第188話 自由過ぎる白と黒

「え、マジで? ちっちゃくて分かんないんだけど」


 リオがウィルの言葉に驚き、映っているそれをもっとよく見ようと、左右で色の違う瞳を細める。

 今のところ、男達が純白のもこもこになった気配は感じない。『穢れた人類もこもこ化計画』は進まなかったようだ。

 凄腕占い師は一体何を占ったのだろうか。


 自身の腕をテーブルのように使われていたルークが、クマちゃんの水晶玉を掴んだ。

 ――映像の確認をするのだろう。

 吞気に予想するリオの顔へ飛んでくる水晶玉。

 

「危ないんだけど!」


 片手でそれをつかまえ、新米ママが叫ぶ。

 愛しのもこもこを可愛がるルークは、うるさい金髪のかすれ声を無表情に聞き流している。

『ちっちゃくて――』をクマちゃんへの苦情と取ったのか、たんに視線が鬱陶しかったのか。そんなに見たいなら近くで見せてやる、という彼なりの親切か。

 本人に聞いても答えは返って来そうにない。


 不満そうに口を曲げたリオが、片手でつかんだそれを目の前に掲げる。

 水晶玉は南国の鳥の言葉通り、誰かの住んでいる家をゆらり、ゆらり、と映していっているようだ。


「遠い場所、か――?」


 目つきが死神のように鋭い氷の紳士は、水晶玉を割りそうなほど冷たい美声で、それらの共通点を上げた。


「うーん。確かに、どの映像も、街の中心から離れているね」

 

 ウィルは微かに首を傾げ「住み心地は悪くなさそうだけれど」と涼やかな声で付け足した。

 街の中心のほうが良い、というわけではない。どの家も彼らの大事な住処だ。


「街の中心っつーか、酒場から遠くね?」


 リオがじーっと水晶玉を見つめ、かすれた声で彼らに尋ねる。

 

「確かに……そのようにも感じるね」


 ウィルは長いまつ毛を伏せ、少し間を置き答えた。

 正確な距離は分からないが、街を上空から見下ろしたところを想像すると、酒場から遠い場所ばかり、とも言える。


「酒場からか――」


 クライヴは『酒場』と言いつつ、愛らしすぎて直視しにくいもこもこへ視線をやった。

 彼の世界の中心はもこもこだ。酒場と聞いて思い浮かぶのは冒険者ギルドでも自身の部屋でもない。

 愛くるしいもこもこした生き物、クマちゃんである。


 可愛いもこもこちゃんは小さな黒い湿った鼻の上に皺を寄せ、一心不乱に肉球をペロペロしていた。

 一生懸命水晶玉を擦り過ぎて、肉球がかゆいのだろう。

 ――何もかもが愛らしい。

 クライヴは映像よりも真剣にもこもこを見つめた。彼は本人――本もこに気付かれれば『クマちゃ!』と言われそうなほど、もこもこした生き物へ鋭い視線を向けている。


「顔こわ……!」

 

 水晶玉の向こうに、映像よりも気になるヤバいものを見つけてしまったリオ。

 ウィルはシャラ、と腕を組んで何かを考え込み、ルークはもこもこを指先で擽っている。

 仲は良いが協調性のない四人と一匹。


「――そこへ行きたいのか」


 そこへ現れる、空気を読むのが少々苦手なお兄さん。

 低い美声のお告げが、四人と一匹の頭に響く。

 幼いクマちゃんが占いに使った水晶玉に気付いてしまった彼は、彼らの返事を聞く前に、闇色の球体ですべてを飲み込んでしまった。



 背の高い樹々に囲まれた、特別変わったところのない家の前。白い壁と焦げ茶色の柱、少しペンキの剝がれた水色の屋根。

 家の前には水の入ったツボ、空の木箱、農具が入った樽などが置かれている。


 静かな森の民家に不似合いな黒が、見間違いのようにぽつりと、次の瞬間大きく宙に浮かんだ。


 災いと勘違いされてしまいそうな、紛らわしい闇色の球体が消え、四人と一匹とお兄さんとゴリラちゃんが残される。

 もう一つの球体が寝ている人間を五人、重さを感じさせることなく静かに、彼らの前へ置いて行った。


「…………」


 うつろな目をした金髪が何かを言おうと口を開く。

 すると忘れ物、とでもいうように、一瞬だけ闇色が現れた。最後に出てきたのは酒場のテーブル席だ。

 お兄さんが操作するゴリラちゃんが椅子を引き、ゆったりとした動きで彼が座った。


「えぇ……」


 リオの口から肯定的ではない、かすれた声が漏れた。

 自由過ぎる。

 いっそ羨ましいような気がしないでもない。


 誰かの家の前にたったいま設置された、二つのテーブル席。

 いつものように三人と一匹。一人とお兄さんとゴリラちゃんに分かれて座る。

 独特な優しさのお兄さんは闇色の球体を使い、酒とジュースを用意してくれた。


 チャラそうに見えるだけで真面目な金髪は、『いやお兄さんヒトん家の前で勝手に酒盛りはちょっと……』という言葉が前歯辺りまで出かかったが、なんとか堪え「……お兄さんありがとー」と礼を言う。

〝お兄さん〟はおそらく人外の、高位で高貴な存在だ。人間には優しく接しなければならない、という決まりなど、彼にはないだろう。

 だが、無口なお兄さんはいつも、親戚のおじちゃんのように飲み物をくれる。

 優しい彼に文句など言ってはいけない。

 ここが他人の家の前であることも、家主が地面に転がされていることも、気にしてはいけないのだ。


 彼らはそれぞれ、言葉、視線、態度で感謝を伝えた。

 誰かの家の前、大きな樹の下で、――地面でお休み中の――家主の許可なく設置したテーブル席に座り、木漏れ日を浴びつつ酒の入ったグラスを傾ける。


 カラン――。

 氷が解け、ガラスにぶつかった。


 さわさわと、葉擦れの爽やかな音が静かな森に響き、何故か、他所様の民家前で休憩している彼らを包む。

 息を吸い込むと感じる、緑と土、薬草のような酒と、ワインの香り。


 子猫のようなクマちゃんはいつもよりも更に小さな哺乳瓶で、魔王のような男にリンゴのジュースを飲ませてもらっていた。

 誰かの苦し気な息遣いと、ミシ、と何かに強い力が加わってしまったような、妙な音が鳴る。

 新米ママリオちゃんは、いつでももこもこに着せられるようにおくるみを膝にのせ、愛くるしい我が子を見つめ、考えた。


(クマちゃん可愛い……。俺ここで何してんだっけ……)


 ぼーっとしすぎな金髪の前で、上品に喉を潤していたもこもこが哺乳瓶から可愛いお口を離し「クマちゃ――」と愛らしい声で告げた。


『お花ちゃ――』と。


 このお家にはお花が足りていませんね――、という意味のようだ。


「えぇ……それ俺らが決めることじゃないと思うんだけど……」


 気を抜いていたリオは、素直な感情を声に乗せた。

 もしや自分は他人の縄張りで酒盛りをした挙句、人の家の庭にケチをつけ、勝手に造園しようとする獣に加担しなければならないのだろうか、と。

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