第16話 見られたくなかった

ウィルが戻って来てから数週間が経過した。表向きはいつもと変りない日常だ。あれからヒースもバイオレットのことについて話題を出すことはない。淡々と仕事をこなす毎日だった。


カジノには様な客がやって来る。ちょっとしたスリルを味わいたくて繁華街の夜を満喫する観光客、美女を従えて散財を楽しむ富裕層、そして射幸心に煽られて全てを失う者もわずかではあるが、確実に存在していた。


ヒースは、滞納した借入金の取り立てをする業務に当たっていた。全ての決定権は彼にあるが、表舞台に出て接待したりパーティーに出るといった業務は全て部下に回している。いわく、「こんなツラを見せたら縁起が悪くなるだけだろう」とのことだったが、確かに華やかな雰囲気には似合わない面をしていた。


それより、この顔は相手を脅したり圧をかける方が向いている。貸した金が返還されなければ、家の財産を没収するだけだった。こうして美術品の鑑定眼も自然と身についていった。富める者も、貧しい者も、賭け狂いになっている時は皆同じ目をしている。ギャンブル依存になっていた昔の義父と同じ目だ。ヒースはあの目を心の底から憎んでいた。


母と自分はあの目で見られながらサンドバッグのように殴られた。だから、相手には一片の同情も湧かない。借りる時は卑屈なくらいへりくだるくせに、返す段階になると急にキレ出すのも面白いくらい共通していた。だから、愚かな彼らに散々いい思いをさせてやってから後で倍にして奪ってやるのだ。復讐も兼ねたこの仕事は自分に合っていると思った。


この日は、債務者の家族と面談をすることになっていた。さしずめ、期限延長を申し出るのだろう。この手の輩はジャムにするほど相手にしてきた。泣き落としにかかるのも共通している。彼にとってはマニュアルをこなすだけの仕事のような気がして、始まる前から気だるい思いだった。


少しして、秘書のウィルに連れられて相手がやって来た。一人は債務者の妻のはずだが、もう一人別の人物を連れてきている。債務者の妻が「友人も同席してもいいでしょうか?」と言うので、ヒースは窓に身体を向けたまま相手の顔も見ずに「どうぞ」とだけ言った。そして自分もソファに座り相対したところで驚きの余り息をのんだ。なぜ? なぜこんな場所で?


友人と名乗る人物は自己紹介をして、自分の名刺を出した。いや、名刺なんかなくても分かる。会うのは15年ぶりだが、見間違えようがなかった。上の空で受け取った名刺には「ヘレナ・ヘイワード」と書かれていた。


**********


正直何を話したか覚えていない。結論として期限延長を認める方向で話が付いたと思う。バイオレットの母親と思わぬ場所で再会したことで判断を誤ったとは思いたくなかった。仕事は仕事だ。しかし、ヘレナの方も、理路整然とした主張で期限延長の正当性を訴えてきた。元より、多く回収するのが目的だから必要以上に債務者を追い詰める必要はない。相手が誰だろうと同じ結論を出した。ヒースは必死で自分にそう言い聞かせた。


話が終わり、ヘレナは「ちょっと話が残っているからあなたは先に行って」と相手を帰らせて自分は残った。これだけで、向こうもヒースに気付いたことは明白だった。


「久しぶりね、ヒース。まさかこんなところで会うとは思わなかったわ」


ヘレナは昔と変わらない快活な口調で言った。鮮やかな赤のスーツに細身の身体を包み足を組んだ姿は年月の経過を感じさせないほど若々しい。田舎のヘイワード家にいた頃よりも、今の方が生き生きしているように思えた。


「さっきのは女学校時代の友人で、ミデオンに来てから交流が復活したの。旦那がカジノで借金を作ったというから泣きつかれたんだけど、ほら、私借金については経験豊富でしょ。さっきみたいな交渉ごとは得意なのよ」


ヘレナはざっくばらんに打ち明けた。裏表なくこざっぱりした性格なのも昔と同じだ。娘のバイオレットはどちらかと言うとおっとりした性格なのに、実に対照的な母子だった。バイオレットは父親似なのだろう。


「先ほどは仕事とはいえ失礼しました、奥様……」


ヒースは恐る恐る口を開いた。最後の審判でさえもここまで心が震えることはないだろうと思われた。


「やだ、奥様なんてよしてよ。あなたは立派な支配人なんだから。あのヒースがこんなに立派に成長してるなんて嬉しくなったわ。本当よ、顔を上げて」


しかし、ヒースは肩を落としてうなだれるばかりだった。汗がじんわり浮かんで脈拍も早い。


「ねえ、お願いよ。本当に立派になったわ。賢い子だと思った私の目に狂いはなかったわね。ジャンナは元気?」


「……母は5年前に亡くなりました」


ヒースがうつむいたまま答えると、ヘレナも声を落とした。


「そう……それはお気の毒に。あなたも苦労したのね。よく頑張ってきたわ」


それは混じりけのない労わりの言葉だった。ヒースはああ何も変わってない……と膝に置いた拳を握りしめた。


「ありがとうございます……」


消え入りそうな声でそれだけ言うのがやっとだった。駄目だ。昔の自分にすっかり戻ってしまった。何よりこんな仕事をしているのを見られたくなかった。バイオレット本人にはもちろんのこと、バイオレットに繋がる人物にも隠しておきたかった。


「お願いだから顔を上げてよ……そうだ、バイオレットには最近会った?」


バイオレットの名前が出て、ヒースは弾かれたように顔を上げた。


「は……はい……夏に大きな嵐が起きた時に会いに行きました……いえっ! たまたまその辺を通りかかって……」


「そうなの。私は何年も会ってないから最近どうしてるか知らなくて。ホテルにする時に大喧嘩してそれ以来疎遠なのよ。でも私は働くのはどうしても性に合わなくて。分かるでしょう?」


うろたえながら話すヒースにはお構いなしに、ヘレナは屈託なく笑った。彼女の実家は古くからの貴族の家だったはずだ。確かに気位の高い者に使用人のような仕事はできないのが普通だった。しかし、それはバイオレットも同じはずだ。よほど並々ならぬ決意があったのだろう。ヒースは、水仕事で荒れた彼女の手を思い出した。あれは貴族の手ではなかった。


「でもね、離婚はしてないから一応男爵夫人ではあるのよ。名ばかりのね。今は実家からの財産でミデオンにアパートを借りて暮らしているの。夫とは時々会うんだけど、バイオレットは未だに来てくれないわ。ああ見えて頑固なのよ」


ヒースにとっては、ヘレナもバイオレットも大切な人である。母子の間にそんな確執があったなんて思いも寄らなかった。


「バイオレットは……元気です。明るくて朗らかなところも変わってません……」


「そうなの、よかったわ。夫の話だとなかなか苦労もしているみたいだから心配してたの。そろそろ仲直りしたほうがいいのかしらね。私の方から会いに行ってみようかしら。そうだ、ヒース、一緒に行かない?」


「えっ!? 一緒にですか?」


これにはヒースも驚いてしまった。バイオレットに会いたい気持ちはあるが、まさかヘレナと一緒に行くことになろうとは。しかし、ヘレナの提案を聞いて「またバイオレットに会える」と嬉しくなってしまった自分にもっと驚いた。


「だって私一人じゃ少し怖くて。こう見えて弱気なのよ。でもあなたとならば心強いわ。あなたもバイオレットに会いたいでしょう?忙しいだろうけど時間を作れないかしら?」


ヘレナの押しの強さにヒースは困惑したが、元より恩のある人物の頼みを聞いて断れるはずがなかった。しどろもどろになりながらイエスと答えると、ヘレナは声を弾ませた。


「ありがとう!バイオレットもあなたが来たら喜ぶわ。子供の頃からあなたのことが大好きだったもの。それじゃ、都合のつく日を教えてね。今日は本当にいい日だわ」


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