寝る前5分のショートショート

十子

贋作師ヴァニタスの手紙

雪が降る冷たい夜、私の兄は死んだ。いや、死んでいた。少し骨ばった体を小さく折りたたんで死んでいた。どうやって死んだのかは誰に聞いてもわからなかった。そんな寂しい死を迎えてしまった兄へのほんの少しの慰めのためにこの手紙を記す。



私と兄は三つ歳が離れていて、幼い時からあまり喧嘩もせず仲良く暮らしていた。両親は割合早くに亡くなってしまったが、両親の心ばかりの遺産と、親戚の援助もあって二人で小さな美術学校に通うことができた。父はそこで教師をしていて、母は結婚するまでは売れない画家をしていたらしい。私と兄が絵の道に進むことが、亡くなった両親の望みだった。

私も兄も学校には真面目に通い、すこぶるとまではいかなくとも褒められる程度には良い成績を残して学校を卒業した。


しかし、兄は卒業した後も学校に通っていた。そのうちあまり家に帰らないようになって、ある時からぱったり帰ってこなくなってしまった。時折心配しなくていいという旨の手紙が来るから特別気をもむことは無かったが、その間の生活費や、何をしていたのかというのは私も聞かなかったし、兄も結局最後まで明かさなかった。今思えば、私たち兄弟の唯一の秘密がこれだったかもしれない。


私は兄がいない間に皿の絵付け師となり、細々と仕事を始めていた。最初は工房勤めだったが、結婚する頃には両親のアトリエを改装した自分の工房を持った。

兄が家に帰ってきたのはそのアトリエの…外壁を塗り替えている最中のことだった。私は兄に無断で改装したことを気に病んでいたが、兄は特別気にするでもなく、ただ一言「地下を使わせてくれ」と言っただけだった。

私は快く承諾して、一緒に暮らし始めていた婚約者にも頼み込んで許してもらった。元はと言えば半分は兄のものであるのだから当然といえば当然なのだが。



兄はそれから、生活のほとんどを分厚い扉の向こうの地下で過ごすようになった。地下は元々両親の作品や画材の置き場になっていて、両親を思い出すのと、埃をかぶって不気味なほどに汚いのとで長らく放ったらかしにしていたのだが、兄はそこに居ついて作品作りを始めた。一度掃除はしたものの、やっぱりどう見てもそこは健康的な空間ではなく、私は幾度も地上で生活するように進めたが、兄は地下から出ようとはしなかった。


兄が地下で暮らすようになってから知ったことだが、兄は外で暮らしていた頃から既に、パトロンを付けていた。画家らしい少し小汚い服のポケットから生活費にと札束が出てきた時にはそれはもう心底驚いた。私は兄から渡される生活費を始めは受け取らなかったが、妻の目や、子供ができたりすると、それを受け取らないではいられなかった。兄は私が金を受け取ると満足そうにしていた。


兄が贋作を描いていることを知ったのは初めて金を受け取ったその時だった。兄が背に置いていたのがどう見ても中世バロック期の名画だったからだ。兄は包み隠さず話した。贋作を描いていること、パトロンに頼まれていること、そして自分はもうオリジナルの作品を作らないことを。私には兄をとめることはできなかった。


兄が描く贋作は素晴らしかった。その行為は確かに許されざるものだが、兄が描く贋作は本物と寸分違わないものばかりだった。真作が雄大さを持てば兄の贋作も雄大さを放ち、真作が溢れ出る愛を表現すれば兄の贋作も愛を語るのである。まさに神がかり的な腕だった。


そんな兄を見初めたパトロンは私が知る中では二人いた。一人目は細身で髭を生やしたジェントルのシュバイツァー、二人目は太っちょで優しい瞳をしたマラドンという実業家だった。シュバイツァーはいつも高慢な態度で我が家のドアを叩き、兄のアトリエへ行っては大金を置いて絵を預かって帰って行った。一方マラドンはいつも兄と、私や私の妻、子供たちに何か土産を持ってやってきた。おかげで我が家には舶来物のランプや陶磁器がゴロゴロと転がっているし、子供たちは美味しいお菓子を持ってくるマラドンをいつも待ちわびている。彼は基本的には気さくで優しい人間だったが、何度か、彼が亡命してきた隣国の戦犯だと聞かされたこともある。真実はわからない。


そんなパトロンがやってくる以外は、兄に来客はほとんどなかった。しかし、兄はそれで満足していた。兄はひたすら贋作を描き、パトロンに預け、また頼まれて贋作を描いた。兄は贋作を描くことに誇りを持っていた。その裏返しに、決して自分の作品を描くことはなかった。


しかしある日、シュバイツァーが兄に真作を描くように持ちかけてきた。彼が言うには、兄の名は贋作師として売れ、兄の贋作に、贋作とわかっていながら高値をつける人間が出てきたということである。そこで兄が兄自身の作品を作れば世紀の傑作となると、シュバイツァーは兄に言ったようだが、兄は決して受け入れなかった。私は兄の声に驚いてその一連の交渉を見ていたのである。


シュバイツァーはそれからも兄に同じ依頼をしに我が家へやってきた。しかし結果はいつも同じで、彼は兄に追い返されて出て行った。しかし、ついに、何らかの理由で兄はその依頼を承諾した。その日シュバイツァーは初めて朗らかに笑いながら帰って行った。


兄はひどく動揺していた。筆を持つ手が大きく震えていたのが印象的だった。


そしてその姿が、私が見た最後の生きた兄の姿だった。


兄はきっと真作を描くことで自分が贋作師でなくなってしまうことや、自分の名が売れたことで贋作が贋作でなくなってしまったことを受け入れられなかったのであろう。兄にとって兄が贋作師であることは絶対であったのだ。



そんな誇り高い兄へ敬意を表し、ここに記す



贋作師ヴァニタスより

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