小野寺賢吾

ゴミ屑と老婆 前編

 さて、佐藤くん。いきなりなんだが、きみは部屋を綺麗にしてるほうかな?

 いや、ははは、すまない。そんな変な顔、しないでくれ。もちろん何の意味もなく聞いているわけじゃないさ。いまからする俺の話は、とある部屋を掃除に行った時の話なんだ。


 で、どうなんだ。そうかひとり暮らしの時はかなり汚かった、と。そうかまぁ男のひとり暮らしなんて、そんなもんか。


 さっきも言ったが、俺の出身は名古屋でな、そこにいた頃、仕事の関係でゴミ屋敷を掃除することがあったんだ。人間の掃除か、って? おいおい、茶化すなよ、新倉くん。こんな面だが、俺はそっちの人間との付き合いはないぜ。暗殺なんて職業にしている奴なんて、フィクションの世界だけだよ。いや、まぁそういう奴もいるのかもしれないが、裏の世界のことなんて、俺には分からないし、な。おいおい、本当だよ。もちろん本当の、ただのゴミ掃除だよ。


 あぁ俺の仕事か。

 ちなみに、さ。俺のいまの仕事はなんだと思う?


 新倉くんみたいに裏稼業なんて言うなよ。むかしから悪人面だの強面だの言われてきたが、これでも一応、ずっと堅気の人間なんだ。まぁ境界線上の仕事をしたことがいままで一度もないとは言わないが。ただ職業は転々としてたし、妻にも愛想を尽かされて出ていかれているから、ろくでもない人間ではあったな。いや、過去形にしたが、性格なんてそんなに変わるもんでもないから、いまも変わらず、くそみたいな人間だな。まぁでも仕方ない。生まれた時の運が悪かった、っていまでは諦めてるよ。


 トラックの運転手?


 いや違う。まぁ経験はあるけどな。長距離トラックの運転手、って移動中は接客業ほど気を遣わないから、意外と好きだったんだけど、な。でも給与面で上司と揉めてやめちゃったんだよな。荒っぽいひとで、どうしても我慢できなくて、さ。


 いまは、とある建築会社で経理の仕事をしてるんだ。

 意外だろ。

 三年くらい前からしてるんだけど、俺もお金の計算とか事務的な仕事をするなんて初めての経験だったな。元々は現場で働いていたんだけど、人手の関係ではじめて、なんやかんや、とそこでもう三年だよ。中学、高校生なら入学から卒業までの期間だ。


 ……と、この話をすると、みんなびっくりするから、つい話しちゃうんだ。反応が面白くて、な。

 あっ、本題とは関係ないな。悪い悪い。


 まぁ俺が、地に足が付いた人間じゃないことを補強する話にはなったかな。

 当時の俺の仕事、っていうのが、町の便利屋さん。佐藤くんは、便利屋って、どんなイメージがある。あぁそうだな俺がさっき言ったようなゴミ屋敷の清掃もそうだし、引っ越しの手伝いだったり、ボディガードみたいな仕事の経験もあるし、変わったところだと家族の代わりやイベントのサクラ、とかな。まぁ頼まれれば、お金を払ってくれるなら、重い犯罪以外、なんでもやるやつらだ。……さっきも言ったけど、俺は裏稼業の人間じゃないが、グレーな仕事の経験はあるんだ。


 古い付き合いの学生時代の先輩が所長になってはじまった会社なんだ。会社って言っても元々の知り合いが集まっただけで、みんな遊び感覚だったな。もちろん便利屋という仕事自体が全部そう、なんて言う気はない。まぁ俺たちの、会社とも言えないような会社が、そうだっただけだ。ちゃんとした会社じゃないから、頼み事をしてくる人間もちゃんとしていないやつらばかりだった。明らかに罪のにおいのする奴もいたし、死にそうな目に遭ったこともある。


 で、とあるボケた感じのばあさんがひとり暮らしている平屋がゴミ屋敷と化しているから、掃除して欲しい、って依頼を受けたんだ。


 依頼主?


 あぁ一応は近隣住民なんて言い方してたけど、あれはたぶん違うよ。だってただの近隣住民が金払ってゴミ屋敷を掃除してくれなんて言うわけないだろ。異臭で迷惑してるから、これをなくしてくれるなら多少お金を支払っても、だからどうにか、という理由は付けていたけど。多少のレベルの額じゃなかった。


 家族か親戚で、身内の恥を消したかったのかな。まぁ正直なところは分からない。ただ本人の説得もこっちでやってくれ、って言われて、先輩が説得に行ってたな。結構大変だったらしい。まぁそりゃそうだよな、頼んでもないのにいきなり押しかけてきて、掃除させてくれ、って。警察を呼ばれたって、おかしくない。


 先輩、大丈夫だろうか、って心配はしてたんだ。いや心配してたのは先輩のほうじゃなくて、そのばあさんのほうだ。


 この先輩、っていうのが、むかしから悪辣な性格で、強引に話を進めてしまうひとなんだ。何か大きなトラブルになるんじゃないか、ってずっと思っててさ。短気を起こして、暴力を振ろうものなら……。相手が老人なら、大怪我のリスクは高い。


 まぁ結果から言うと、そのばあさんはゴミ掃除を受け入れてくれた。

 俺は説得の場に同行しなかったから、実際にどういう話し合いがあったのかは分からない。ただ、


「あのばあちゃんの、長いこと会っていない息子に俺が似ているらしくて、な。意外とすんなりとOKしてくれたよ」

 とは言ってたな。


 だけど、そのばあさんから、な。大人数は嫌で、掃除に来てもいい人員は最大二名、という条件を付けられたらしい。

 で、行くことになったのは、先輩と、まぁ気付いてるだろうけど、俺だ。まったくなんで俺なんだろうな。


 信頼されていたんじゃないか、って?

 信頼かどうかは分からないが、まぁ付き合いが特に長い人間だったことは否定しないよ。中学高校と同じ学校だったし、一緒に行動することも多かった。最初は強くて憧れの先輩みたいな感じで、自分から付き従ってた。それは事実だ。見るからに不良グループのリーダーみたいな感じで、当時の俺には格好よく映ったんだ。まぁ最初は自らの意思でつるんでいたわけだから、こういう表現は言い訳にしかならないんだろうが、途中からは一緒に行動している、んじゃなくて、させられている、って感じだった。


 佐藤くんがどういう人間関係を構築してきたのかは知らないが、こういう不良的なコミュニティ、ってやつは一度入ってしまうと、本当、抜けられないんだ。だから軽い気持ちで入っちゃいけない。夢宮くんも絶対にそういう連中と関わったら駄目だぞ。


 憧れていたものは、ある時期から、粗暴に、独善的に、理不尽にしか感じられなくなっていく。

 あの時、俺が一番殺したい人間がいたとしたら、それはあのひとだ。

 先輩が俺のことをどう思っていたかなんて、先輩にしか分からない。だけど御しやすい後輩とでも思ってたんじゃないかな。


 あぁ話が逸れたな。本題だ。

 結局、俺たちはそのゴミ屋敷のある場所に、ふたりで向かうことになった。一応他にも候補はいたんだけど、その時にいたメンバーの中では、まだ細かい気配りもできるほうだったからな。


 軽トラックで名古屋市内の下町の細い道を徐行して、たどり着いた目的地はそこで合っているか確認しなくても、すぐに分かった。破れて中の物が飛び散るゴミ袋が、玄関の前にも大量に積まれていたからな。


 木造の平屋だった。

「先輩は中に入ったんですよね」


「あぁひどかったぜ」

 と先輩は、俺の嫌そうな顔を見て、笑ってたよ。


 初めてのゴミ屋敷の掃除だったわけじゃない。ゴミの量の話だけで、そんな顔をしたわけじゃない。いままでにも何度かゴミ屋敷の清掃はしたことがあった。もちろん大変な仕事だし、嫌は嫌なんだけど、な。


 どちらかと言うと、ただでさえ嫌いな先輩とふたり、っていう事情のほうが、憂鬱だった。とっとと終わらせよう。そんな気持ちだった。ふたりで終わらせる量かどうかは自信はなかったが、本人から自発的に清掃して欲しい、って依頼じゃなかったから、ある程度で切り上げても良いかな、って気持ちもあったな。先輩は仕事に真面目なタイプでもなく、反対するようなタイプでもないし、な。


 玄関に入った瞬間、足の踏み場もない惨状にうんざりしたよ。長靴だったとしても、どんな危ないものがあるかしれたもんじゃない。床に平気で包丁が落ちてたりとか、過去の体験から知ってたからな。


 とりあえず安全そうな部分を探しながら、リビングまで行くと、そこにその家主のばあさんがいた。


 細身の、栄養が足りてないんじゃないか、って思うような、ばあさんだった。あぁあれだ、ミイラって表現が合うかもしれないな。そのリビングの、ばあさんのいる周囲だけがすこし綺麗にされていて、その部分だけでなんとか生活してるんだろうな、って感じだったよ。


「おや、あんたたちは?」

「おいおい、もう忘れちまったのかよ、ばあさん。ゴミ掃除に来る、って言っただろ」


 そう笑って、先輩はばあさんの肩を叩いた。ひどく馴れ馴れしい態度だろ。誰に対してもそういう態度を取るんだ、あのひとは。たまにそれで依頼者と喧嘩になったりもするんだけど、ばあさんはあまり怒った様子もなかったな。もっと短気なばあさんを想像していたが、思った以上に心の広いひとだった。


「あぁそうだった、そうだった。あんたたちのために、お茶を買っておいたんだ」

 そう言うと、ペットボトルのお茶を冷蔵庫から持ってきた。


 まじかよ……、と思ったのが、本音だ。正直、こんな汚い場所で、生き物の死体でも隠れてるんじゃないか、ってひどい臭いがする中で、飲んだり食べたりする気にはなれなかったし、それにこのお茶、普通に飲める代物なのかよ、とも思ってな。これを飲むなら、ちょっとした毒を飲むほうがまだ生きていられるんじゃないか、なんて気持ちになった。俺は、ちょっといまは、って断ったんだけど、先輩はたいして気にもせず飲んでたな。


 ばあさんと先輩の仲は良好、って感じだった。

 その時は。

 それは嘘じゃない。


「はやく、はじめませんか?」

 俺がこっそり先輩に耳打ちすると、

「まぁ別にゴミは逃げていかないさ」

 って笑うんだ。俺も別に自分をまともな人間とは思わないが、変わり者ふたりに挟まれると、自分自身がどこまでも正しい人間に感じてくるから不思議だ。


「そこの男が、あんたのパートナーなんだね」

 と、ばあさんが先輩に聞いて、うなずく先輩の反応を見ると、そこからは俺の顔をじろじろ見てさ、

 言ったんだ。

 なんて言った、と思う?


「あんた、いつかひとを殺す顔をしてる、ね」


 普段なら愛想笑いを浮かべていた、と思う。だけどその時は、唖然としちまって何も答えられなかった。ただの冗談だ、って心の中で一蹴すればいい話なんだけど、な。


 だけど、どうしても……。

 自分の未来を言い当てられたような気がして、仕方なかったんだ。

 俺はいつかひとを殺す。


 佐藤くん、どう思う。俺は、そんな顔してるかな?

 悪い悪い。


 ちょっとだけ聞いてみたくなったんだ。

 話、続けてもいいかな?

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