、よろしくね、ウル君」


 はたして、これでいいのか。今の私には全くと言っていいほど分からない。だけど、彼と関わることは確実に過去とは違う未来を齎してくれるだろう。

 その証拠かどうかは分からないけれど、彼は初めて感情が載った表情をしてくれた。


「よろしく、セリーヌ」


 薄く目を細めただけだったけれど、それはどこか満足気に見えたのだった。


 

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