第263話 愛くるしいもこもこミステリー。奪われる心と時間。仕事へ行けない彼ら。

 謎の事件の犯人を追っているうちにお縄になってしまったクマちゃんは、現在大好きなルークにふわふわと優しく撫でてもらっている。

 うむ。とても幸せである。



 悲し気に鳴いていたクマちゃんは約十秒で『毎日幸せなクマちゃん』に戻ったらしい。

 もこもこはルークの大きな手に猫のようなお手々でしがみつき「クマちゃ、クマちゃ」と愛らしく甘えている。


 元気になったもこもこを「元気になるのがはやすぎる……」と少しだけ不審なもこもこを見るような目で眺めていたリオが、マスターに声をかける。


「クマちゃん今日めっちゃいい子だったし、犯人じゃないと思うんだけど」


『今日は』悪いことをしていないはずだ。

 ずっと一緒にいたのだから間違いない。

 何故か事件の全容を教えてもらえないが、ルークの言う通りもこもこで愛らしく曇りなきキラキラお目目の我が子は無関係だろう。


「そうだな。あの綿毛は犯人を捜す魔道具じゃなく、可愛いのを探すもんなんだろう」


「なるほど……白いのを探す魔道具か――」


「うーん。クマちゃんの力は『癒し』だからね。悪人を探す道具は持っていないのではない?」


「クマちゃんが犯人なわけないじゃん。何の事件か知らないけど」


「ああ」


 もこもこ愛の強い彼らはもこもこに不都合な捜査結果をなかったことにした。


 しかし仲間達の会話から『犯人』『可愛い』『白い』『クマちゃん』『癒し』『クマちゃん』『犯人』『ジャン』『ああ』を抜粋してしまったもこもこは、ルークに抱えられたまま「クマちゃ……」と下を向いた。


『クマちゃ箱ちゃ……』


 クマちゃんは大人しくクマちゃ箱へ入って反省文を書きまちゃん……、という意味のようだ。


「ん? 『クマちゃ箱』?」


「書くのか書かないのかはっきりして欲しいんだけど」


「とても気になる名前の箱だね。道端に落ちていたら絶対に開いてしまうと思うよ」


「ああ」


「『クマちゃ箱』だと――?」


 彼らは自分達をおびき寄せる罠のような名前の箱が少し気になった。


 動揺する彼らの会話から『クマちゃ箱』『欲しい』『気になる』『絶対に開いてしまう』『ああ』『クマちゃ箱』を抜粋してしまった心優しいクマちゃんが、うつむいたまま「クマちゃ、クマちゃ……」と箱が気になる彼らに説明をする。


『うまちゃ、茶葉ちゃん……』


 クマちゃ箱に入れられた可哀相なクマちゃんは美味いメシを食べながら茶葉を摘みに行く夢を見るちゃん……、という意味のようだ。


 皆が欲しがる『クマちゃ箱』

 中にいるもこもこには美味しい食事が提供されるらしい。



 ――『犯人』から『お縄』を連想してしまったもこもこの頭には『――箱』『――いメシ』『――ャバ』という穴埋め問題のような言葉が浮かんでいた。

 おそらく正解は『豚箱』『臭いメシ』『シャバ』である。



 もこもこした頭の中の難問を知らない彼らが話し合う。


「食事中にいきなり開けたら驚かせるか……。一旦持ち帰った方が良さそうだな」


「先に声かけりゃいいだろ」


「『可哀相なクマちゃん』美味いメシ食いながら寝てる気するんだけど」


「箱の中で生活を――」


 過保護な保護者達は道端で可愛いもこもこが入った箱を見つけてしまったときのことを想像し、ざわついていた。



 シャラ――。装飾品が涼やかな音を立てる。

 ウィルは口元に手を当て「もしかして……」と呟いた。


 クマちゃ箱。

 入れられる。

 美味いメシ。

 

「クマちゃんは牢屋のことを言っているのではない?」


 知り合いに牢屋に入れられた人間はいないが、話だけなら聞いたことがある。


「誰かが『牢屋の飯は不味い』と言っていたような気がするのだけれど、いい子なクマちゃんは牢屋に入ったことも美味しくないご飯を食べさせられたこともないはずだからね」


 悪い子でないクマちゃんは牢屋のことを『可愛い箱の中で美味しいものを食べる場所』だと思っているのだろう。

 彼は一瞬(牢屋を豚箱と呼んでいた人間がいたような――)と考えたが、すぐに(赤ちゃんなクマちゃんがそんなことを知っているはずがない)と打ち消した。


 ウィルがルークに抱えられているもこもこに視線をやると、「クマちゃ、クマちゃ……」と愛らしい声が返ってきた。


『クマちゃ、牢屋ちゃん……』


 クマちゃんは牢屋で育ったような気がします……、という意味のようだ。


 想像を絶する生い立ちである。

 存在がミステリーなもこもこは悲し気な瞳でもこもこのお口に両手の肉球を当てている。

 

「ほんとにぃ?」


 すべてを疑って生きる男のいやらしい声が響く。

 

 リオは確信していた。

 この甘えっこなもこもこは牢屋で孤独に育ったもこもこではない。


「あ~、そうだな。お前が噓をついてるとは思わんが……牢屋では育ってねぇんじゃねぇか?」


「うーん。牢屋みたいな部屋というわけでもないと思うのだけれど……」


「ねぇだろ」


「馬鹿な――」


 保護者達は『クマちゃん牢屋育ち説』を否定した。

 仮に癒しのもこもこを捕まえた人間がいたとして、実は過保護な〝お兄さん〟がそのままにしておくはずがない。


「牢屋みてぇな部屋か……」


 マスターがスッと、と高位で高貴なお兄さんへ視線を向ける。

 彼のような存在から何かを聞き出すのはよくないが〝お兄さん〟にも言いたいことがあるのではないか。


 このまま放っておけば『牢屋ちゃん』で育ったと思っているもこもこはリオとお兄さんを連れてどこかの牢屋へ行き、環境の悪さに驚き、檻と天井を外し、解き放たれた悪人と美味い飯を食い、一緒に反省文を書いて戻ってくるだろう。


 途中でリオがお縄になるかもしれない。 

 そしてもこもこが悲しみ、お兄さんは闇色の球体で金髪を脱獄させることになるのだ。


 高位な存在がそんなことに力を使っていいのか。

 否、そもそも彼は人間界のルールなど気にしていないかもしれない。


 しかし彼が気にしなくとも、意外と真面目なリオは『やったー! 外に出られたよ!』とは言わないはずだ。

 あそこは好き勝手に入ったり出たりを繰り返していい場所ではない。

 ――『冒険者ギルドの人間が城の人間をおちょくっている』と噂になるかもしれない。


「いや、そもそもアレなら」証拠は残らねぇか――。

 

 考えている途中で脱線事故を起こしたギルドマスター。


 彼が『ちょっと俺のこと馬鹿にしすぎでしょ!』とどこかの金髪が騒ぎそうなことを想像をしたり珍しく腹黒いことを考えたり(だが逃げた悪人は捕まえねぇとな……)真面目なマスターに戻ったりしていると、黙していたお兄さんがゆったりと瞬きをし、いつものように頭に響く不思議な声で彼らへ告げた。


「――クマは〝これ〟のことを言っているのだろう」


 闇色の球体がふわりと広がり、彼らの目の前に〝それ〟を置いた。


 真っ白なそれは長方形の箱型で、大人の腰ほどの高さがあり、周りを檻で囲われていた。


「どっからどうみても赤ちゃん用ベッド」


 もこもこは牢屋ではなく、赤ちゃん用のベッドで育っている。

 もこもこミステリーをひとつ解き明かした新米ママがゆっくりと頷き、そちらへ近付く。

 

「リーダー。クマちゃんここ寝かせてみて」


 リオはベッドの柵に手をかけ、ルークを見た。


 赤ちゃん帽を被った可愛いクマちゃんを抱いた魔王が、ベッドまでスタスタと歩き、もこもこをそっと中へ寝かせた。



 赤ちゃん用のベッドの中で赤ちゃんの格好をしたクマちゃんが、お手々の先をくわえ、彼らを見上げている。



「やばい」なにこれ可愛すぎでしょ――。


 新米ママは我が子の愛らしさに怯んだ。

 キラキラとしたつぶらな瞳が彼の胸を締め付ける。

 丸い頭と顔の周りのレースが最高すぎる。


 冷たい風が吹き、誰かの気配が消えた。

 己の危機を悟り離れた場所へ避難したらしい。


 死神が逃亡するほど愛らしい『クマちゃ箱』に保護者達の視線が集中する。


「確かに危険な愛らしさだね……。何故か赤ちゃん用品を買い集めたくなるよ」


 南国の鳥が笑みを消し、静かに頷いた。


「こんなのが横で寝てたら、可愛すぎて仕事が手に付かなくなるんじゃねぇか……」


 すでに仕事に遅れている男が呟く。


 昼休憩が長い。

 横に寝ていなくても支障が出ている。


「…………」


 魔王のような男は長い腕を伸ばし足元の砂を掴むと、〈クマちゃんの砂〉で己の願いを叶えた。

 男の大きな手が、もこもこの横に長い耳のついたふわふわを置く。


 ベッドの中の赤ちゃんクマちゃんは、そちらへ肉球を伸ばした。


 完全に赤ちゃんなクマちゃんが、ウサギさんのお耳が付いたボールを肉球でふわふわしている。


「クマちゃんやばい……可愛い。俺もなんか作りたいけど……」


 我が子の可愛さから目が離せない新米ママが葛藤しているあいだに、ウィルとマスターは次々と赤ちゃん用ベッドを快適に整えていった。


 軽い素材のふわふわな肌掛け。

 柵にぶつかっても痛くないふわふわ。

 宙に浮かぶ回転式オルゴール。

 

 赤ちゃんなクマちゃんは肉球に持たされたもこもこしたおもちゃを動かした。


 ガラガラ、リンリン、ピピピ――。


 赤ちゃんが喜びそうな音があたりに響く。

 見覚えがあり聞き覚えのあるウサギさんのおもちゃだ。


「なんか可愛すぎて涙出てきた……」


 我が子への愛しさが募り、鼻の奥がツンとしたリオは目元を擦った。


 ふわふわに囲まれたもこもこは、皆からの愛情に包まれ被毛が輝いて見えた。


「『クマちゃ箱』やばすぎる」


 リオがかすれ声で言い、聞いてしまったクマちゃんが「クマちゃ……!」ハッとしたように呟いた。


『反省文ちゃ……!』


 お縄になりクマちゃ箱へ入れられてしまったと思っているクマちゃんは、反省文を書くらしい。


 まだまだ満腹だったもこもこは『美味いメシ』を辞退した。


「クマちゃん反省文に書くことないでしょ。犯人こっちで探しとくし。いい子な『めいちゃんてい』はおねんねしましょうねー」


 リオが雑に返し、愛くるしい我が子のお布団を丁寧に整える。



『反省文に書くことない』を珍しく的確に聞き取ったクマちゃんが「クマちゃ……」と重々しく呟く。


 名探偵クマちゃんは『水色の布事件』の布が水色であることしか知らない。

 布がふわふわしていること以外に書くことがない。


『み』から始まり『わ』で終わる八文字反省文を諦める。

 時間に制約のないもこもこは、さきほど聞き取ってしまった『犯人こっち』と『めいちゃんてい』についてゆっくりと考えた。


 赤ちゃん用ベッドに寝かされているもこもこのお口がもこもこと動く。


「クマちゃ、クマちゃ……」

『クマちゃ、頑張るちゃん……』


 クマちゃんはめいちゃんていのお仕事を一生懸命頑張ります……、という意味のようだ。


「ああ」


 ルークは愛らしいもこもこの頬を指の背で撫でた。

 ピンク色の肉球が彼の指を追いかけ、わざと捕まった彼はすぐにスルリと逃げ出し、再びもこもこの頬をくすぐった。


 愛らしさで大人たちの時間を吸い取り、おっとりした言動でも時間を奪う危険なもこもこが、仕事へ戻る彼らの時間をもこもこもこもこしてゆく。


「クマちゃんやべー。なにこの『クマちゃ箱』ってゆうかベッド。ずっと見てても飽きないんだけど」


 可愛すぎて他に何もできない。


 このままではいけない。

 リオは魅惑のもこもこからなんとか目を逸らそうとした。


「マスターその紙袋ってほかに何入ってんの?」

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