ジェンダーチェンジアプリ

久河央理

第1話 ただの幼馴染み


 ――もし、性別を変えられるアプリがあるとしたら、きみはどうする?


     1


 ホームルームを終え、静寂に包まれた放課後の校舎内。カシャリとスマートフォンのシャッター音がひとつ、高校二年二組の教室から鳴り響いた。


「こうやって変換してっと――……」


 夕陽の照らす教室に残っている生徒は、男女がそれぞれ一人ずつ。

 彼らは仲良く横並びで窓の縁に腰をかけ、一台のスマートフォンを覗き込んでいる。慣れた手つきで画面を操作する男子生徒を、隣で女子生徒が見守るという青春らしい一風景がそこにはあった。


「――よし、できた! じゃじゃーん! どう?」


「おお……っ! これが男になった私かぁ、すごいな……っ!」


「だろ! すごいよな、このアプリ!」


 持ち主である男子から得意げに画面を見せられると、鯉木楓こいぎかえでは感心の声をこぼした。


 そこに写っているのは、楓とそっくりな黒髪男子だ。

 やや鋭い印象を与えるアーモンド型の目に、癖のないストレートの黒髪。ボブから少し伸びたショートヘアの髪型――それらの特徴をそのままに、女性から男性へと骨格を変換してイフの再現をする、という見事な加工が行われていた。


 ――私がもし本当に男だったら、こんな顔だったのかもしれないのか……。


 もしもを想像をして、「悪くないな」と楽しそうに微笑む。そんな楓の反応を隣で眺めていた男子高校生は、からかうようにケラケラと笑い出した。


「あははっ、こいつ無駄にモテそうだなあ」


「無駄にとはなんだよ、千弦ちづる失礼なやつだなぁ、普通にモテさせてくれないのかい?」


 むすっと頬を膨らませた楓を見て、彼はまた笑い声を上げる。その男子――相川千弦あいかわちづるは人好きのする顔立ちをしていて、纏う空気も柔らかい。

 へたりと下がった目尻は笑顔でこそより輝き、健康的に焼けた肌は女子が羨む艶を保っている。茶色の髪は癖でふんわりとしていて、夕陽のおかげでさらに暖かみを増していた。


「ごめんごめん。この楓があんまりにもかっこいいからさ、ついね! 楓はもともと紳士的だから、男なら結構モテそうだなーって。だから、単なる嫉妬的な意味だよ?」


「……なら光栄ってもんかな? ありがたく受け取っておこう、うん」


 少し照れ臭くなった楓は、画面の中でピースしている女子の方を指差した。


「この千弦だって、とてもかわいらしいよ。人懐っこそうで、人気者になりそうで……誰もが、嫉妬してしまうかもしれないね?」


 千弦と同じ特徴を持った彼女は、オレンジ色の輝きを背にして、愛嬌たっぷりに写っている。「笑顔こそ最大の武器」という言葉が似合いすぎる微笑みだ。


「えー? へへ、照れちゃうなぁ。ありがと!」


 満更でもない様子で、千弦はにっこりと笑った。だが、画面を見つめる内にだんだんと微笑みは消えゆき、彼の表情は真剣なものに変わる。


「……あぁ……本当にこうだったら、よかったのかなぁ……」


 伏せた瞳があまりにも強い悲哀を宿していた気がしたのだが、真横に座る楓にはよく見えなかった。急に声色も声量も落とした千弦の顔を心配そうに覗き込む。


「千弦? どうかしたか?」


「え。あ、いや、別に、深い意味はないよ! そ、そう。このかわいさがあれば、なんか世界が手に入りそうだなー、なんて思っただけ!」


 楓はその返答に驚き、一瞬言葉を詰まらせる。あまりにも苦しそうな言い訳をされてしまった以上、話を続けるわけにはいかなかった。千弦が拒絶するのなら、いくら仲のいい幼馴染みでも無理に問うことはできない。

 恋人同士でもない、ただの幼馴染みなのだから尚更だ。


「そうかー、ならいいんだけど――と言いたいが。かわいさだけで世界が手に入るわけないだろう。一体いつの時代を生きてるのかな、千弦ちゃんは?」


「ま、真面目に返すのやめてくれるかな、楓くん! アタシ、傷ついちゃう~!」


「そんな楽しそうに言われても説得力がないね、五点」


「五点くれる楓、なんだかんだ優しい……っ」


「はいはい、ありがとう。百点目指して、頑張ってくれたまえ」


「道のりが遠いなぁ!」


 画面内の互いを見ながら笑い合っていると、突如として教室の扉が力強くノックされ、二人は揃って視線を向ける。


「千弦くーん、ちょっといいかなー?」


 訪ねてきたのは隣のクラスの女子二人組だった。声をかけてきた彼女は三組のクラス委員長をやっていて、積極性のある人物という印象がある。

 そして、委員長の背後に隠れるようにして立っているのは、この学年で最もかわいいと噂されている山田という子だ。彼女には嫌味がないため嫌われないが、一部の女子からは妬まれているらしい。かわいいのも大変そうである。


「ああ、うん。いいよ、いま行く! ちょっと行ってくるね、楓」


「わかった。いってらっしゃい」


 楓は千弦を見送ったのち、机の上に勉強道具一式を広げた。付箋のついた英語の教科書とノートを開き、印をつけた問題を解いて、黙々と作業を進めていく。


 カチカチと時計の針だけが音を鳴らす空間では、とても優秀な捗りを発揮できた。一通り課題を済ませて息をついていると、ふいに廊下から男子生徒たちの声が聞こえてくる。


「いやー、今日も告られてるってさぁ……千弦って、マジで女子にモテるよな。しかも、今回は俺らのアイドル山田さんだぜ? やっぱり、優しくてコミュ力高いからかなぁ」


「千弦には憧れるよな、まったく! てかさ、知ってる? あいつ、断り文句はいつも一緒らしいよ。なんでも、『好きな人がいる』とか」


 彼ら二人の話によると、どうやら先ほどの呼び出しは告白だったらしい。

 楓にとっては慣れた話だ。千弦が告白されているなんてことは珍しくもなんともないことで、実際に目撃したことだってある。


「それって、いつも一緒にいる女子っぽくないあの子なんかな? あの紳士的な……」


「鯉木楓だろ? あれが男だったらと思うと、モテそうすぎて正直怖いわ」


 しかしながら、気にならないかと言えばそんなことはなかった。なんとなく結果を予想しておきながらも、ほっと安堵の気持ちを抱いているのがその証拠だ。


 だがそれよりも、最後に聞こえた会話が耳に残っていた。


「ハハ。いつも一緒にいる女子っぽくない子って、絶対に私以外いないだろうなぁ」


 教室内でぼそりと自嘲する。通りすがりの彼らが言ったように、楓は女子らしくない。

 現在使用中のシャープペンシルをはじめ、所持品は使い勝手重視だ。そこには、かわいさなど欠片も存在しない。手帳も財布もスマホケースも、どれもこれも飾り気のないデザインで揃えている。


 しかし、楓はそれを特段気にしてはいなかった。むしろ、努めてそうしていたのだから、気にするもなにもないのだ。化粧もせず、アクセサリーも持たず、話題のカフェに行こうとしたことだってない。その必要性を感じず、むしろ積極的に避けていたとも言える。


 だが、それはそれとして。


「……千弦の好きな人、ねぇ。どんな人がタイプなんだろうか……?」


 片付けを始めながら、ふと考え続けてみる。

 長年一緒にいるが、いわゆる恋バナをしたことは一度もなかった。楓も自身の話をしていないからお互いさまではあるのだが、今日はなんだか気になってしかたがない。

 なにかが引っかかっているようで、気持ちに区切りがつかなかった。

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