第212話 一人だけ忙しそうな金髪。
人間界の厳格な掟により追い練乳を禁止されてしまったクマちゃんは、小さな黒い湿った鼻の上に深い皺を寄せ、肉球を齧っていた。
「えぇ……」
我が子の不安と強いストレスをもこもこの鼻の上あたりから感じ取った新米ママ。
視線を逸らした先には動かない死神。
気絶したまま放たれる冷気。
冷えてゆく豆と肉の煮込み。
リオがゆっくりと頷き、
「いや死んじゃうから」掟は掟であると繰り返す。
「あ~……死ぬかもな……」無慈悲な相槌を打つマスター。何故か気がそぞろだ。
もこもこの気を逸らす良いものはないか――。
彼は視線を動かしクマちゃんニュースに目を止めた。
血も涙もないマスターを凝視するリオ。
動く心の扉。
閉鎖まで五センチメートル。
マスターは金髪から送られる妙な視線を捨て置き、
「……ん? これはあいつらじゃねぇか?」
片眉を上げ怪訝そうに尋ねた。
数日前に彼の足をポコポコ殴っていた木製のそれ。
回転の止まった魔道具からヨロヨロと出てきたのは、お揃いの兵隊風の赤い服、白いズボン、黒いブーツ――見覚えのある格好のおもちゃ――。
クマの兵隊さん達だった。
ルークに優しくお手々を撫でられたクマちゃんがマスターの声に反応し、
「クマちゃ……」
物憂げな赤ちゃんのようにそちらを見る。
「うわ、あいつらクマちゃんの兵隊じゃね?」
リオはもこもこが彼らを認識する前に再会を喜ばない人間の声で伝えた。
「お兄さんあれ言うこと聞かないやつ」『会いたかったやつ』とは噓でも言いにくい。
「クマちゃ……!」
身も心も純白でもこもこのクマちゃんは、子猫がミィと鳴くように愛らしく喜びの声を上げた。
「うーん。あの遊具には素晴らしい浄化の力があるからね。もしかするとクマちゃんのお願いを素直に聞いてくれるようになったかもしれないよ」
ウィルが映像を見ながら穏やかそうな声で言った。
一瞬彼に視線を向けたリオが「目がヤバい」余計なことを言う。
クマちゃんニュースから女性達の楽し気な声が聞こえてくる。
『可愛い~整列してる~』
『あ、敬礼した~! 可愛い~』
『ちっちゃいネクタイもしてる! 可愛い~』
まだ良いことも悪いこともしていない彼らは女性に大人気のようだ。
「リオ」
低く色気のある声が珍しく彼を呼ぶ。
「あ、クマちゃんのジュース? リンゴで良いよね?」
『なに?』リオは疑問を口にする前に彼の持つそれに反応した。
意外と優しいルークはリオの欲望『次こそは俺が哺乳瓶でクマちゃんに――』を理解していたらしい。
◇
「クマちゃんリンゴジュース持ってきたよー」
哺乳瓶を持った新米ママが嬉しそうに戻って来た。
リオは意外性が魅力的な魔王から我が子を受け取りソファに座る。
「クマちゃ……」彼を見上げるクマちゃんが愛らしくジュースをねだり、
「ヤバい可愛い……」新米ママが真剣な表情で哺乳瓶を近付けた。
ジュースを飲んだり飲ませたりするだけで世界一幸せそうな彼ら。
一人と一匹のあいだに穏やかなときが流れ――やがて引き裂くものが現れる。
映像から聞こえてくる声が何故か騒がしい。
複数の人間が同時に喋っているようなうるささだ。
「なに? なんか声ごちゃごちゃしてない?」
リオが煩わしそうに視線を上げ、
「なんで金髪のヅラかぶってんの?!」
驚愕したように叫んだ。
いつの間にか六分割された映像。その内の五つにクマの兵隊達が映っている。
それだけならば問題ない。
問題なのは兵隊達の格好だ。
金髪のカツラ、白いシャツ、黒いネクタイ、黒いズボンと黒い靴。
物凄く見覚えがある。
見覚えがありすぎる。
何かを持っている兵隊達が木製の手をカチャカチャと動かした。
とつじょ映像から流れる聞き覚えのある声。
『へー』
「気持ちわる!!」
暴言を吐くリオ。
自分の声である。
「リオ、言葉遣いが良くないと思うのだけれど」ウィルが教育に悪い男へ冷たい視線を向け、
「それどころじゃないんだけど!!」元祖金髪が怒髪天をつく。
怒金髪は冠をつき上げお怒りのようだ。
賑やかな映像から小さな悪の組織達に喜ぶ住人の声がする。
『へー』『へー』『へー』
街の人間達は重奏のように悪の幹部の真似をしていた。
もこもこした赤ちゃんが「クマちゃ……」『へー……』と彼の怒りを煽っている。
「まぁ、そのうち飽きるだろ」
優しいマスターは顎鬚をさわりつつ、気の毒な金髪へ視線をやった。
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