第281話 可愛らしいクッキーパーティー。もこもこ木工職人の優しいこん棒。

 リオちゃんの言葉を聞いたクマちゃんはハッとした。


 どこかのパパちゃんは疲れているらしい。

 夜にお邪魔するよりも、少し早めのお時間がいいということだろう。


 お疲れということは、こん棒もあまり重くしないほうがいいのではないだろうか。


 重くない棒――と考えていたクマちゃんの頭に、映像が過ぎる。

 それは木製の、クマちゃんのお手々に似ている何かだった。


 うむ。なかなか素敵である。

 あれならお疲れなパパちゃんでも持てるはずだ。



 リオの言葉に動きを止めたクマちゃんを保護者達が見守っていると、愛らしいもこもこが「クマちゃ……!」と言った。


『クマちゃ、急ぐちゃ……!』と。


「いやぜんぜん急がなくていいから。あの子だけでも大変そうなのにクマの赤ちゃんが手作りのこん棒売りに来たらびっくりしちゃうでしょ」


 新米ママは人間界の常識を知らない我が子を止めようとした。

 おそらくあの『パパ』は仕事と子供と奥さんで胃がキリキリしている。


 最高に愛らしいもこもこには癒されるかもしれない。

 だがこん棒は買いたくないだろう。


 リオだってもこもこが『こん棒はちょっと……』と言われて泣くところなど見たくない。



 クマちゃんは彼の言葉にうむ、と頷いた。


 かすれた早口であまり聞き取れなかった。

 なんとなく分かったのは、『そんなに急がなくていい』『クマちゃんは赤ちゃんを驚かせてはいけない』ということだ。


 商品の説明をするときは姿を現さずに小声でやれ、と言いたいのだろう。


 クマちゃんは心配性な武器屋リオちゃんに『分かりました、ご依頼ありがとうございます』と伝え、慌てず急がずパーティーの準備を始めることにした。



「クマちゃ、クマちゃ……」

『リオちゃ、ありちゃん……』


「なんだろ。全然伝わってない気がする」


 リオはもこもこから伝えられた感謝の言葉に怪しい何かを感じた。

 本当に理解してくれたのだろうか。

 怪しい。怪しさしかない。


 彼にお礼を伝えたもこもこは「――クマちゃーん――」と歌声を響かせ、猫かきのような動きを始めた。


『クマちゃん急いでなーい』と。


 保護者達は「愛らしいね」「ああ」「そうか。急いでないのか。可愛いな」「……――」ともこもこを愛でているが、リオは素直に褒める気にはなれなかった。


 確かに可愛い。それは認める。

 だが怪しい。


「怪し過ぎる……」という彼の呟きは愛らしい「――クマちゃーん――」にかき消され、結局何も聞き出せなかった。



 もこもこ依頼掲示板はふよふよと、とカウンターの上から近くのテーブル席まで飛んで行った。

 必要の無いときは自分でどこかへ移動する仕組みらしい。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『クマちゃ、クッキーちゃん……』


 クマちゃんはパーティー用のクッキーを作るちゃん……、と言っているようだ。


「んじゃ一緒に作ろ」


 作るものがこん棒でなければなんでもいい。

 彼はもこもこのお菓子作りを手伝うことにした。


「クマちゃ……」と頷いたもこもこが『ご依頼ちゃん……』と言ったような気がするが、気のせいだろう。



 カウンターの裏側。天板の下にある引き出しのような場所を引っ張ると、調理台が出てきた。


「すげー。便利」


「クマちゃ」


 もこもことリオが仲良く作業を進め、カウンター席に座る仲間達が「楽しみだね」「ああ」と彼らを見守る。



「え、クッキー作んのに杖いらなくね?」


「クマちゃ……!」


「あ、いるんだ……」


 仲良しな彼らの急がないお菓子作りは問題なく進んだ。


「クマちゃ、クマちゃ……、クマちゃ、クマちゃ……」 


「えーと……、卵、クマちゃん……バター、粉、クマちゃん、砂糖、クマちゃん……、チョコ……クマちゃん……」


〈はじめてのりょうり〉を持ったもこもこが材料を読み上げ、もこもこを抱えたリオがひんやりした箱から食材を取り出しつつ、もこもこを撫でる。


「……――」


「クライヴ、見過ぎだ。お前もあとで撫でればいいだろ」



 リオに抱えられたもこもこパティシエは子猫のようなお手々を使い、平らなクッキー生地に判子を押す要領で「クマちゃ」と魔法で作ったクッキー型を押し付けた。


 ポコン。


 可愛らしい音が鳴り、甘い香りとバターの香りが漂う。


「え、なにこの焼き上がったクッキーみたいな匂い」


 リオがもこもこを引き寄せ生地を覗き込むと、そこにはクマちゃんの形に焼き上がったクッキーがあった。

 型が小さいのに、完成したクッキーは何故か普通の大きさだ。


 親指と人差し指で作った輪か、それよりもやや大きいくらいだろうか。


「出来てる。しかもめっちゃ可愛い」


「クマちゃんの魔道具は本当に高性能だね」


「すげぇな」



「クマちゃ、クマちゃ」キュ、キュ、キュ、キュ。


 もこもこが愛らしくお歌を歌い、湿ったお鼻を鳴らしながら、ポコン、ポコンと型を押し付けてゆく。


「可愛いー。すげー。あ、これ白いクマちゃんじゃん! これもチョコ? やべー」


 判子のように型を押し付けるだけで簡単に焼き上がってゆくクッキーには、白いチョコレートで覆われたものもあった。

 お目目とお鼻が焦げ茶色のチョコレートで描かれている。

 こちらは熱々ではないらしい。


「あ、こっちは肉球」


「なんだと――?」


「クライヴ、動揺しすぎだ」

 

 パティシエを抱え生地の上をゆっくりと移動させるリオは両手が塞がっていたが、空いていても完成したクッキーを皿に移す作業は必要なかった。


 焼き上がると横に置かれた皿の上へ、勝手にふよふよと移動していくからだ。

 彼が手伝うのはもこもこパティシエだけでいいらしい。


「クマちゃ、クマちゃ」キュ、キュ、キュ、キュ。   


 愛らしい歌声に合わせ可愛らしいクッキーがポコン、と作られていく様子を、保護者達は幸せそうに見守っていた。



 テーブル席の中央では、可愛らしいリボンとブローチで着飾ったもこもこが子猫のような声で「クマちゃ、クマちゃ……」と参加者達へご挨拶をしていた。


『リオちゃ、ご依頼ちゃん……』


 本日は、リオちゃんのご依頼をたくちゃん達成した冒険ちゃクマちゃんのためにパーティーを開いていただき、ありがとうございますちゃん。クマちゃんはいっぱい頑張るので、リオちゃんとまちゅたーからのご依頼が終わったら、またお祝いしてくだちゃい……、と。


 先輩冒険者達から新人もこもこ冒険ちゃへ、温かい言葉と拍手が贈られる。


「クマちゃんは冒険者になっても人気者だね。可愛らしい君のためなら何度でもパーティーを開くよ」


 毎日がパーティーのような派手な恰好の男は宣言した。

 たとえ仕事が穴だらけになっても、もこもこパーティーをしようと。


「ああ」


 魔王は当然のように頷いた。

 最愛のもこもこのお祝いごとに参加しないわけがない。


「お前ほど有能で愛らしい新人は見たことがない。世界一の冒険者はお前だ――」


 クライヴは隣のテーブル席で己の負けを認めた。


 死神曰く、もこもこは数時間で彼らを超えたらしい。


「いや俺頼んでな――」


「ん? 俺からの依頼と聞こえた気がしたが……気のせいか」



 もこもこは可愛らしいお手々で一生懸命拍手をしたあと、ヨチヨチとルークのところへ戻って行った。

 大好きな彼の左腕に座り「クマちゃ、クマちゃ……」とお菓子をオススメしている。


 彼らはお兄さんが用意してくれた紅茶に口を付け、もこもこが一生懸命作ったクッキーへ手を伸ばした。

 可愛らし過ぎて大事にとっておきたくなるが、彼らが食べなければもこもこが悲しんでしまうだろう。


 軽く歯を立てるだけでサクッと柔らかく崩れる。

 口の中にバターがたっぷり使われた、香ばしい焼き菓子の味が広がった。


「うま!! クマちゃんの作るもんマジで美味すぎてヤバいと思うんだけど。山盛りでも食えそう」


「風味が豊かなのにくどくない……。本当に美味しいお菓子だね。それに、こちらの白いチョコレートは初めて食べたけれど、病みつきになりそうな不思議な味がするよ」


「素晴らしい……」


 ルークはもこもこにちょうどいい大きさに砕いたクッキーを食べさせ、自身はそのまま口に入れた。


「うめぇな」


 低く色気のある声が、感想を伝える。

 パティシエは「クマちゃ」と、そっけなく聞こえそうな彼の言葉に喜んだ。


 本当に美味しいと思っていることが分かっているようだ。

 


「おい、お前ら魔力がとんでもないことになってるぞ……。食い過ぎるなよ……」


 もこもこパティシエの作るものは美味いだけではない。

 気付いたマスターが声を掛ける。


「めっちゃ美味い。美味すぎる。もう無くなったんだけど。あ、マスターそれ食わないならちょーだい」


「うーん。夢中になって食べてしまったね。世界一美味しいクッキーというものは、自分がどれだけ食べているのか分からなくなるものなのかもしれない。魔性のクッキーだね」


「かもな」


「俺の、……が……――」


 彼らの皿にはもう何も残っていなかった。

 お兄さんも最後の一枚をゆったりとした動きで食している。

 もこもこパティシエの美味し過ぎるクッキーは高位な存在をも魅了するらしい。


 マスターは同じテーブル席に着く高位で高貴な彼を見つめ「そうか……」と頷くと、自身のクッキーへ手を伸ばした。


 すでに手遅れだ。

 リオの魔力が増えるのも自分の魔力が増えるのも大差はない。


 渋い男は「えー」というクソガキの苦情を無視し、最後の一枚を食べきった。



 食べているあいだの記憶が曖昧になるほど美味いクッキーを食した彼らは、もこもこの愛らし過ぎる歌声を聴き、愛くるしい踊りに見とれ、幸せな時を過ごした。


 パーティーの最後を飾るのも、もこもこ冒険ちゃの愛らしい歌声だ。


「――クマちゃーん――」


『クマちゃん急いでなーい』と。


「いやさっきからなんなのそれ。気になるんだけど」



 彼らは最初に座っていたカウンター席へと戻り、艶のあるカウンターの上でもこもこがもこもこもこもこと動く様子を眺めていた。

 パーティーのあとはこん棒作りらしい。


 急いでいないらしいもこもこが、一生懸命肉球を動かしている。


 もこもこは「クマちゃ……! クマちゃ……!」と愛らしい掛け声をかけながら、よろず屋お兄さんから購入した木の枝を、肉球でこねこねしていた。


 木工職人がこねて作った作品が、職人の横で山のようになっている。

 やや平らな棒はこん棒というよりも小さなヘラのようだ。


「いやいやいや作りすぎでしょ。なんなのそれ」


 忙しい職人がリオの質問に答えることはない。

 時々「――クマちゃーん――」という歌声を響かせるだけだ。


『クマちゃん急いでなーい』と。


「そっかぁ……クマちゃん怪しいねぇ……」


「……近くにいても癒しの力が爆発しそうな感じはしないが……。おいルーク。お前はどう思う」


「変わんねぇだろ」


「それは、感じないだけで同じだということ? うーん。でも僕たちに分からないのであれば、水の街の彼らに渡しても問題はないかもしれないね」


「なるほど……、さすがは伝説の職人だ」


 

 もこもこ木工職人が意図して癒しの力を隠しているわけではなく、過保護なお兄さんが渡した枝のせいで隠蔽されているだけだったが、彼らはもこもこが危険な目に遭わないのであればどちらでもよかった。



 職人は最後に愛らしく「クマちゃ……」と魔法をかけ、山盛りの作品を完成させた。


 すらりとした細身の棒は、白いもの、黒いもの、灰色のもの、模様の入ったもの、着色されていないものなど、長さも色もバラバラだった。


 持ち手の部分にはリボンが付けられている。

 白い棒には赤、黒い棒には緑、など色とりどりだ。 

 

 気になり過ぎたリオは、それを一本手に取ってみた。

 ヘラのような棒は先が丸くなっており、まるで猫の手のようにピンク色の肉球が描かれていた。

 

「へー。めっちゃ可愛い。何に使うのかまったく分かんないけど」


 リオが持っている白い棒は、三十センチメートルほどの長さだった。

 持ち手の部分についているリボンは赤だ。

 クマちゃんのお手々だろうか。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『クマちゃ、リオちゃん……』


 では、クマちゃんが使ってみるのでリオちゃんはこちらへ来てくだちゃい……、と可愛らしい作品を作った職人が彼を呼ぶ。


「えぇ……」


 カウンター内に立っていたリオは警戒しながらもこもこへ近付いた。

 自分用の小さな棒をもったもこもこが「クマちゃ……」と彼の手をそっと引っかく。


 リオはダン! と力強くカウンターに手を突いた。


 もこもこはルークの結界で大きな音から護られたが、彼の動きに驚き「クマちゃ!」と声をあげた。


「リオ、乱暴なことをしてはいけないよ」


「危ねぇだろ」


 もこもこの保護者達が注意をするが、リオはそれどころではなかった。

 ルークの腕の中へ避難し、もこもこもこもこと震えているクマちゃんへ視線を向け、いつもよりもかすれた声で言った。


「やばい……めっちゃ力抜ける……。クマちゃん、それやばいからお片付けしよ……」


「力が抜ける……? 白いの、これはどういうこん棒なんだ?」


 マスターは顎髭をさわりつつ、難しい表情でもこもこへ尋ねた。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『クマちゃんの手ちゃ、かゆいところちゃん……』


 これはクマちゃんの手です。背中がかゆいときに使うとよいです……、と職人は説明してくれた。


「その棒ヤベーって。持ち出し禁止にしよ」


 復活したリオは断言した。


 余計なお世話ではた迷惑なこん棒『クマちゃんの手』にやられた人間は痒みがどうこうなどと言っている場合ではなくなる。早急に片付けるべきであると。


 完成したばかりの『クマちゃんの手』に早速迷惑を掛けられたリオは、心底嫌そうな顔でもこもこが持っている棒を見た。


 まさか、気絶中は痒みを感じないなどというとんでもクマ理論だろうか。

 昏倒する棒という意味ならば、たしかにこん棒である。

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