そしていまの日々へ
ほとんどシャッターの閉まった寂れた商店街をふたり並んで歩きながら、僕は言った。
「もう帰った、と思ってました」
「ひどい。私は、約束は守るタイプなんだよ」
僕にとって、この怪談会は相瀬さんではじまって、相瀬さんで終わる催しだった。この短い数時間はあまりにも長く感じられて、もうコーヒーショップで相瀬さんを口説いていた時間が、数日前の出来事のように思えてくる。
「しかし、最後の神原の話を聞いていた時は、本当にもう自分は死ぬんじゃないか、って思ってましたよ。というか、半分くらい死を覚悟してましたからね」
非難の意味を込めて僕が言うと、「まぁあれはそう思うよね。ごめんごめん」と軽い口調が返ってきた。
「相瀬さんのあのメッセージも、打ち合わせから決まってたんですか?」
「あぁ、あれね。あのメッセージは私の、ただのアドリブだよ」
「みんなが殺人鬼ではない、って言うのを、暗に伝えてくれてたんですよね」
「どうかな。まったく逆かもしれないよ」
思いがけない言葉が返ってきて、僕は混乱した。
夏の夜気が、相瀬さんの髪を揺らした。
「どういうことですか?」
「本当に嘘かどうかなんて分からないよ。それも含めて、『みんなを信じ過ぎちゃだめ』って送ってみたの。まぁ冗談混じりに、っていうのもあるけど、ね」
「何かまだ隠していることでもあるんですか、みんなに?」
「さぁ、それも私には分からない。ただひとつ言えるのは、私が、神原くんから言われたのは、『嘘であってもいいから、ひとを殺した話をしてくれ』だけ。つまりは嘘じゃなくてもいい。だからもしかしたら誰かが、あるいは全員が、殺人鬼っていう可能性も残ってる。たとえば新倉さんは、恋愛関係の歪みの果てに男性を殺したのかもしれない。小野寺さんは、嫌いな先輩を殺したのかもしれない。もちろんそんな話がごろごろ転がっているとは思えないから、嘘の可能性が高いんだろうけど。すくなくともみんな嘘を織り交ぜつつも、本当のことをベースにして語っているんじゃないかな」
「相瀬さんも、ですか?」
「そうね。でも私はここで事実として、ひとを殺した、なんて言わないよ。嘘でもそんな噂が流れたら、私の評判的にもちょっと困ることになるから。最後に嘘だと明かす、という話だから、嘘に乗っかっただけ。でも私が他のひとの心が読める人間だったり、本当に母が殺されている、とかは真実」
「そうだったんですか」
と相槌を打ちながら、先ほど考えた相瀬さんの母親存命説を頭から消す。
「うん。だから実際のところ、本当に人殺しがあの中にいても、私は驚かない」
その言葉に、どきり、とする。
「やけに自信ありげ、ですね」
「そう見える?」
「えぇ、まるで何かを見てしまったような」
「ひとりだけ。もしかしたら真実……いや、あの話とは別件かもしれないけど、気になることがあって」
「気になること、ですか?」
「きょうみんなで鈴木さんの家にいたけど、なんとなく気になって部屋の中、色々見て回ったの。ただの勘だけど、ちょっとした違和感があって。もちろん鈴木さんがいる時にはできないから。彼がいない時。その時にはちょうど、神原くんと夢宮くんしかまだ来ていなかったし、彼らはたぶん私の行動を咎めたり、言い触らしたりはしないかな、ってのもあって。で、クローゼットを開けたの」
クローゼットという言葉に、嫌な予感がした。
「私の気のせいかもしれないし、誰にも言わなかったんだけど、血の痕らしきものが見えてね。まるでここに死体がありましたよ、って感じの。すこし大きめの血の痕」
「血の痕……」
その話を聞いて、鈴木くんが僕たちを部屋に出した時、すぐに鍵を閉めた行動を思い出す。もしかしたらばれるのを嫌がって……いや、そんなわけがない。もし本当に彼が死体を隠していたなら、催しの場に自分の部屋を貸すわけがない。僕はその考えを、相瀬さんに伝える。
「そうね。その通り、常識的に考えれば。さっきも言ったけど、私、この集まりに来てから、違和感というか、嫌な予感みたいなものをずっと抱いてたから、たぶんそれに引きずられて、鈴木さんと誰かの死を繋げて考えようとしたんだ、と思う」
「彼がなんらかの罪を犯していないと、納得できないですか」
「ううん。別に。たぶん彼は何も罪を犯していない」
驚くほど簡単に、彼女は自分の考えを引っ込めた。
「彼らとはまだ会う予定、あるんですか?」
「いえ、私は今回のためだけに呼ばれた人間だから。たぶん彼らと、会うことはもうないかな」
「じゃあ忘れましょう。仮にあの中の誰かが殺人鬼だったとして、相瀬さんに何の関係がありますか。正義感で警察に訴えても、恥をかくだけですよ」
「……それも、そうか。えぇ、忘れることにする。それにもう駅に着いたし」
僕はここから電車に乗り、また地元を離れ、いまへと戻っていく。懐かしさはあったが、楽しい気分はあまりない。次に戻る時はいつになるだろう。その時、僕は笑顔でいられるだろうか。
リニューアルしたのか、駅の外装は様変わりして、とても綺麗になっている。
別れ際、僕は彼女に言った。
「だいぶ、話を変えていいですか」
「えぇ、どうしたの」
「昼間のコーヒーショップでの話。ほら、連絡は取り合えるようになったわけですけど、今後も会えるかどうかまでは分からないな、と思って。僕はいまフリーですし、良かったら、また定期的に会いたいな、と思って」
「いえ、やめとく」
「嫌ですか」
「あなたは嫌じゃないの? こんな、もしかしたら危険かもしれない女」
「結構お似合いのカップルになれる、と思いますけど」
「冗談でしょ? 私たちはここで別れて、もう会わないほうがいい。お互いのため、あなたのためでもある」
「そうですね。分かりました、引き下がります」
僕は笑みをつくって、そう答えた。
もともと断られる、と思っていた。別に驚きはない。
僕と彼女は別世界の住人だ。
「きょうの出会いに感謝を」
そう言って僕たちは握手をして、別れた。
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