第33話 ビッグ・ロブの殺し屋

「ボスの年齢でカジノのオーナーなんて若すぎると思いませんでした? 実際私よりもかなり年下ですしね。それには理由があるんです。ここの前のオーナーはビッグ・ロブと呼ばれる老人でした。まあ、ビッグ・ロブもなかなかの人物だったんですけど、ボスはそのロブに見いだされて出世したんです。しかしある日、ロブが行方をくらましました」


「失踪、ですか?」


「ロブは、自分は姿を消すからボスを新オーナーに迎えるようにと手紙を残したままいなくなりました。彼の失踪には不審な点が多く様々な噂が流れましたが、まことしやかに流れたのは、ボスがロブに手紙を書かせた後殺害してのし上がったという話です。もちろん誰も真実を確かめたわけではありません。私のような側近でさえ調べようがない。しかし、それはいつしか伝説になり、ボスを語る時にはその二つ名がついて回るようになったのです」


「そんな……っ! ヒースが人を殺めるはずがありません! 第一そんなことができる人じゃない!」


ヒューゴは表情を曇らせたまま、煙草に火をつけて吸い始めた。


「この際真実なんかどうでもいいんです。『ヒース・クロックフォードは人を殺すのも厭わない残忍な男だ』というイメージの方が重要になる。そのイメージにビビッて言いなりになってくれればいいんですよ。ここではそういうのが物を言う。だから遥か年下のオーナーにいい年した男どもが従っているんだ。あのビッグ・ロブを葬った男だからだとね。あなたは今、そんな狂った世界に足を踏み入れているんです。ボスはあなたには優しい顔しか見せないだろうが、実態は決して生易しくはない。男爵令嬢という肩書を持つあなたが『人殺しの愛人』というレッテルを貼られることになるんです」


だからヒースは自分に極力触れないようにしていたのか。でもそんな不文律は既にバイオレットが破ってしまった。自分にどんなレッテルが貼られようがどうでもいい。ヒースと一緒にいられるなら他のことは気にしない。ただ、彼が本当に殺人をしたのかどうか、それだけが気がかりだった。


「待たせちゃってごめん。ちょっとトラブルがあって、ってジョーダンさんがなぜここに?」


ちょうどその時アネッサがドアを開けて入って来た。ウィルも一緒だったが、あり得ない組み合わせを見て二人とも仰天した。


「ちょっと、ジョーダンさん! どうしてバイオレットさんと一緒にいるんですか! ボスが知ったら怒りますよ」


ウィルは鋭い視線をヒューゴに投げかけたが、ヒューゴの方はゆっくりと煙草の火を消して何食わぬ顔のまま立ち上がった。


「いやなに、お嬢さんにちょっと聞きたいことがあっただけだ。もう失礼するよ」


しかし、バイオレットの真っ青になった顔を見ればただならぬ事態が起きたことは誰でも分かる。ウィルは目上の立場であるはずのヒューゴを睨みつけた。


「勝手なことをして……いくらあなたでも看過できません。ボスに報告させていただきます」


しかし、報告する必要はなかった。偶然にもヒースがその場を通りかかったからだ。


「なんだ、この騒ぎは……ヒューゴ、なぜお前がここにいる。バイオレットに会う許可を出した覚えはない」


ヒースはバイオレットに見せたことがない氷のように冷たい表情で言い放った。そして、すっかり怯えきったバイオレットを見て、異常事態が起きたことを悟ったようだ。


「おい、お前バイオレットに何を吹き込んだ? 不満があるなら直接俺に言えと言ったろう!?」


「違うの。彼はあなたを心配しているだけよ。私のことなら大丈夫」


バイオレットは二人の中に割って入って仲裁しようとした。ヒースはそんな彼女を自分の方に抱き寄せて両手で抱え込んだ。


「バイオレット、なぜそんなに怯えているんだ? ヒューゴの野郎に何を言われた?」


「なに、『ビッグ・ロブの殺し屋』の話をしてやっただけですよ——」


ヒューゴが言い終わるか終わらないうちに、ヒースは彼の胸ぐらをつかんで思い切り頬を殴った。


「ヒース、やめて!」


バイオレットは慌てて止めようとしたが、ヒースの怒りは尋常ではなかった。殴られた衝撃で床に倒れこんだヒューゴに馬乗りになって再び胸ぐらをつかんで振り回した。


「てめえ何様のつもりだ? 余計なことに首を突っ込むな! 思い上がってんじゃねえよ!」


「お願いやめて! 私は大丈夫だから彼を責めないで! あなたのことを思ってしたことなのよ!」


バイオレットは泣きながらヒースにすがって説得した。バイオレットに向ける優しい顔は彼の単なる一面に過ぎなかったことをようやく理解した。今の彼は、目から光が失われ虚ろな表情で今にもヒューゴを絞め殺しそうな勢いだ。それだけは何としてでも避けなければならなかった。


「元はと言えば私のせいなの! 私がここに来たから! みんなを混乱させるって分かっていたのに! あなたにはあなたの人生があるって分かってたのに!」


バイオレットはぐちゃぐちゃに泣きながら必死でヒースを止めた。ヒースはやっとヒューゴを放し、バイオレットの元に行って彼女をきつく抱きしめた。そして泣きじゃくる彼女の背中を何度もさすって鎮めようとした。


「悪いのは僕だ。バイオレットから目を離したから。ずっとそばに置いておかなければいけなかった。怖い思いをさせてごめん」


ヒューゴは、秘書に身体を起こされて部屋から出て行った。ウィルとアネッサはその場に残ったが、ヒースに出て行くようにと言われ二人とも去った。応接室にはヒースとバイオレットだけになった。


ヒースはバイオレットが泣き止むまでずっと抱きしめていた。バイオレットはようやく泣くのをやめたが、先ほどの豹変したヒースが怖くてずっと震えていた。だから例の二つ名も説得力が出るのだろう。


「心配かけてごめんなさい。私はもう大丈夫だから。お願いだからヒューゴさんと喧嘩しないで、お願い」


「ヒューゴは君に何を言ったの?」


今ならヒースも落ち着いて話を聞いてくれるだろうか。バイオレットは思い切って口を開いた。


「あなたが全てを捨てて私のもとに走ってしまうんじゃないかと心配したの。あなたはここになくてはならない存在だから、皆が路頭に迷ってしまうと言ったわ。彼が心配するのも無理ないと思う」


それを聞いたヒースは言葉が出てこなかった。彼が心の奥底で望んでいるものを見透かされていたのだ。もちろんそんなのは夢物語だと自分でも分かっている。しかし、他人に筒抜けだったとは、ここ数日自分が余りにも隙だらけだったことに気付かされた。


「正直私も心配してたの。私はホテルを捨てられない。あなたはカジノを捨てられない。このまま平行線なんじゃないかって」


「バイオレット、僕は——」


ヒースは何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。そのまま固まっているヒースを見て、バイオレットは一番気になっていることをここで尋ねてみることにした。


「ねえ、ヒース? あなた人を殺したことはあるの?」


それを聞いたヒースは絶句した。「ビッグ・ロブの殺し屋」のことだ。バイオレットは、ヒースは人殺しなんかできる人間ではないと信じていたが、本人から直接確認したかった。


「私はもちろんあなたを信じている。だからあなたの口から説明してほしいの。どうしてそんな話になったの?」


ヒースはすぐに否定してくれる。そう確信していたバイオレットだったが、ヒースの様子がおかしくなった。彼は追及を逃れるかのように顔を背けた。


「ねえ、どうしたの? まさか——」


「それは、言えない」


ヒースは固い声で答えた。


「言えないってどういうこと?」


「否定も肯定もできないってことだよ。この忌まわしい二つ名は、呪いであると同時に僕を守ってくれてもいるんだ。僕自身の権威付けと周りを恐怖で支配するという意味で。自分を引き立ててくれた恩人を殺害して頂点にのし上がった血も涙もない冷酷な男。敵はそんな僕を恐れるし、味方は服従する。この魔法はビッグ・ロブが姿を現さなければ解けないし、それは一生起きない」


「じゃあ……あなた……」


バイオレットはその先が続けられなかった。余りにも恐ろしくて唇が震えた。


「ごめん、バイオレット。こうなると分かっていたのに君を好きになってしまった。責任を取れる男じゃないのに取り返しのつかないことをした。許してくれなんて言えない。どう罪滅ぼしすればいいのかも分からない。幸せになりたいなんて望んじゃいけなかったんだ。君を幸せにできないのに自分が幸せになる資格なんてなかった——」


ヒースはがっくりと両膝を床につき、うなだれるばかりだった。バイオレットはよろよろと引き下がった。ヒューゴから聞かされた時よりも遥かに大きい恐怖に突き動かされながらヒースから遠ざかった。そして何も言わず彼の元を去って行った。


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