Les Amants d'un jour (いつかの二人)

朝吹

Les Amants d'un jour (いつかの二人)前篇

 ※お題【行進、チーズ、日記】

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 給食に固形のチーズが出てくるたびに男子にあげていた。

みおちゃん、ありがと」

 銀紙で包んだチーズがわたしの給食のトレイから男子のトレイに移動する。ついでに牛乳もあげた。牛乳は冷蔵庫から出したての冷たいのでないと飲む気がしなかったのだ。

 高学年の男子は食べられる物なら何でも口にする。ともくんは嬉々としてわたしが押し付けたチーズをパンの間に挟み、二人分の牛乳を飲み干した。

 小学校の給食を振り返る時、想い出すのはスプーンの先でざくざくと割られていく細長いパンと、そこに押し込まれていった二つの薄黄色のチーズだ。

「ちゃんと喰えよ、それ」

 中学校にも給食があった。その日の献立がワンセットになって流れてくるランチのトレイを取ると、朋くんはわたしのトレイに載っているチーズに向かって云った。チーズはほぼ毎日出てくるのだ。

「朋くんにあげる」

 頼んでみたが、小学生の頃とは違い「わがまま云うな」と朋くんに断られた。

 澪ちゃんから澪といつの間にか呼び捨てにされるようになっていた。

 お前ら仲いいな。

 クラスの眼が興味本位でわたしたちを見ている。


 

 女子にはそれぞれ、苦手な食べ物を引き受けてくれる男子がいた。小学校の頃のわたしの担当はずっと朋くんだった。

 その朋くんとは中学三年生でまた同じクラスになった。統廃合を繰り返す近隣の小学校の卒業生を全て集めてきた中学は六クラスあって、彼とは今までクラスが違ったのだ。

 朋くんはわたしの与えた栄養のお蔭でずんずんと背が伸びて、今では少し仰ぐようにして顔を見なくてはならない。あちらからすれば見下げている。小学生から中三までスキップする間にわたしの名を澪と呼び捨てにするだけでなく、何となく態度が冷たくなっていた。

 わたしの知っている朋くんはもうちょっと単純ばかでかわいかった。

 ばか男子はたいてい高い処によじ登る。澪ちゃん。声がしたと想ったら仲間のばかと一緒に校庭の樹によじ登って得意げにわたしに手を振っている朋くんを見つけたこともあった。

「腕相撲。わたしが勝ったらこれから卒業するまでチーズを引き受けて」

 朋くんに小学校の頃と同じノリで腕相撲を挑んだところ、勝敗がつく前に向こうから腕を解かれてしまった。

 まあ、そうかな。

 年子の弟のりゅうとやっても最近はずっとわたしが敗けていた。女子の身体に丸みがつくように男子には力がつくわけで、こちらが奥歯を噛みしめてどれほど力もうが腕相撲など、肉体絶賛改造中の男子のひと息でぱったーんと斃されてしまうのだ。

「今日だけだぞ」

 腕相撲の敗北感に打ちひしがれているわたしの給食のトレイから朋くんはチーズと、ついでに牛乳を取り上げていった。今まで彼に食べてもらったチーズを並べたら、ねずみさんがその上を行進していくちょっとした小路くらいにはなりそうだ。



 そりゃ澪が悪いわ。

 十歳年上の姉のみどりは申し訳程度の短期バイトを繰り返しながらぶらぶらしている。我が家は姉の碧、中三のわたし、わたしのすぐ下に中二の龍の三人きょうだいだ。

 彼氏からもらったピアスを耳にはめながら碧姉みどりねえは鏡ごしにわたしに説教を垂れた。

「正攻法で男に挑んでどうするの。澪、そこは女を使わないと駄目よ」

「お姉ちゃん、わたしまだ中学生だから」

「関係ないわよ」

 碧姉の最終学歴は中卒だ。高校の途中で男の子と遊ぶ方に熱心になってしまい素行不良を理由に放校されたのだ。おかげでわたしと弟の龍は子どもの頃から姉のようにだけはなってくれるなと親戚中から小言を浴びていた。

 碧姉は『女』だった。生まれつきそうだった。色白で華奢で『笠森お仙』のような腰の細いお人形さんのような外観も充分に女だったがそれだけではない。歩むと足裏の触れたそこから花が咲き出るどこかの春の女神のように、碧姉がそこにいるだけで胸がざわめくような色気が周囲に降りかかる。

 碧姉は女という性を前面に押し出して生きていた。まさになまめきたるという感じだった。

「男はアレしてナニしてる時がいちばん無防備だからそこでトドメを刺すのよ」

 清々しいまでに悪びれもせず、碧姉は中学生のわたし相手に女の心得の小ネタを時々きかせた。

「大奥でもそうでしょ。アレしてナニしてる時に何か頼まれたら殿様だって断れないのよ。『うむ、よかろう』と云うしかないの。男はそういう生き物なのよ。だからアレしてナニしてる時のおねだりを禁止するために非人道的なお添伏という監視役が殿様の寝所にいたのよ」

「碧ちゃん止めなさい」

 そんな時パパとママはいつも血相を変えて叱ったが、碧姉は平気の平左だった。

「誰でも知ってるただの大奥の雑学話をしただけじゃない」

「トドメ……とは……」

「澪姉ちゃん、そこは分からなくてもいいから」

 家庭内で碧姉の暴走が始まると、パパとママが姉を叱り、わたしが放心し、焦り気味に龍が助け舟を出してくる。碧姉とわたしの外観は似ていない。碧姉とわたしは姉妹だったが、女らしさはすべて碧姉に吸い取られたとしか想えない。


 碧姉はわたしの眼には魔法にしか見えない手つきでヘアアイロンを器用に操ると髪をゆるく内側に巻き、化粧と着替えを済ませた。

「なんで女の方が生物学的には男よりも上だって云われてるのかを考えてごらん。わたしが澪の年の頃にはもうクラス中の男子に鞄を持たせてたし、笑顔の一つで遅刻早退ずる休みを男の先生に赦してもらっていたわよ」

 だめじゃん。

 わたしの軽蔑の視線を意に介さずに碧姉はメイク崩れ防止のスプレーを顔中に吹きかけた。

「腕相撲。あんたって昔からまったく女の子らしいことに興味ないわよね」

「わたしは碧姉みたいな不良じゃないし」

「異性やおしゃれに興味がないふりをしたりボーイッシュな女子を売り物にするのはわたしは嫌い。龍と服を共有するのはいい加減やめな」

「楽なんだもん」

「澪、こうするのよ。『誰にも内緒でわたしの給食を食べて欲しいの、お願い』。男に可愛いと想わせたら女の勝ちなのよ。わかった?」

 わたしに手本を披露してみせると、「ママに夕食要らないって云っといて」膝丈のシフォンスカートをひらめかせて碧姉はデートに出かけていった。残像にまでこちらの脳内が花畠になるような女子力が詰まっていた。

「ぼくの友だちも云ってたよ。お前んとこの姉は上の碧さんは超絶可愛いけど、下の澪ちゃんはちょい上くらいだよなって」

「その子たちはもう家に来るな」

 階段を駈け上がって二階の自室にとび込むと、鍵つきの引き出しを開けた。そこにはずらりと日記帳が並んでいる。小学校の入学祝いに日記帳をプレゼントしてもらい、それ以来ずっと日記をつけているのだ。

 小学五年生の時の日記を取り出して開いた。

 某月某日。

『わたしは給食のチーズを食べないとちかう。』

 確かにわたしが書いた字だ。そこにはわたしの決意が詰まっている。


 

 小学校の頃の朋くんはわたしよりも背が低くて、飼育委員になった時には飼育小屋の掃除をしながら、毎日うさぎに餌をやっていた。わたしに気が付くと朋くんは給食調理室からもらい下げてきたキャベツの葉をわたしに分けてくれた。

 澪ちゃんもうさぎに餌をやってみる?

 そんな話を、わたしは今、朋くんにしている。

「だから」

 と返された。衣替えは六月だけど、最近は五月でも暑い。学校に到着するなり男子はみんな学ランを脱いでいた。

「その頃の馴染みに免じて、どうかチーズを引き受けて下さい」

「喰わず嫌いの女、嫌いなんだよね」

「もういい」

 朋くんのつれない態度に観念してわたしは周囲を見廻した。小学校の時と違うのは担任の先生は職員室で昼食をとっていてホールにはいないことだ。優等生の恵比寿くんに眼をつけた。おーい恵比寿くん、わたしの給食たべてー。

「え、ぼくが」

 恵比寿くんはぎょっとしていた。今こそ碧姉直伝のあれをやる時だ。わたしはチーズをのせた小皿を片手に、恵比寿くんの許に駈け寄った。

「恵比寿くんお願い、『誰にも内緒でわたしの給食を食べて欲しいの』」

「内緒になってないと想うよ澪ちゃん。後ろから朋が睨んでるし」

 恵比寿くんはそう云いながらもわたしのチーズを引き受けてくれた。わたしは意地でも振り返らなかった。朋くんがわたしを睨んでいても知るもんか。



 弟の龍はバスケ部だ。レギュラー入りした龍の出るバスケの対校試合を体育館で見学して、試合後のミーティングに出る龍より先に一人で帰っていた。

 家の手前に外車が停まり、碧姉と体格のいい男の人がいた。車を降りた碧姉を塀に押し付けるようにして男の人が碧姉を睨んでいる。夕闇が一段と暗くなるような剣呑な雰囲気だった。

 ざらつく声で男の人が碧姉に凄んだ。

「あまり俺を舐めない方がいい」

 碧姉は黙ったまま男を見詰め返していた。

 碧お姉ちゃん、逃げて。

 わたしは割り込んでいいものかどうしたものか分からないまま男の人の背後に立ち尽くしていた。

 碧姉、こういう時こそ何かあるんじゃないの。可愛く「やだぁ」とか云ってすり抜けてくる方法が。碧姉なら何か持ってるでしょ、こういう際の決め技を。泣き崩れるとかさ。

 やがて男がわたしに気が付いた。男は大きく肩を落とすようにして力を抜くと、わたしと碧姉を残して車に乗り込み去っていった。車は銀色のアストンマーティンだった。

「三股がばれただけよ」

 家に入って玄関の鍵をかけると、わたしは碧姉にくっついて碧姉の部屋に入った。わたしの心臓はまだ波打っていたが、碧姉はいつものようにアクセサリーを鏡の前で外し始めた。

「澪、後ろの釦を外して」

「三股。それは碧姉が悪いよ」

「そう?」

 わたしが背中の釦を外すと、碧姉はワンピースを脱ぎ捨てた。

「三股くらいなによ。そんな女は願い下げだという男はわたしの方こそ要らないわ。動物の世界だって雄は雌を競ってるじゃない。ちょっと違うかな。女に選ばせる余地を残してくれる男がいい男って感じかな」

「ええ?」

 さっぱり意味が分からない。碧姉は片眉をあげた。

「大丈夫よ。大人の男としか付き合っていないから」

 そんなことを云って油断しているから先刻みたいなことになるんじゃないの?

「電話だよ碧姉」

 碧姉のスマフォが鳴っている。何度目かの着信だ。突っ立っていたらいつの間にか帰宅して廊下で様子を覗っていた龍から「澪姉ちゃん、さすがにそれは鈍いわ」腕を引っ張られた。

 わたしと龍が廊下に出ると碧姉は電話に出た。

 謝るのならわたしの顔を見て謝って。

 落ち着いた声で碧姉は電話の向こうの男に告げていた。

 電話なんかじゃ駄目よ。

「三股かけていてごめんなさい」とも「怖かったわ」とも云わない。ほとほと感心してしまった。電話に出る瞬間、確かに碧姉はにんまりと笑っていたのだ。誰からの電話かを確認する前から、かかってきたと呟いていた。魔女か、姉は。

「舐めんな。それはぼくも多少はその男の人と同じように想うんだけどさ。碧姉が眼の前でひらひらしてると、そんな気持ちは消え失せるんだよな」

 碧姉のいちばんの被害者は、弟の龍かもしれない。

「父さんと母さんが、龍に変な影響があったらいけないから早くお嫁に行って家を出てねと冗談めかして云った時、『大丈夫よわたし年下には興味ないもの』と碧姉がさらりと応えたのをきいたんだ。あの時にぼくの中でなにかが壊れた」

 龍は失恋と同じ傷心を負っていた。



》後篇へ



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