復讐の終わり 中編

 高校時代、一番仲の良かった相手は誰か、と問われたら、俺は即答できる。

 お前だよ、佐藤。実際に使うのは恥ずかしいから言わないが、もし親友というカテゴライズに誰かを当てはめよ、と問われても、たぶん俺はお前しか入れられない。お前はどう思っているか知らないし、お前の親友カテゴライズには入らないかもしれないけど、な。だからいまのこの関係はすごい残念なんだ。これは嘘じゃない。本心からの言葉だ。


 よく話すようになったきっかけ覚えてるか?

 そうか。だったら、良かった。


 ついクラスでしゃべっている時に、言わなくてもいいことを言っちゃった件だ。よくあるんだ。できるだけ気を付けているんだけど、それ映画より原作のほうが面白い、って言ってしまって、いつも言葉に出してすぐに後悔するんだ。だけど時、すでに遅し、って感じで。あの時も、ホラー趣味のことで熱っぽくなって場を白けさせちゃった、って落ち込んでたんだよ。


「実は僕も、その原作、好きなんだ。映画はめちゃくちゃ駄作だ、と思うけど。そもそも男ふたりのコンビの片割れを女に、って、恋愛話に持っていく感性が合わない」


 確か佐藤、そう言ったよな。

 あれ、びっくりしたけど、すごい嬉しかったんだ。だって仮にそう思っても、普通は口にしてくれないだろ。周りから引かれてしまったひとの発言なんて。それからだ。お前とよく小説だったり、ホラーの話をするようになったの。


 佐藤、って言い方はもうやめようか。やっぱりこの時の話をするうえで、この名前を使うのは、違和感がある。

 スティーヴン・キングの話をしたり、『漂流教室』の話をしたり、角川ホラー文庫の新刊の話をしたり、そんなのよく話をしたよな。もっとくだらない、誰と誰が付き合ってて、みたいな話もしたし、そういうのを気兼ねなく話せたのは、高校時代、お前しかいなかった。あっ、いや、気兼ねなく、って言えば、朝里もそうだったか。


 実は高校受験の段階では、朝里と同じ高校を受けている、って知らなかったんだ。さっきも言ったけど、中学の時の俺たちは疎遠な関係だったから、家が近所、って言っても、そんな情報まで俺の耳には入ってこない。受験の時だって、違う教室だったし。


 気付いたのは入学式の時で、斜め前に見覚えのある後ろ姿を見つけて、すぐに朝里だって分かった。声を掛けようと思って、でも気恥ずかしくて、結局俺からは何も言えなかった。


 入学式を終えて、帰ろうとした時だ。

 朝里から声を掛けられたのは。

 もう幼い頃のふたりじゃない。ただ口にしないだけで、恋愛感情があることも自覚している。


「久し振り。すぐに分かったよ。神原くんがいる、って」

 そう言って、同じ帰り道を歩いたんだ。ぽたぽた、と長く降る小雨が続いていたのを覚えてる。空に掲げた傘をふたつ並べて、朝里は楽しそうに、「もしもこれが相合傘なら、青春なんだけどね」って言ってたな。そういう言い回しをするのが好きなんだ、朝里は。いやそれはもう、お前のほうが知っているか。


 毎日ではなかったけど、俺と朝里は乗る電車が同じだったから、ふたり一緒に帰ることは何度かあったんだ。俺は自分から楽しい話題を提供できるタイプじゃないし、沈黙が息苦しい、って別の奴から言われたこともあった。だけど朝里とは自然と長続きする会話ができた。なんでだろうな。お前とも、だ。相性もあるんだろうが、お前たちのほうに魅力があるんだろうな、って思う。やり取りを続けたくなるような魅力だ。


「神原くん、って小説好きなんでしょ」

「一応、かなり偏ってるけど」

「私はあまり読まないから勝手なイメージなんだけど、読んでたら、自分で書いてみたい、ってならないの」

「それはひとによる、と思うけど」

「ふーん。じゃあ神原くんは、どうなの」

「……実は書いてる」

「えっ、読ませてよ」

「それは、嫌だ」


 小説を書いてるのか?

 こう問われた時、俺はいつも迷う。顔の知っているひとに小説を書いていることを知られた時の、あのなんとも言えない気恥ずかしさ……いや一般論にするつもりはなくて、あくまで俺個人の勝手な感情だ。俺はやっぱり小説、ってのは、顔の見えない第三者にこそ読んで欲しかった。だからお前や朝里は特例なんだ。


 俺が小説を書きはじめたのは、中学生の時だ。きっかけなんて何も覚えていない。最初に書いたものもたいして覚えていない。どうせ読んだ小説がつまらなくて、こんなの俺でも書ける、と適当に書き殴ってみた落書きだ。読者は俺しかいない、ただの黒い文字の羅列だよ。


 高校に入ってからは、地元の小説コンクールなんかに投稿することもあった。……ってまぁお前も知っていることだけどな。


「実は小説仲間がいるんだ」

 この話を朝里にしたのは、お前と会って半年くらい経った頃だったかな。高二の夏くらいだった覚えがある。その間にも朝里と話す機会は何度もあったんだけど、俺はお前のことを話さないようにしてた。きっと俺は訪れる未来を無意識に予想していたんだろう。お前と朝里の出会いは、俺にとって好ましくない出来事だ、と。お前たちには共通点がある。感情で思い切った行動をするところと他人に惚れやすいところだ。確かに長所の面もあるが、短所でもあるからな。気を付けろよ。


 お前とのあの日々を、俺、心の中で、『第二文芸部』って呼んでたんだ。小説の話をして、小説を書いて、お互いに読み合って、感想を言い合う。文芸部でもないのに、文芸部、っぽいことしてるな、って。


 お前に、「小説を書かないか」って言った時のこと覚えてるか。


 俺、言っただろ。

「創作仲間が欲しい、って」

 あれはもちろん本心だ。だけどそれだけじゃない、ってことは認めなければいけないんだろうな。創作仲間は欲しかった。だけどたぶん欲しかったのは、自分がイニシアティブを取れる創作仲間だ。だからすでに創作をしている人間ではなくて、まったくの初心者が良かったんだ。下を見て安心する。くだらない心だ。


「書いてみるよ」

 と言ったお前はいつまでも作品を持って来なくて、俺は挑戦しようとして諦めたんだ、と思っていた。だって最初は一週間くらいで書いたような短編を持ってくる、と思うだろ。だけど三ヶ月経って、お前から手渡された紙の束は、短い長編くらいの分量だった。嘘だろ、って。


 せめて形になっていない、ひどい作品であってくれ、って考えたよ。

 だけどちゃんと形になっていて、俺は読みながら、泣いたんだよ。なぜだか涙が止まらなくて。ホラーだったし、別に感動があるような内容でもなかった。動かされた心があるとすれば、俺の醜い嫉妬心だ。


 あぁこういう奴が世間から評価されるんだろうな、って思ったよ。もちろんあの作品は書店に並んでいる本に比べたら出来の悪いものだったかもしれないが、ただの一高校生が書くものとしては破格の出来だった。


 だから、

「評価は保留かな」

 なんて偉そうに言って、外に出す言葉それ自体を保留にしたんだ。以降もお前は創作の沼にはまったのか、小説を書き続けてたよな。俺も一緒に書いてたけど、俺は入っていた沼からいまにも浮かび上がりそうな感じで、必死に無駄にしか思えない言葉を紡いでたよ。


「いま一緒に小説を書いてるんだよ。そいつと」

 朝里にお前のことを伝えたのは、確かお前のその最初の作品を読んだすぐあとだったはずだ。すごい才能の奴がいて、さ。なんでか、俺は彼女の前で、お前のことばかり褒めていた。本当にお前には才能を感じてたから、これも本心と言えば本心なんだが、でも心のどこかでは、「そんなことないよ、あなただって。書いてるだけですごいよ」なんて言われたいとか、お前を褒めることで、心の広い男と思われたいとか、そんな気持ちもあったはずだ。当時のその辺りの感情を、そこまで事細かに覚えているわけじゃないが、どうせ俺のことだ。そうに決まってる。


「へぇ、気になるな。……っていうか本当に、どんな小説書いてるのか、そろそろ私にも読ませてよ」

 それからだ。俺と朝里の会話に、お前の名前が混ざるようになったのは。朝里がお前に興味を持ちはじめていることにも気付いてた。ねぇ紹介してよ、って言われて、お前と朝里を会わせたんだ。断ることもできたが、それで俺のいないところで、お前たちが関わることになったら……、って不安になってさ。


「結構、格好いいんだね」

 って、お前と会った後、朝里、そう言ってたよ。ちょっと嬉しそうに。その顔を見て、不機嫌になってしまったのを覚えてる。恋人でもない俺に、そんな権利なんてないのに、な。


 俺が俺の文章を朝里に読んでもらったのは、たった一度きりだ。


『死季の恋人』

 覚えてるだろ。ゾンビの少女に恋をした青年を描いた短編小説だ。前半をお前が、後半を俺が書いた合作だよ。俺たち、よくふたり、共同で作品をつくることもあったよな。共同で執筆する時にだけ使うペンネームもつくって、懐かしいな。覚えてるか、ペンネーム。忘れてるわけないか。


 だってそうでもなけりゃ、


〈佐藤蓮〉


 なんてペンネームを付けるわけがない。忘れていて偶然、なんてあってたまるか。雑誌であの名前を見た時、下手な怪談を聞くより、背すじがひんやりとしたよ。俺たちが付けた名前を、お前だけがひとりで名乗っている。もちろんそれはお前の自由だし、別に許可を取れ、という話でもない。ただ見た時、びっくりして、もしかしたら、と思った。もしかしたらお前は、俺に気付いて欲しかったんじゃないか、ってな。


 まぁこの辺の話は、後回しだ。


『死季の恋人』の話だったよな。高校時代、自分ひとりで書いたものも含めて、一番のお気に入りの文章だった。前半のお前の文章を抜きにしても、俺の後半部だけでそれなりに高い価値を持っているんじゃないか、って。そんな自負も多少あったんだ。もちろん恥ずかしいから口には出さなかったけど、さ。


 これなら朝里に読んでもらっても、ってな。

 共同で書いたことは言わなかった。それは感想を貰ってから伝えようと思って。彼女の自然な感想が知りたかったんだ。


「面白かったよ」

「もしかしてあんまり面白くなかった?」

「えっ、なんで面白かったよ」

「いや、一言だけで終わったから。正直に言ってもらっても」

「いや本当に面白かったんだよ。あぁでも敢えて言うなら、前半はすごい面白いのに、後半は尻すぼみって感じだったね。それはちょっと残念だったかな。……なんて私は別に評論家でもなんでもないから、無視して」


 俺はお前と共同で書いたことは言わなかった。すでにちっぽけなプライドはずたずたで、言う度胸もなかったんだ。ただ心の中に悔しさだけがあった。


 いっそ評論家にそう言われたほうが、ましだったかもしれない。まぁ言われたこともないから分からないんだけど、さ。朝里の言葉だったからこそ、俺は深く傷付いたんだ。


 三人で話す機会も増えるようになって、俺と朝里の距離は遠く、お前と朝里の距離が近くなっていくのにも気付いていた。俺は焦りを感じていたけれど、焦ったからと言って、どうすれば良いかも分からなかった。子どもだったからな。いやいまでも、もし同じ状況になったら、どうすれば良いか分からなくなるのかもしれない。俺はあの頃から、何も成長していないから。


 実は俺、お前たちがデートをしてるところ見たことがあるんだ。

 まだお前たちは付き合う前で、お前たちにとってはデートのつもりもない行動だったのかもしれない。学校近くのファストフード店から出るお前たちを見掛けて、俺はとっさに隠れてしまった。会った時、何をしゃべっていいか分からなかったから。なんだデートかよ、なんて冷やかす余裕でもあれば話は違ったのかもしれないが。


 それからすこし経って、確か先にお前から聞かされたんだ。

「実は僕たち、付き合ってるんだ」

 って。


 落ち込んだよ。すぐ別れてくれないかな、なんて気持ちがなかった、と言えば嘘になる。別にお前たちが別れたところで、俺が付き合える保証なんて何もないのに、な。


 そして俺たちは卒業して、お前たちと俺は疎遠な関係になった。

 ただのひとつの失恋だ。俺だって別に長く引きずっていたわけじゃない。地元の大学に入ってからは、はじめての恋人もできたし、仲良く話せる友人だってできた。小説も変わらず書いていたし、それなりに大きな文学賞の一次選考を突破したこともあった。割と楽しい人生は送ってたんだ。


 大学を卒業するまでは。


 だけど就職してからは仕事の人間関係でつまづいちゃってな。心が病んだことが原因で、大学時代から付き合ってた彼女との関係も最悪になって、小説なんて書けるような状況でもないし、なんとか短編程度のものが書けたとしても、賞の結果は惨敗だ。箸にも棒にもかからない。


 疲れ切ってたんだ。

 だから雑誌で、〈佐藤蓮〉という名前を見た時、心臓が止まりそうなほどの驚きと、いつまでも静まらない強烈な怒りがあった。分かってる。ただの嫉妬だよ。


 お前がどんな人生を歩んでたのかなんて、俺は知らない。もしかしたら俺より、ずっと苦しい人生だったのかもしれない。でもそんなことは関係ないんだ。俺には、お前の人生が順風満帆に見えてしまった。大事なのは、俺の目にどう映るか、だった。


 もしお前のいない世界線を歩んでいたら、俺はどんなに幸せだっただろう。

 お前は俺から何もかも奪っていく。〈佐藤蓮〉っていう名前も、朝里も。かすかにすがったまだ見ぬ幸せな未来までもが目の前で消えていくような気がした。


 許せない。

 殺してやる、ってな。


 まったく。俺は本当に駄目な人間だ。

 なぁ朝里はいまも元気にしてるか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る