狐唯恋奇譚 ―妖狐に愛されすぎて困ってます―

笹 慎

第1話 イケフォックスと私

 真っ白な雪のじゅうたんが広がる。ほっぺが冷たくて、いたい。


 けど、きらいじゃない。むしろ好き。


 お母さんは「早く帰りたい」ってボヤいてたけど、わたしはずっとここにいてもいいかなって思う。


 ボスボスと、雪を長ぐつでふみつけて進む。時々、下の雪が固くなくて、ズボってなって、転びそうになる。


 北海道のおばあちゃんが階だんから落ちてケガをして、今年の冬休みは家族で、おばあちゃんの家に遊びに来た。お父さんは、おばあちゃんに千葉県でいっしょにくらそうって説とくしてる。


 とにかく、じゅくの冬期こう習に今年は行かなくていいって言われて、わたしはとてもうれしかった。


 さっきからズボンのポケットのスマホがブーブーしてるけど、つなぎのスキーウェアだから、ぬがないと取り出せない。どうせ、お母さんからだし、いいや。


 何回目かの「ズボッ」で、ついに私は雪のじゅうたんに向かって顔から転んだ。雪の上でねがえりをうつ。空は白く、くすんでいた。はく息も白く、世界のすべては白くて、わたしのスキーウェアだけが赤い。



 ギャウンッ!



 動物のイタそうな鳴き声が林の方から聞こえた。わたしは雪のベッドから起き上がって、林に向かう。とちゅうまた何度か「ズボッ」となったが、転びはしなかった。


 林に入ると、白い小型の動物が目に入る。ワンちゃん……じゃない……顔がちょっと犬とちがう気がする。白い……キツネ?


 白いキツネがワナにかかって、後ろ足がワイヤーにからまっていた。去年死んだおじいちゃんがやっていたように、わたしはワナのつまみをイジってワイヤーを外してあげる。


 すると、白いキツネはしゅんびんな動きでワナからはなれて、ふり返ってしばらくわたしをジッと見てから、どこかにいなくなってしまった。



◇◇◇



「……次は、流川るかわ南公園前に停まります」


 バスの窓に頭をもたれされて寝ていた私は目を覚ました。手に持った英単語帳を通学鞄にしまう。寝過ごすところだった。バスが停車し、私は定期券を見せて下車した。


 随分と懐かしい夢を見た。あれは小学四年生の時に、北海道の祖母の家に行った時のことだ。帰宅後に母に「狐を助けた」と告げたら大騒ぎになった。狐はエキノコックス症という大変危険な病気を媒介するそうで、むやみに触ったりしてはいけなかったらしい。


 楽しかったな。あの頃は。肩にかけた通学鞄の紐をギュッと握る。


 真っ直ぐ家に帰る気になれなくて、私はいつもはあまり通らない脇道に入った。少し散歩をしよう。どうせ、家には誰もいない。



千月ちづきちゃん、とってもしっかりしてるし、兄さんの残した家もあるし大丈夫よね?」



 唯一の親戚である叔母は祖母の葬式でそう言った。確かに小学生の大半の時間を費やして、せっかく受かった中高一貫校から転校したくなかったし、よく知らない親せきの家で暮らすよりはマシだとは思ったけど、なんだか見捨てられた気にもなった。


 中学一年生の時、両親は旅行中に海難事故に巻き込まれて死んだ。一緒に暮らしていた祖母がそれからは面倒を見てくれた。でもその祖母も先日、病気で死んでしまった。


 祖母は事前に学校等に話をしてくれており、家のことも両親が残してくれたお金のことも弁護士さんに頼んでくれていたので、私はこれまで通りの生活ができている。ただ、一人暮らしだが。


 学校の友達には、十五歳で一人暮らしをしていることは言っていない。親戚の人と暮らしていることにしている。変に羨ましがられたり、悪い人たちに寂しさをつけこまれて、たまり場にされても困る。


 いくらでも自暴自棄になることもできたが、無駄に真面目な性分なので誰からも怒られないというのに特に荒れることもなく、日々学校に通い勉学に励み、無味乾燥に生きている。


 なんか、つまらない人生だな。


 そう思ったけど、十五歳で何悟ったこと言ってるんだろうって、自分でフフッて笑ってしまった。


 ふと、つむじ風が巻き上がる。とっさに髪の毛と制服のスカートを抑えた。そして、風が去っていった方を見やる。ざわざわと鳴る雑木林の向こうに赤いものが見えた。


 赤い鳥居。赤いのぼり旗には「稲荷大明神」の文字。


 あれ? こんなところに稲荷神社なんかあったんだ。全然、気がつかなかった。私は鳥居をくぐって参道に足を踏み入れた。


 こじんまりした稲荷神社には、狛犬の代わりにお狐様の像が鎮座している。私は祖母に教えてもらった通りに賽銭箱に「がありますように」と十円玉と五円玉を入れる。鈴を鳴らしてから、二礼二拍手。



――― 早く、みんなのところに逝けますように。



 そう願って、一礼をする。いい加減、家に帰ろうと踵を返した瞬間だった。


 ぐにゃり。視界がゆがむ。やだ……貧血? 倒れる……。


 私の意識はそのまま暗闇に落ちていった。



◆◆◆



<およめさまかな? およめさまかな?>

<やおさま うれしそう やおさま うれしそうだと ぼくたちも うれしいね>



 耳元でくすぐったい声が聞こえる。すごいモフモフの枕が幸せすぎて起きたくない。スリスリと私はモフモフ枕に顔を埋めて、目覚めに抵抗する。大きくて優しい手が私の頭を撫でてくれた。



「……お父さん」



 自分の寝言にビックリして、私は飛び起きた。なにここ。どこ。神社で倒れちゃったんだよね。床は畳だ。神社の社務所……? 縁側の戸は開け放たれている。そこから入る月夜で、薄暗い室内は照らされていた。もう夜なの?


千月ちづき?」


 その低いけど優しい声で、私は顔を上げた。見上げた先には、声にならないほど整った美しい顔が私を覗き込んでいた。鈍く輝く長い銀髪。そして、満月が二つ灯ったような黄金こがね色の瞳。


 それから……。


「耳ッ!!」


 彼の頭に二つ生えた獣の耳が私の声に反応して動く。そして、手に柔らかくて触り心地が最高なものが触れた。視線を手元に落とす。先ほどまで私が枕にして熟睡していたものが目に入った。狐の毛のマフラーのような……これは……。


「尻尾ッ!?」


 よくよく見ると、この人、神主さんみたいな平安時代っぽい着物を着ている。なんだろう……神社でアニメキャラのコスプレしてる人? とにかくヤバイ人に違いない。逃げないと。


「あ……あの私、きっと倒れちゃったんですよね? お世話になりました。帰ります」


 私は通学鞄を掴み急いで立ち上がると、縁側に揃えておいてあった私のローファーをひっかける。ケンケンしながら、靴を大慌てで履いた。


 だが、縁側から庭に出て困惑で目を見開く。明らかに先ほどまでいた稲荷神社とは違う風景が目の前に広がっていた。まるで日本昔話のような世界。山と川と木々が見える。


「……ここどこ」


 唖然として思わず心の声が口から洩れてしまった。


「そこからは帰れないよ」


 私の疑問の応えるように、背後からそう言われて振り返る。月夜に照らされた美しい彼は私の顔を少し寂しそうに見つめてから、長く尖った爪をした指をパチンと鳴らした。



「寂しくなったら、またおいで」



 優しい声が耳元で響く。そして、また視界がぐにゃりと歪んで、私の視界はブラックアウトした。



◆◆◆



<やおさま ざんねん だったね>


 千月が帰ってしまって、独りになった八尾やおの周りを青い鬼火が舞う。


「うーん。もう向こうに未練ないのかなぁって思って呼んでみたけど、違ったみたいだね。人間は難しいなぁ」


 八尾は何百年と生きる妖狐だ。あの雪原で千月に助けてもらってから彼女を見守っている。


<ふられちゃった? ふられちゃった?>

<やおさま かわいそう やおさま かわいそう>


「なんだよ。みんな、酷い言い草だな。まぁ本当は天寿を全うしてから呼ぼうと思ってたし、僕は結構、粘り強いんだよ。だから平気だよ」


<やおさま つよがり~ やおさま つよがり~>


「うるさいなー」


 少しだけムッとした八尾は手で鬼火を左右に払うと、鬼火はキャッキャッと声を上げて彼の周りをより一層舞ったのだった。


***

 第二話につづく

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