花より君を

 歯を磨いて二人で公園へ向かう途中、僕と夜河さんは手をずっと繋いでいた。夜河さんの手は温かくて、とても優しかった。少し気がかりなことがあったけれど、そんなことは考えないようにした。夜河さんの言葉の端々から僕と夜河さんは互いに大切な人だと思い合っていたことが感じられたからだ。


「なんか花より団子ってこういうことをいうのかな」


 夜河さんはニコニコしながらそう言った。


「どういうこと?」


「ずっと八重くんを見ていたいって思ってるから」


 夜河さんは頬を赤らめながら僕を見つめ、僕は長らく経験しなかった感情が呼び起こされる気がした。一瞬ごとに真新しいことが起こっている。今日が自分の命日かと思うほどには幸せだ。


「ありがとう、幸せだよ」


 幸せに満ちた会話。多分昨日までの僕なら「リア充め爆発しろ」などと思っていたのだろうが、それすらどうでもよくなるくらいには幸せだった。これがずっと続けば良いのに。


 僕と夜河さんが公園に着くと、すでに多くの人で賑わっていた。人混みの中、偶然目の前で席が空いたベンチに腰掛けると、向かい側にもカップルがいるようだった。彼らの幸せも願いつつ自分たちの幸せな会話を続けているうちに、終いには僕は明日もこうあることを信じる程度にはこの新鮮な感覚に慣れていった。


「おやおや、八重君とその彼女さんではないですか。どうも八重君の同期、藤崎とうざき晴丸はるまです。こんなところで会うとは珍しい、体調は回復しつつあるといったところでしょうか。早めに回復していただけると嬉しいです。なぜって教授が不安定になっちゃってるからですよ。聞いてないって?はは、そう来なくっちゃいけません。彼女さんと末長くお幸せであってください」


 大学のゼミが同じで妙に親切な同期、藤崎がものすごい勢いで言葉を並べる。その様はさながら立て板に水を流すようだ。アドリブの鬼才と呼ばれる所以もここにあるのだろう……が、今突撃してくるのはいつも以上に空気が読めていないと言えようか。


「藤崎、どうした。いつもの数百倍空気読めてないぞ」


 僕はそう言いながら藤崎の話を切ろうとしたが、彼はそれを無視してここ数日で葉桜になりかけた桜を指差した。


「桜は散り際が美しいって言うじゃないですか」


 無視していると、藤崎は何事もなかったかのように続けた。


「その散り際に咲き誇る花というのは、全てが実を結ぶ前だということはわかると思います。そして木のために葉の部分に主役を潔く譲り渡すために花は散る。そういう風に考えると散り際の桜は、木を生かすことを共通する使命として、厳しかった冬を破る先駆けとなる花とこれから始まる夏を生きる葉が入れ替わる時期だということになります。だから美しい。ごめんなさい、なぜかは分からないけれど今言わないと二度と言えないような気がしたんです」


 なんだか嫌な気分になった。来年の桜だって夜河さんと一緒に見られるはずだ。それなのにどうしてこいつは今しかこの話はできないなんて言うんだ。僕は瞬間的になんとなく分かったかもしれなかったが、それ以上に腹が立って仕方がなかった。でも、我慢するべきだ。ここでキレるよりは、来年笑ってやる方が良い。そう考え、藤崎に「ありがとな」と言いながら会釈をして夜河さんの手を引き、ベンチから部屋の椅子に場所を変えるべく歩き出す。夜河さんの手は心なしか震えているようで、僕は彼女の手をしっかりと握りしめた。

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