短編集
鹿の国から
金賞
「やったぜ! ついに、俺はやったぜ!」
俺はひとりボロアパートの一室で雄叫びを上げ、ガッツポーズを決めた。
薄壁の向こうから即座に壁ドンの返答が叩きつけられたがそんなことは最早どうでもいい。
ついに俺の漫画が賞を獲った。しかもこの賞は大手雑誌での連載デビューが約束されている。
苦節十年。趣味の漫画を様々な賞に応募し続けて、いつしか趣味が苦痛に変わりつつある時だった。
今まで最終候補にすら残ったことはない。投稿サイトでもほとんど酷評されていた。
自分に才能がないのはよくわかった。この応募を最後にしよう。そんな思いで応募した作品がまさかの逆転満塁ホームランだ。
諦めかけていたけど、やっぱり諦めきれなかった。
何度も現実に叩きつけられたが、それでも描き続けた。
きっとどこかに俺の作品の良さを分かってくれる人が居ると信じて。
しかし人生は残酷で、タイムリミットは突然やってくる。
親父の持病が悪化したことで、家業を継ぐかどうかの選択を迫られた。俺が継がないなら四代続いた店は廃業ということになる。その場合、残った借金や親父の治療費を家族で稼がなければならないので、漫画はすっぱり諦めて働かなければならない。
漫画家になりたいという夢と、金が絡んだ現実。
いつまでも未完成のままで好きなことをして暮らすわけにはいかなかった。
「これがダメだったら、漫画家は諦めて家業を支えよう」
この10年の全てをぶつけて最後のチャンスに賭けた作品が、第4回ヘンコ山漫画賞で金賞を獲得した。
ちなみに、選者のヘンコ山先生も苦労して投稿からデビューを勝ち取った人で、今や大手の人気作家である。これまでヘンコ山漫画賞で金賞を獲った人はいずれも鮮烈なデビューを果たし、売れっ子作家に成長していた。
そんなことから、ヘンコ山漫画賞で金賞を獲るということは漫画家としての成功が約束されたようなものだ、と業界で言われるようになっていた。
少なくとも、デビュー作が売れることで実家の借金くらいは返せるだろう。
諦めないでよかった。
夢を追い続けてよかった。
やっと夢をかなえることができたんだ。
いや、気を抜いてはいけない。
いくら過去に受賞した三人が順調に売れたからといって、俺がそうなるとは限らない。賞を獲ったことに浮かれ過ぎず、しっかりした作品を描かなければな。
けど……今日くらい、いいよね。
俺はコンビニに走り、普段は買えないお高い目の缶詰と発泡酒じゃないビールでひとり祝杯を上げた。
その頃…。
ヘンコ山先生は苦悩していた。
苦労してデビューしてから、世間から一流作家と呼ばれるほどに成長した。
ベテラン作家として後進を応援する賞も設立し、これまで三人の漫画家が才能の芽を開花させた。
しかしヘンコ山本人は、自らの才能が枯渇するのを感じていた。
人気ランキングはなんとか中の下をキープしているものの、今の連載でこれ以上巻き返せる見込みがない。
全盛期を過ぎ、自らの知名度とは裏腹に売れ行きはゆっくりと下降線を辿っている。時代が移ると読者が新しいものを求めるようになっていくが、ヘンコ山は時代が求めるものを描くことができなかった。
「先生、今回の金賞なんですけど…」
打ち合わせの席で、編集者が言いにくそうに切り出した。
「申し訳ないんですけど、なんというか、そのー」
「あんまりおもしろくなかった。そうだろう?」
ヘンコ山に言葉を継がれて恐縮する編集者。だが長い付き合いで言いたいことはちゃんと言う関係ができていた。
「編集部でも今回の受賞作品は受けが悪い。正直、予選落ちのクオリティでした。
なぜこれを選んだのです? 他にもっと良い作品が沢山あったでしょう?」
「知ってるさ。ちゃんと読んだからな」
「だったら、なぜ―――」
ヘンコ山は回想した。
売れっ子になってから、連載は過酷になったが信じられないくらいの金が手に入った。描けば描くほど売れて行った。
東京でマンションを借りて、アシスタントも大勢雇った。
スポーツカーも衝動買いしたが、碌に乗らないでガレージに眠っている。それでも金が余るのでガレージを拡張してもう一台高級外車を買った。
服なんて昔は擦り切れたジャージで十分だったが、贅沢な暮らしをするようになってからはセレクトショップでオーダーしないと満足できなくなった。
売れる前の主食だったインスタントラーメンはデビュー以来一度も食べていない。
描けば描くほど売れて、アシスタントを増員した。今ではほとんどアシスタントに任せて、自分は取材と称して遊び人のような生活をしている。
この生活を手放すのが怖かった。
いつしか、漫画は金を生むための手段になっていた。
先日、漫画家の集まるパーティーがあったのだが、ヘンコ山が発掘した作家たちは彼に挨拶すら来なかった。
デビューに導いてやった恩も忘れて一流を気取ってやがる。
腹が立ったが、既に彼らのほうが人気も売り上げもヘンコ山を上回っている。
このままでは自分は過去の人になってしまう。
パーティーの主役は自分ではなく、自分が引き上げた後輩たちだった。
彼らに群がる編集者たちを見て、自分は過去の存在になっていることを実感した。
嫌だ。まだ俺は漫画を描いていたい。このまま終わりたくない。
だから、選んだのだ。
売れそうにない漫画家を。箸にも棒にもかからないような作品を。
「だって、これ以上ライバルが増えちゃ、かなわんだろう」
誰にも言うんじゃねえぞ、そう言ってヘンコ山はニヤリと笑った。
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