奈良公園怪死事件~透明人間の最期とその謎の死について~
世界遺産に囲まれ、人と鹿が共存する不思議空間、奈良公園。
まあ日常は平和そのものなんだけど、たま~に変な事件が発生する。
その日も地方局のニュース番組では事件の続報を流していた。
『――園内で発見された遺体は男性のもので、股の辺りを鋭利な刃物のようなもので刺されており、警察では事件と事故の両面で捜査を続けています。なお、――」
地元の学校や会社、はたまた近所のおばちゃんの井戸端会議では慣れ親しんだ場所で起きた凶事に動揺しつつも、様々な噂が飛び交っていた。
「事件と事故のっていうけど、股に何かが刺さる事故って考えられないし、やっぱ他殺かねえ」
「金目のものは盗られてないって話だし、怨恨ってやつだな。間違いない」
「痴情のもつれって奴ね。浮気された女が怒って男のアレを…」
「おいやめろ。タマがキュンと縮こまったじゃないか」
「あら。知事のタマが縮こまっちゃって、知事困るってワケですね」
「笑えねーよ。つか、前回のつまらないオチを使いまわすな。どんだけ気に入ってんだよ」
「何かが刺さったのは間違いないらしいけど、凶器らしきものは見つかってないらしいよ」
「そりゃきっと道鏡の生まれ変わりだ」
「うっかりホ〇に転生した道鏡www」
………。
だんだん汚いシモネタばかりがクローズアップされて聞こえて来たのは筆者の耳がそっち系の話を好んで聞き取っているのだろうか。こういうのをカクテルパーティー効果とか何とか言うんだっけ?
まあ、とにかく判っていることは、
・たぶん他殺。物盗りじゃないだろう。
・遺体の股に刺傷がある。
・凶器はみつかっていない。
といった程度だろうか。
ほとんど何にもわかっちゃいない。
数日は噂話に花を咲かせていた人々だったが、情報が溢れる現代社会では一つの話題が75日も持て囃されることは稀であり、今回の事件も報道されなくなるのと同時に、あっさりと人々の記憶から追いやられて行った。
事件の真相が判明したのは、それから数カ月が経過した日のことだった。
結果から言うと、例の男性は他殺ではなく事故死であった。
それもかなりマヌケな事故で。
くだらない事故だったので報道されなかったのだが、筆者は県警の知り合いから詳しい事情を聴くことができた。
当たり前だが『くれぐれもオフレコで』と言われていたのだが、まあカクヨムにフィクションという形で投稿するくらいなら構わんだろう。
まずは警察の捜査で男の身元が判明したところから。
男は近所に住む中年の男性で、賃貸物件に一人暮らしだったらしい。
ほとんど近所との交流もなかったようで、誰に聞いても男のことを詳しく知る人物に辿り着けなかった。
大家ですら警察に写真を見せられて『この人だったような気がするけど』という程度の認識であった。
彼を知る人物を探してみたが、友人も居なければ恋人も居ない。近所の人も顔を見たことはあるがどんな人なのか全くわからない。話したことも無い。
彼の財布から見つかったレシートに書かれたコンビニにも聞き込みをしたが、彼を見たと記憶している店員は居なかった。
防犯カメラをチェックしたら週3で通っていたというのに。
とにかく全く印象に残らない男であった。
次は男の自宅を捜索した場面。
どうも身寄りがないらしく、親戚関係とも一切交流がない。
しょうがないので大家立会いで自宅を開けてもらい、手掛かりを捜索したが特に目ぼしいものはなかった。
なんというか、生活の痕跡はあるのだが、彼を彼だと特定できる痕跡が全く見つからない。
『ミスターモブキャラって感じだったな』とは筆者の知り合いの刑事のコメントである。
『結局、今も昔も俺たちの仕事は足で稼ぐってのが基本なんだけどさあ……【透明人間】ってやつが一番どうしようもねえわけよ』
若草山の麓にある小さなカフェ。そこで筆者は刑事から事件のあらましを聴いていたのだが、一番印象に残った彼の発言が【透明人間】である。
警察の仕事は、遺体の身元を判明させて、他殺の可能性があれば犯人を捜査する。
その日まで会ったことも無い、どこの誰だかわからない人間を日本中から探し当てなければならない。
そうなると時代が変わっても捜査の基本は聞き込みである。
その人を知っている者はいないか。
何をしている人か。どんな話をしていたか。どこに住んでいるか。どこに勤めているか。どんな生活をしているか。
その人を知っている可能性がある者を徹底的に探して情報を集めるしかない。
ところが、その人のことを誰も知らない。
まるで、誰もその人のことが見えていなかったみたいに。
それを例えて、刑事は『透明人間』と称しているのだ。
まるで存在していないような。そしてようやくその存在が明らかになった時には彼は既に息絶えているのだ。
『捜査を続けてると、「あ、これはまずいなあ」ってなる瞬間があるんだわ。だーれも知らねえ。物証もなーんにもねえ。今回だってホトケさんが持っていたのはジャリ銭の入った小銭入れだけ。免許証もスマホも持ってねえ。コンビニのレシートが無けりゃ迷宮入りだったかもしれねえよ』
刑事は両手を拡げて大袈裟に天を仰いだ。筆者は彼から何度となく事件の談話を聞かせてもらっているが、大捕り物の武勇伝と同じくらい熱弁している。
それだけ透明人間の捜査が困難であることを物語っているのだろう。
ベテラン刑事もお手上げの今回の怪事件。事態が大きく動いたのは新人刑事の提言がきっかけだったらしい。
『そいつが「この人のスマホはどこへ行ったんでしょうか」っていうのよ。俺はてっきり、携帯なんてハナから持ってないんじゃないか、って思いこんじまったのよ』
ホトケさんも俺と同じ古い世代だしなあ。と刑事は可笑しそうに笑った。
この刑事は、いまだにスマホはおろか携帯すら持ったことがない。仕事用に持たされてはいるが、「こいつは無線機の代わりみたいなもんだ」と警察関係者との連絡にしょうがなく使っているだけのようだった。
かくして、調べた結果、透明人間はスマホを所有していたことが判明した。
コンビニのレシートから聞き込み範囲を絞って、ようやく男の住居を探し当て、屋内を捜索した荷物の中に紛れていた公共料金の支払い明細をみつけ、そこから身元を特定し、やっと携帯電話各社に照会をかけて回線を特定し、最後の位置情報が確認できた辺りを調べに調べて、ついにスマホの発見に至ったのであった。
そのスマホは、何故か遺体から2キロメートル離れた奈良公園の隅に落ちていた。
『それでまた捜索よ』
と刑事がげんなりした顔で語る。
スマホの発見地点を中心にまた地面に這いつくばって物証探しをしなければならなかったのだが、やはりというかなんというか、落ちていたのは鹿のフンばかりで、何も手掛かりは得られなかったのである。
ただ、スマホのほうに今回の事件は事故だという証拠が残されていた。
『この男なあ。リアルじゃ透明人間だったが、ネットの中じゃ割と有名人だったらしいぜ』
彼のSNSアカウントを見つけて解析――とはいっても刑事はそっち方面はからっきしなので筆者が現代文に要約して結果だけを記そう。
その男はSNSでそれなりにフォロワー数が居るアカウントを持っていた。
ほぼ毎日つぶやきがあったのだが、主なテーマは奈良公園の鹿と戯れている写真や動画であった。
鹿という生き物は自由に歩き回っているように見えてそれぞれ縄張りというかお気に入りの場所があるらしく、彼は立派なツノを持った特定の牡鹿に名前をつけて、さも自分がその牡鹿と友達であるかのような投稿を続けていた。
ある日の投稿で、リクエストされた方法でその牡鹿と遊ぶという企画をやっていて、それに対して「ポッキーゲームのように口で鹿せんべいを咥えて牡鹿に与える」「腰に鹿せんべいをぶら下げて牡鹿から1時間逃げる」などのリプライがつけられた。
中には「この程度のことも、どうせ出来ないだろ」という安い挑発があったのだが、男はこの挑発に乗ってしまい、こともあろうに自ら考えたもっとくだらない遊びを実行に移すこととなった。
それは、「鹿せんべいを股間にぶら下げて鹿に咥えさせる」という何とも品の無い遊びであった。
結果は、言うまでもない。
手で持っていようが股間にぶら下がっていようが、いつもエサをくれる人間が好物の鹿せんべいを差し出しているのをみて、猫まっしぐらならぬ鹿まっしぐらの勢いで件の牡鹿は男の股間めがけて突進したのであろう。
後に愛護協会の協力でその牡鹿を特定し、ツノを調べたら男の血液反応があったということだ。
『馬鹿だねえ。あまりに情けない最期だと思わんか』
などと、事件を語り終えた刑事は、あまりにも間抜けな死因の犠牲者を笑っていたのだが、最後にふと真顔になってつぶやいた。
『この男、ネットの中だけはちゃんと自分の色を出せてたんだなあ、と思うと泣けてきてよお』
悲しいねえ。と刑事は眉間に皺を寄せて窓の外を見やった。
良く晴れた空に若草山の緑が眩しかった。
ところで、スマホは何故そんなに離れた場所からみつかったのだろう?
鑑識によると、鹿の唾液が付着していたらしい。
鹿が運んだ? 何のために?
事件はまだ終わっていないのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます