悪童

Aiinegruth

Sinkー1

 宇宙に誕生があったのなら、死は生より自然であると思う。

 自然にのみ、ほかの自然を内包することが許される。

 彼女はよく死ぬ。


 いつも沈んでいく感覚がある。陽の座す、夕暮れ。亜南極、旧ケルゲレン海台の中央に、雲天を割る輝きが堕ちた。光は巨木の折り重なった網目からなる水平に波及すると、窪んだ中央孔を通って地下に入り込む。炸裂は、その三秒後だ。腹に響く天地の怒号。格子状の樹間このまから立ち上る噴煙も、鼓動のように突き上げる揺れも、甦翠殿そすいでん――上底面じょうていめん半径四キロメートル、下底面かていめん半径二キロメートルの逆円錐台ぎゃくえんすいだいをして、干上がった海に鎮座する木の構造体――で二年を過ごした私には慣れたものだった。胸元の首飾りが音を鳴らす。髪がなびき、握った手すりがじりじりとした痛みを与える。『2+3ⅰ甲層』駅舎の屋上で強風に目を細めた私は、眼下の緑の波が収まるのを待ってから、地下へ向かった。

 椅子に座ってレバーを引く。キィイイインという足元の動作音と共に、点灯。重い衝撃が身体を打てば、青い照明の照らす両壁面が爆発的な勢いで後方に過ぎ去り、続く長い空洞を私入りの鉄箱てつばこが駆ける。幅一メートルの直方体の窮屈さにも慣れたものだ。斜めに、垂直に、水平に、まさしく自由に甦翠殿そすいでんを駆ける幹は、内蔵された電子プログラムによって組み替えられて、小型列車のいい軌道きどうになる。

 降り立った丙層へいそう円錐台えんすいだい下底面かていめんは、地下一二〇〇メートルに敷かれた蔓の床だった。きわめて綿密に縫い上げられた弾力のある緑色に着地すれば、南方がけ落ちた制御ドームが私を出迎える。二〇テラジュールの砲撃の影響は相変わらずひどいものだった。広い施設にカツンと木霊するのは、一人分の足音だけ。私は円蓋えんがいの断面が植物のたくましい活動によって修復されていくのを見ながら、うずたかく積もった灰の上の銃把じゅうはを手に取った。

 持ち上げる。金属面に張り付いた粒子がきらめきを返し、無数の管理画面を映したドーム天井に吸い込まれていく。首飾りのなかから取り出した別の粉末と一緒に、今度は灰を頭上に放る。また、同じように消えていく。手で掬い、足で蹴り、投げる、消える。投げる、消える。円蓋えんがいの中央で、荒れた息と散る汗。竜巻にも似た灰の輝きのなかで、私は一人思い返す。

 地球文明は、一度ほとんど滅んだという。物質的にも非物質的にも、人類が蝟集いしゅうして享受していた全ては、宇宙からのあんまりな光線によっておしゃかになってしまったらしい。世界はいま、わずかに生き残った祖先たちが生み出した星系樹せいけいじゅ――量子コンピュータであり、植物と融合し、地表面を覆っている――によって復興が試みられているところで、ここもその一つだ。

 完全に干上がったケルゲレン海台に、かつての青を取り戻す。そんな使命を帯びた星樹人せいじゅじん――星系樹せいけいじゅから生み出された新たな人類アンドロイドであり、「地球の維持」を共通の目的として活動している――の遺灰を、私はいま自然に返している。身体を躍動させ、跳び、回り、靴音を鳴らし続ける。彼女の声が聞こえるまで。

「おつかれさま、ルビスコ。また撒いていたんですか?」

莢海さやうみさま。お早いですね」

 首に手を回されて、後ろから抱きしめられた。匂いと感触でわかる。形を取り戻したばかりの、一糸まとわぬ姿の女性だ。星系樹せいけいじゅには噛蟲イーターという天敵がいる。その天敵をD‐BlockWeaponという超常兵器で撃破した星樹人せいじゅじんは、エネルギーを使い果たして一度死に、自我のバックアップをダウンロードして蘇生する。半分不死の新人類――レトロニムの関係で、彼らに先行する私たちは旧人類ということになる――が、この甦翠殿そすいでんの主の素性だった。

 青いウェーブがかった髪に、整った顔立ち。身長一七〇センチほどでグラマラスな肢体まで備えた彼女は、私の褐色の肌に白い腕を添わせて、鉄の銃把じゅうはを取り返した。これは置いておきなさい、危ないでしょ。と告げ、おそろいのイエローのTシャツを着込むと、私の手を取って列車に導く。

 中間地点、『1-1ⅰ乙層』駅舎で停車する。海台中央方向を見やり、息をのんだ。見下ろせば、もうほとんど修復の終わりかけているドームは巨大な種子であり、そこから海が樹立している。上部漸深海帯じょうぶぜんしんかいたい二〇〇メートルから一〇〇〇メートルを貫く銀の幹――星系樹せいけいじゅの子機で、末端枝まったんしという――から枝葉のように分岐するいくつもの紡錘形。三階建ての建築物を凌駕りょうがする容積を誇るその透明な殻には、遺伝子操作によって復活した無数の海洋生物たちが詰められている。末端枝まったんし疑似維管束ぎじいかんそくによって地上の空気と栄養素を補充されながら、息を吹き返して内を泳ぐ命のひとつひとつが、独自の生態系として色付いて蘇っていく。まるで海の莢だ。

「あとほんの少し数が揃えば、注水し、丙層へいそうを押し上げて、この子たちを放ちます。それで、ここは元通り」

 莢海さやうみが笑顔を向けて言うなか、静かに昔のことを思い出していた。中身が空っぽになった胸元の首飾りが、風に揺れる。私は、明日ここを――。


 

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